不完全故の存在感(ゲームの話)
ほとんどやっていないので、あんまり詳しくはありませんが、最近の名前が通っているゲームって物凄く良く出来ているんだと思います。
私は小学生の時にファミコン、中学生直前でスーパーファミコン、といった世代の人間ですが、現在の複雑でありながらも親切で手の行き届いた設計、且つアップデートでどんどん修正されていくゲームというのは、昔からすると想像し難いクオリティの高さであると感じます。
しかし昔のゲーム、特にファミコンのゲームによくあった理不尽さ、不条理が心に刺さっており、今でも思い出すと楽しくなってしまうことがあります。
まぁ、今もクソゲーとか言われて存在感を放つものはあるので、ただ単純に年寄りの懐古厨な面もありますが。
私はスーパーファミコンは買ってもらえなかったし、唯一持っていたハードであるファミコンのソフトも、何かイベントっぽいタイミングでたまーに買ってもらえる=本当に欲しかったゲームを入手出来ることは稀、という環境でした。
今では縛りプレイといったものがあちこちに存在しますが、私の場合はプレイする環境自体が縛り状態でした。
なので、本当は友達の家でやったアレがやりたいのに、家にはコレしかないから、それ程好きではないけれど、とりあえずコレをやり込む、といったケースや、
小学生のうちは
ゲームは一日30分まで
という親の言いつけを忠実に守っていたので、ドラクエⅢをやっていた時、
ダンジョン攻略をする日の前日は、ほとんど準備や下見に時間を使い、すぐに本攻略に取り掛かれる状態でセーブして、当日は攻略のみに集中して、ダンジョンから出てきたらすぐセーブして終了
といった進め方をしていたので、クリアまでにかかった期間が長く、そもそも買ってもらったタイミングも周りの友達よりずっと遅れているので、基本孤独でした。
なので、ネットもない時代、何の情報もなく親切さのかけらもないゲームをただ日々試行錯誤のみで30分ずつ繰り返していく、ということもよくありました。
そんな縛りプレイの中・・・当時は理不尽だとか感じる感性もないままプレイしていましたが・・・心に残っているゲームの一つ
「聖闘士星矢 黄金伝説完結編」
について、改めて思い出すとニヤニヤしてしまうので、いくつかポイントを挙げてみたいと思います。
本ゲーム、検索すると「激ムズ」とか出てきます。当時は淡々とやっていたのですが・・・
<ゲーム超概要>
星矢、紫龍、氷河、瞬の4人から一人を選んで横スクロールアクションを進めてゴールすると、黄金聖闘士とのポケモンっぽい一対一のコマンドバトルが始まる。というのをだいたい原作っぽく12宮分クリアしてエンディング。
<ポイント>
・原作通りのキャラを選択して進めないと、黄金聖闘士とのコマンドバトル時に相手が無敵だったりするので、その場合必ず負ける。
⇒原作アニメが、数少ない「見て良いアニメ」だったので、特に困らず。逆に異なるキャラで進めるとどうなるのかを繰り返し検証したりしました。勝てるケースもありましたが、会話が少なく不自然に終わったり。
・コマンドバトル中、「仲間を呼ぶ」という選択肢を選ぶと基本他キャラと交代出来るが、黄金聖闘士が「こらーやめなさい」みたいな事を言ってきて殴られて1ターン終了することもある。
・コマンドバトル中、「話す」コマンドでイベントが発生してパワーアップ出来たりするが、黄金聖闘士が「こらー話してる場合かー」みたいな事を言ってきて殴られて1ターン終了することもある。でも二回「話す」でパワーアップすることもあるし、殴られないこともある。
⇒一人一人のOKパターンを見つけて覚えました。
・コマンドバトル中、黄金聖闘士が技名を言って攻撃してくる直前くらいに、十字キーの左右を入力して「避け」動作をすることが出来るが、タイミングがシビアで画面ノーヒント。且つ「避け」動作をしても攻撃を喰らうことがある。しかし、「避け」ないとほとんどクリア不可な事が多い。
⇒とにかく体で覚えました。
・序盤の双児宮で「アナザーディメンション」を喰らって必ず飛ばされる横スクロール面の後半で、めちゃめちゃシビアなタイミングでジャンプしないと穴に落ちて最初からやり直し、となる箇所が二連続で続く。前半も結構難しい。序盤なのにゲーム通してここが一番難しいと言っても過言ではない。
⇒これは辛かったです。何日かずっとアナザーディメンションでした。これがトラウマというやつでしょうか。
・キャラが4人いるが、横スクロール面では
~@Wiki引用~
星矢は操作しやすく弾の射程が長く敵を貫通する、紫龍は弾が連射できる、氷河はすべてにおいて性能が低い、瞬は移動速度が速く弾がヨーヨーの動きをするチェーンになっていて敵を倒しやすいがジャンプ距離が長く調整しにくいため穴に非常に落ちやすい。
に加えて、コマンドバトル時は紫龍だけ技が一個しかない。最近だったら属性やら何やらでキャラごとに強み弱みがバランス良く配分されていたりするところ・・・。
⇒氷河ウケる。
他にもありますが、こんな感じで理不尽というか何というか・・・。
今みたいに親切良ゲーがたくさんあって、自由に選んでプレイ出来ていたらこのゲームはクソゲー認定してポイしていたのでしょうか。
ただ、私はゲームに限らずなのですが何となく、膨大な蓄積データをもとにスキがなく完全に設計されたものを存在として「つまらない」と感じてしまうことがあります。
「面白い」のに存在が「つまらない」
「ヒドい」のに存在が「面白い」
マニュアル化されたルールに基づいて綺麗に成型されたものより、手探りなところがあって、いびつでもエネルギーが込められているものの方が心に残るのです。というより、前者の場合作り手のエネルギーが込めにくくなってしまうんだと思います。
それは受け取り側のエネルギーとも相互作用していて。
私はプレイ環境自体の縛り、不自由さもあって、そういったいびつなものがより強く印象付いています。
ちゃんと設計してないからハチワレが中心からずれた↓