奴隷を解放し続けた黒人女性②
~ハリエット・タブマンの執念の闘い~シリーズ➊~➍
➋逃亡奴隷
9歳になったミンティは、とても器用でたくましくなり、家内労働から野外労働にまわされても、大人に負けないくらいに仕事をこなせるようになっていました。
そんなある日、一緒に働く男たちから、ナット・ターナーが起こした反乱の話を聞きました。好奇心あふれるミンティにとって、それは想像を絶するできごとでした。奴隷70人ほどが起こした反乱は、軍隊によって鎮圧され、裁判にかけられた45人のうち18人は絞首刑となったのです。犠牲になった白人約60人、黒人約100人、自由を求める反乱は多数の犠牲者を出したのです。自分の命をかけて自由を求めた男たちの話は、ミンティの「自由」を求める心を大きく突き動かしました。
ミンティは、13歳のとき、他人が投げた秤で使う1キロ程の鉄の重りが頭に当たり、大けがをし、その後遺症のため、突然眠り込んだり、発作に悩まされたりしました。この頃の雇い主はスチュアート氏といって、牛を使って木材を切り出し、加工して舟を作ったりしていました。この仕事を父親と一緒にやり、肉体労働で鍛え上げられた体はたくましくなり、わずかながらお金ももらえるようになったのです。
森や川で長年働き続けてきた父親には、森で生き抜くさまざまな知恵がありました。木材の質の見分け方や牛の操り方はもちろん、天候を予測し、薬草を見つけ、森の草地や沼地の歩き方や安全な川の渡り方、星座を見て方角を見極める方法など、ありとあらゆる知恵を父親から教わったのです。ある時ミンティは尋ねました。星が見えない夜は、どうして方角を知るのかと。「その時は、木の幹に生えるコケを見つけなさい。コケが生えるのは、日の当たりにくい北側だ。コケが北極星の代わりをしてくれるよ。」
こうした知恵が、後に山野をかけて逃げ続けたミンティの命を守り、奴隷の仲間たちを助けることに役立つとは知る由もありませんでした。
教育を受けたことがないミンティは、ほとんどの奴隷と同じように字を書くことも読むこともできませんでした。しかし、貸出奴隷として各地を移動していたミンティは、木材を運んでいく港にいた多くの自由黒人などからさまざまな見聞を広めることができました。
1844年農場主の意向で、同じ奴隷のジョン・タブマンと結婚させられました。
ある日、黒人小屋では奴隷たちがおびえて、ひそひそ話を交わしていました。どこから出たうわさなのか知る者はいませんでしたが、ハリエットとその兄弟二人が買い取られ、今日か明日に、奴隷の一団に入れられて南のプランテーションへ送られるというのです。ハリエットは前々から、いつか逃げ出そうと考えていましたが、その日が突然現実になりました。日頃の素早い行動で、彼女はすぐに出発準備を整えたのです。
ハリエットは急いで兄弟に相談しました。不安をかき立てられた兄弟は、その夜のうちに一緒に出発すると言いました。遠い北部に無事にたどり着けば自由が待っているからです。最初の逃亡は、兄弟3人で試みましたが、うまくいきませんでした。2回目も3人で逃亡しますが、北部ははるか遠く、行程はすべてが未知で、所有主が追いかけて来て連れもどされるかもしれません。そうなると運命はこれまで以上にひどくなるのです。
兄弟たちは決意の固いハリエットに別れを告げ、嫌悪すべき恐怖に満ちた奴隷生活へと急いでもどっていかざるをえなかったのです。
ハリエットはただ一人残されましたが、兄弟を見送ると、北極星だけを頼りに長い孤独な旅をはじめました。
黒人小屋の人々はハリエットの別れの歌をいつまでも思い出し、年老いた母親は、失ったわが子を思っては泣きました。ハリエットの決意について母親は何も聞かされていませんでした。母親はすぐ感情を表に出す性格でしたが、大声で嘆き悲しんだりすれば、ハリエットが逃げたことを、みんなに知られてしまうため、取り繕うしかありませんでした。
お金もなく、友もなく、ハリエットは見知らぬ土地を進みました。追手がどのくらい近づいているかもわからず、注意深く手探りで進むのでした。
後遺症によるナルコレプシーのような睡眠障害のあったミンティでしたが、人々が眠るとひたすら歩き、見つかりやすい日中は男の格好をしたり、深い草地や洞穴などの安全な場所で眠るのをくりかえしました。当時、逃亡奴隷には賞金がかけられていたため、馬が登れない岩を登り、鼻のきく犬たちを欺くためには、何度も川を渡らなければなりませんでした。
