![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/75672761/rectangle_large_type_2_a37500647e1b9252dfc258e902bc7d9a.png?width=1200)
僕にとっての愛とはなにか?
僕は2021円の11月に「あなたにとって愛ってなんですか?」という企画を、noteとstand.fm同時進行で開催しました。
※ちなみにその時に参加してくださった方のnoteの記事やラジオ収録はこちらにまとめています
で、この企画の最終日に「僕にとっての愛についても発表しまーっす!」と皆さんにお伝えしていたのですが、実はまだ何も発表できていなかったんです。
というのも、2021年11月24日に母が自宅で倒れてしまい、緊急入院をすることになりました。そして、そこから僕の愛の定義がぐるぐると変化していったんです。
母が亡くなった今も、その定義が変わり続けている感覚です。
しかし、僕は2021年11月18日と、11月30日にふたつのメモを残していました。
ふと、「これが愛なのかもしれない。スマホに残しておこう」と思い立ち、そのままバーっと書き上げたものです。
つまり、母が入院する直前と直後の文章です。
今回はその時に書いていたものを、そのままアップしたいと思います。
■ 母が入院する直前に残したメモ
愛は太陽みたいなもの
エネルギーである
ただそこにある、というものでしかない
太陽も照らす場所を選ばない
どこにも平等に照らし続ける
時に雲が覆ってしまうと光は弱くなる
けれども太陽自体の強さは変わらない
昨日も今日も明日も
太陽は同じ強さで輝いている
それを受け取ることができる日もあれば
そうでない日もある
強く感じられる時もあれば
全く感じられない時もある
愛はそういうものだ
自分の中にある
ただそこに存在する力、エネルギー
しかし、生まれてから育っていくうちに
そのエネルギーを雲が覆ってしまう
たまにその雲を吹き飛ばしてくれる出来事もある
だけどまたすぐに雲がかかる
雲をどかしても太陽が出てこないこともある
でもさらにその先には間違いなく太陽がある
誰にでもあるのだ
生まれもって人間が持っているもの
愛することは生まれながらにしてできないけど、
愛は生まれながらにして持っている
2021年11月18日
■ 母が入院した直後に残したメモ
愛とは必ずしもそのときに感じるものではない
愛の受け手としては
過去の記憶を蘇らせて
「あぁ、あの時は愛さていたなぁ」とか
「僕にとっては歪んだ愛だけど、親は愛をかけていたんだなぁ」とか
そういうことを思えたときに
その瞬間に愛が生まれるってこともある
愛は時間を超える
愛は空間を超える
そのときに存在しなくても
未来に存在することがあるのだ
2021年11月30日
■ 今回の記事のまとめ
ふたつのメモを読んでいただきありがとうございました。
そして、「僕にとっての愛」の記事を出すことが遅くなってしまい、申し訳ございませんでした。
改めてこのメモを自分でも読んでみて、すごくしっくりくるなぁという感覚もあります。
その一方で「もっと違うなにかがある」という感覚も持っています。
今すぐには言葉にすることは難しいですが、今後またふと「メモに残しておこう」という時が来たり、がっつり執筆できる時が来たりすると思うので、じっくり醸成させていこうと思います。