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魂のバンクシアを育てよう ~災害関連死を防げ~
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乾燥帯のひろがるオーストラリアは山火事が起こりやすく、ユーカリの森が何日も燃え続けることがあります。オーストラリアの森の4分の3を占めるのがユーカリの森です。オーストラリアにはブルーマウンテンと呼ばれ、遠くから見ると青く見える山があります。この青色はユーカリの葉から空気中に放出されたテルペンによるもので、その放出量は高温になると多くなるため、夏季にはユーカリの森のテルペン濃度はかなり上昇します。テルペンは引火性の物質なので、何かの原因で発火した場合、山火事を引き起こす元になります。
それはわたしたちから見れば、自然を破壊するだけのこととしか思われないのですが、そんな中でも大自然の微妙なバランスを保っている植物があります。それは、バンクシアの実です。
ユーカリの森の中に生えているヤマモガシ科のバンクシアの実は、山火事にでもならなければありえないようなかなりの高温になって初めて実を開き、種を地面に落とす珍しい植物です。すべてが焼け果てたようにみえる森に、バンクシアの種は、青々とした生命を誕生させるのです。焼け果てた森の灰を養分にして育っていくその生命のたくましさは、まさに驚異としか言いようがありません。
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ところで、人間の心の中にも、このバンクシアの実のような地の底に眠る魂が存在することをあなたは信じますか。ふだんはまったく姿を見せることがないのですが、絶体絶命の危機にさらされ、しかも地獄のどん底に突き落とされた後にしか、決して現れることがないのです。この無限の勇気と力は、地獄を見たものにしか湧き起こらないのです。
「人間死んだと思えば何でもできる」といいますが、本当にすべての希望と生きる糧を失った者は、そう簡単に立ち直れるものではありません。けれども、真に勇気ある者は、きっと心の中にこのバンクシアの実をもっているにちがいありません。
最悪の状況の中からだけ、湧き起こる魂の底力というものを信じようではありませんか。それを信じることのできる者には、どんな失敗や挫折も恐れない無限のエネルギーが、自らの内に湧いてくるのです。
1996年の2月に、阪神・淡路大震災で被災した一人の女子中学生が、わたしの勤務する中学校に親戚を頼ってやって来ました。そのI子さんの書いた作文です。
「1月17日火曜日、午前5時46分それもほんの20秒くらいの間に悪夢がおこった。…(中略)外へ出ようとしたら玄関が開かなくなっていた。何もかもが壊れていた。でも周りの家はそんなもんじゃなかった。建物の倒壊、2階建ての1階が2階におしつぶされてペシャンコ、8階建てのビルはななめにかたむいて今にもつぶされそうだった。そんな家々から聞こえてくる助けを呼ぶ声『助けて下さい。お願いします。』女の人が叫んでいた。お年寄りが生き埋めになっているのだ。でもどうすることもできない。ただ通り過ごすだけだ。今考えるとその人はどうなったのだろうか。これが本当にあの神戸なのだろうか。まるで戦争の焼け野が原そのものだった。今やっと悪夢の本当の恐ろしさが分かったような気がした。ガスも水も電気も通らないから、夜は真っ暗。その日、学校の先生が亡くなったという連絡が届いた。こんな身近な死に出会あったのは初めてで、そうじゃなくとも涙がぽろぽろ出てきた。くやしくてたまらなかった。そんな日がいく日も続いた。」
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わずか20秒の間に6434人の命を奪い、約43000人以上もの人々が負傷したマグニチュード7.3の直下型地震。高速道路の高架が倒壊し、JR西日本や阪神電鉄など多くの鉄道路線が寸断され、神戸港も大きな被害を受けました。地震後、約300件の火災が発生し、多くの住宅地が焼失しました。経済損失は約10兆円にのぼったのです。
その中には両親と死に別れてしまった子、子を失ってしまった人々が一生懸命悲しみと闘ってきました。そして5年の歳月が流れ、あの壊れはてた町は、以前にもまして復興しました。
わたしはI子さんにメッセージを送りました。「本当に想像を絶するような体験をしたI子さん、その地獄のような体験でしか湧いてこなかった生きることへの執着や生きていることへの感謝の念を忘れず、これから先、どんな困難があなたの前に立ちふさがっても、頑張って力強く生き抜いて下さい。そしてあなたが、この貴重な体験を生かして、将来、立派に活躍してくれることを期待しています。」
いかに便利な世の中とはいえ、現代文明のもろくはかない側面を見たわたしたちは、この大いなる困難と、いつ闘わなければならない時がやってくるかもしれません。そのことを肝に銘じて、心の中に「魂のバンクシア」を育てようではありませんか。
程度の差こそあれ、災害を経験したすべての人は、精神的苦痛や恐れ、日常生活の喪失を経験します。その結果、多くの人が心的トラウマを抱えます。人は、他者が死亡したのに自分が生き残ったこと、他者よりも傷ついていないこと、そしてその時、為すべきことを為さなかったことに罪悪感を持ちます。これを「サバイバーズ・ギルト」といいます。
自分が死なず、傷つかなかったことに感謝することを拒絶する心の働きです。そして、自分と同様に傷ついている人に出会うと、何かをしなければという考えに固執します。そして「もし自分がより傷つけば、相手がそんなに傷つかずにすむ」と考え、人は自分自身を罰しようとし、まともな食事をしなかったり、娯楽を止めたりします。何もしてあげられなかった不作為の罪を責め立て、中には、自分が生き続けるべきではないと感じ、自殺する人もいます。
不安、恐怖、睡眠障害、抑うつ感、フラッシュバックなど30年経った今も苦しんでいる人がいるかもしれません。この心理状態は、トラウマや心的外傷後ストレス障害(PTSD)とも関連しており、長期間にわたって感情や生活に影響を及ぼすことがあります。
災害においては、すべての人が被害を受けており、負傷しておらず、少ししか損失がない人であっても、災害によって精神的な影響を受けたため、他人を救済するなどの行動をとることができなかったのです。自分が生き延びたことは、決して「罪」ではなく、心の傷を抱えながらも、生きる意味と使命を求める姿こそ、あらゆる人々への生きる力となるのです。
「死」とは、何か。わたしは、周囲の人すべてがその人の存在を忘れた時が、本当の意味での「死」だと思います。周囲の人々が、忘れない限り、その人は生きているのです。亡くなった人の生きざまに学び、その遺志を受け継いでいくことが、残された者の為すべきことだと思います。
いわゆる「災害関連死」として認定された人は、阪神淡路大震災で約910人、東日本大震災で3802人(2024年3月時点)といわれています。その主な原因の一つに、避難生活の長期化や精神的ストレスなどがあります。
認知行動療法(CBT)やトラウマフォーカス療法(EMDR)などの専門療法だけでなく、トラウマを共有できるグループやコミュニティーへの参加といった市民による社会的支援を推進すべきです。
この「災害関連死」をいかに防ぐかを災害の多い日本は真剣に考えなければならないのです。
そして、2011年の東日本大震災での経済的損失は約17兆円、2016年の熊本地震での被害総額は3.8兆円、そして多発する水害などの被害は数えきれない程です。驚くべき忍耐力で、先進国・日本は、本当によくここまで耐え抜いてきているといえます。