「二枚舌」の落とし穴
イソップ物語に「人間とサテュロス」という寓話があります。
ある寒い冬の日、サテュロスというギリシャ神話にも登場する半人半獣の森の精霊が、道で迷った人間を見つけて助けようとします。サテュロスは人間を洞窟の中にある自分の家に招き、温かく迎え入れました。
すると人間は寒さをしのぐために手にフーフーと息を吹きかけ始めました。それを見たサテュロスが「なぜ息を吹きかけているのか」と尋ねると、人間は「冷え切った手を温めるためだ」と答えました。
そこでサテュロスは人間の体が温まるように熱いスープを出してやりました。すると人間はさっきと同じようにスープにフーフーと息を吹きかけ始めました。これを見たサテュロスは驚き、「どうして同じ息を使って、冷やしたり温めたりできるのだ?」と問いただしました。
人間がそれを当たり前のことだと説明すると、サテュロスは「一つの口から暖かいものと冷たいものを作り出すような、人間は信頼できない!」と怒りだし、人間を洞窟から追い出してしまいました。
サテュロスは、なぜ、当たり前のことをした人間に怒ったのでしょう。人間がその舌の根もかわかぬうちに、まったく相反することを平然とやってのけたことが、サテュロスには理解できず、それを二枚舌の偽善的行為だと感じたのです。人間は当たり前のことだと思っていても、サテュロスにとって、息を吹きかける行為が温める目的にも冷ます目的にも使われるというのは、信じられないような矛盾した行為であり、人間の二面性を象徴する行為に見えたのです。
この寓話は、人間が無意識のうちにしてしまう行為の中に、他者から見れば、矛盾や二面性が感じられるものが存在し、知らず知らずのうちに信頼を損なうことになりかねないのではないかと問いかけているのです。また、相手の価値観や異なる視点から見れば、善意も誤解されることがあるという意味も含まれているのです。日本人にありがちな、曖昧な態度をとると、相手に「どちらが本当なのか分からない」という不信感を与えてしまうかもしれません。大人と子どもが、日本人と外国人が、男性と女性がそれぞれお互いを理解するよう努力すれば、立場の違いから生まれる誤解や不信感も軽減することができるのです。
この寓話からは、特に「言葉や行動に裏表の二面性がないこと」の大切さを学ぶべきです。言葉や行動が一致している人は、信頼されやすく、人間関係を良好に保てます。それとは逆に、例えば政治家の公約と実際の行動が矛盾すれば、選挙後に批判を受け、支持を失う可能性があります。公人としては、とても立派でも、個人としての行動が怪しげであったり、上司の前では平身低頭いい顔をしながら、陰で批判したり、部下には強圧的な態度を取るような人物は信頼を失います。SNSなどでの発言と現実の態度が矛盾していると、誤解を生み誠実さが疑われます。前後の発言に無矛盾性がないと、証言や主張そのものが虚偽である可能性が高いと見なされるでしょう。倫理的ビジネスを標榜する企業が環境汚染を引き起こせば、批判されブランドが傷つきます。親や教師が言葉と行動に矛盾があると、子どもは混乱し、正しい価値観を学べなくなります。 「嘘をついてはいけない」と教えながら、大人自身が嘘をついていると、子どもはそれを見抜き、大人を信用しなくなります。科学や学術研究では、矛盾したデータや主張は研究の正確性を大いに疑わせる要因となるのです。
ただ考えてみると、例えば守る気はさらさらなく、約束なんかしたこともない人と、その時は約束を守ろうと思ったが何らかの事情で守れなかった人では、どちらがマシなのでしょうか。誰が困っていようが、他人のことなど考えたこともない人と、他人のことを助けられなかったとしても、何とか助けたいと思った人とどちらがマシなのでしょうか。
「口は災いのもと」といいますが、大切なのは、その言葉を発した「心」こそ大切なのです。ただ言葉と行動が一致しなかったことへの責任を免れることはできませんし、結果に対する反省は態度に現れるのでなければ許されないでしょう。。
そして、噓をつくことは、思っているほど楽ではありません。嘘は必ず言った人に復讐をするのです。
些細なことで、つい自分の年齢を5歳偽ったとします。するとどうでしょう。友人との会話で年齢との整合性を問われるような場面、例えば、干支の話題、高校2年の時に起きた重大事件、夫との年齢差、今いる子どもを産んだ年月日、常に偽った年齢との差を指折り数えて話さなければならないのです。
『ガリヴァー旅行記』で有名なジョナサン・スイフトは、「ひとつのうそをつくものは、自分がどんな重荷を背負いこんだのかにめったに気がつかない。つまり、ひとつのうそを通すためには、別のうそを20は発明しなければならなくなるのである」と述べており、嘘を隠すために嘘を重ねても、どこかで矛盾という落とし穴に落ちて、いつかはすべてが露呈するでしょう。
20世紀最大の劇作家ともいわれるバーナード・ショウは、次のように述べています。「嘘つきの罰は、人が信じてくれないということだけではなく、ほかの誰をも信じられなくなるということである」と。つまり、嘘で塗り固めてきた人間には、自分の物差しでしか人を見ることができなくなり、誠実な行いも真心からの善意も全てが嘘としか思えなくなるのです。そのため精神は荒廃し、非人間化していくのです。