しかし一方で、クエーカー教徒や「地下鉄道」のように逃亡を手助けしてくれる白人や自由黒人もいたのです。
彼らを頼りに、ミンティは、遂にこの逃亡劇に成功したのでした。
その後何年間にもわたって、親類や友人を救出するためにハリエットは、この救出劇を勇猛果敢に続けたのです。それらの年月は、仲間を奴隷の身分から救い出すという目的のために、夜も昼も費されました。働いてもらった給料はすべてこの目的のために蓄えられ、十分な額になると、すぐハリエットは北部の家から姿を消しました。 そして暗い夜に、突然、どこからともなく、南部の農場小屋の戸口に現れたのです。そこには、前もって時間と場所を告げられ、救出者の来るのを今か今かと待ちわびている逃亡者たちの一団がいました。夜に進み、昼は隠れ、山によじ登り、川の浅瀬を歩いて渡り、森をぬって進み、追手が通るときは伏せて身を隠しながら、ハリエットは彼らを北へ北へと導いたのです。
ある時、北部へ向かうある旅でのことでした。ハリエットが逃亡者一行を案内していたとき、夜が明けはじめます。ハリエットは、「地下鉄道」と呼ばれていた秘密ルートの拠点の有色人種の家にやって来ました。家にたどり着き、どしゃぶりの雨の中、身を寄せ合った一行を通りの真ん中に残したまま、ハリエットは戸口に行き、合図としている特別なノックをしました。
いつものようにすぐ返事がないので、ハリエットは数回くりかえしました。ようやく窓が上がり、一人の白人が顔を出しました。「おまえはだれだ? なんの用だ?」ハリエットはここにいるはずの友人の消息をたずねましたが、彼が「黒人をかくまった」ためにここを出て行かざるをえなくなったことを聞かされたのです。
思いがけない事態に躊躇している暇はありません。夜明けは迫っていました。日中の陽光は、追われて逃げる逃亡者たちにとっては敵なのです。信仰心の厚い指導者は通りに立ち、素早く、保護者である天の神に、電報よりも速いメッセージを送りました。答えは同じくらい素早く返ってきて、思いも寄らなかった逃げ場をハリエットに指示しました。
町のはずれの沼地の中に小さな島があるとのこと。そこは草が高く生い茂っていて、隠れ場所にするには絶好の場所だという。ハリエットは急いでそこに仲間を導きました。沼地をずぶずぶと歩き、泣かないように鎮静剤で眠らされたかごの中の二人の赤ん坊を運び、残りの一団があとに続きました。ハリエットは丈の高い、しめった草の中にみなで横たわるように言いました。そして再び祈り、救済を待ちました。
哀れな仲間たちは冷えてずぶぬれで、空腹でしたが、ハリエットは彼らを置いて食料を取りに行く勇気はありませんでした。
おそらくノックした家にいた男は、すでに町に警報を出したでしょう。警官が彼らを見張っているかもしれません。悲惨な状況にありましたが、ハリエットの信念がぐらつくことはありませんでした。彼女の無言の祈りが天に届き、必ず助けがくると信じていたからです。
日が暮れる頃、一人の男が、沼地のはずれの固い地面の歩道に沿ってゆっくりと歩いてきました。男はクエーカー教徒の衣装を身につけており、助けてくれる「友」であることがわかりましたが、男は周りを警戒しながら、まるで独り言を言っているようでした。しかし、ハリエットの研ぎすまされた耳は、その言葉をはっきりと捉えたのです。「道の向こう側にある農場の納屋の前庭に、荷馬車が止まっている。馬は馬小屋の中だ。馬具は釘にかけてある。」
そう告げると男はすぐに立ち去りました。夜の闇が深くなると、ハリエットはこっそりと指示された場所に向かいました。ただの荷馬車ではなく、食料が十分に積まれていました。
まもなく一行は、みじめな境遇から救い出され、喜んで次の町へと旅を続けたることができたのです。そこにはハリエットの知っているクエーカー教徒が住んでおり、彼は快く馬と荷馬車を預かってくれました。
ハリエットを助けに来てくれた人が、隠れ場所をどのように知ったのかはわかりませんでしたが、彼女はこのような突然の救出を少しも不思議に思いませんでした。なぜなら、ハリエットの祈りは信念に満ちており、必ず正義の行動をとる人々が存在することを信じて疑わなかったからでした。
そうした家や支援組織を頼りながら進み、ウィルミントンの裕福なクエーカー教徒で奴隷制廃止主義者のトマス・ギャレットの支援を受けて、ついにフィラデルフィアの支援事務所にたどりつくことができたのです。