真理を求める人間のあり方
最近では差別的だと敬遠されがちですが、「群盲象を評す」というインドに伝わる寓話が示す知恵をあえてお話します。
ある時、一頭の大きな象の周りに六人の盲人がやってきました。彼らは今まで象に出逢ったことはなく、その正体を突き止めようとします。彼らは、それぞれに象に触りながらいいました。一人目の盲人は象の鼻に触り、「象とは、蛇のように長いものだ」と言い、二人目の盲人は象の耳に触り、「象とは、大きなうちわのようなものだ」と言いました。三人目は足に触り、「象とはまるで木の幹のようだ」と言います。四人目は胴体に触り、「象とは壁のようだ」と言い、五人目は尻尾に触り、「象とは、ロープのようだ」と言いました。そして六人目は牙に触り、「象とは、槍のようなものだ」と言ったのです。盲人たちが触ったのは、象のからだの一部分に過ぎませんが、彼らはそれがすべてだと思い込み、象の正体について言い争ったのです。彼らは決して間違っているのではなく、部分的には正しいのですが、その全体像を知りません。しかし、議論するうちに、それが同じ物の別の部分であると気づき、対立が解消するというものです。
この寓話に出てくる盲人とは、目が見えない人を意味するのではなく、真理に目覚めない人のことを表しており、視野の狭い人間は、物事や人物の一部分だけを見て、それがすべてだと思い込み、情報交換が十分でなければ、物事の本質を理解することができないということを教えているのです。
元々人間は、個人的な経験から物事を一般化し、目の前にある事実が判断に関係する唯一の情報であると思い込むだけでなく、それを裏付ける根拠ばかりを無意識に集めてしまう傾向があります。
メディアが伝える情報は、果たして真実を伝えているでしょうか。主義主張をともなう報道の中には、筋を通すために都合のよい事実のみを集めて印象を操作することが多々あります。問題なのは、操作された情報や管理された情報しか手に入らないとなると、人々の判断は誤ったものになりかねないということです。わたしたちが把握する真理は、あくまでも「一面の真理」でしかないと、最初から疑ってかかるのが賢明なのかもしれません。ましてや発信元が不明な情報に振り回されて右往左往するのは愚かなことです。
アメリカの詩人・ホイットマンは述べています。「きみは自分を賞賛する者、自分に優しくしてくれる者、自分に味方する者だけから教訓を得ているのではないか。自分を拒む者、自分と敵対する者、自分と議論する者から、大きな教訓を得たことはないか」と。真理を求める人間のあり方は、自分の見方や考え方に合わない情報から目を背けるのではなく、自ら自分の考えの弱点をさぐり、意見が合わない人の意見に耳を傾け、反対する人の意見も取り入れようとする態度で臨むことです。
初めから全体像を把握できるのは賢人です。しかし、われわれ凡人でさえ、異なる意見に耳を傾け、異なる意見を互いに尊重しさえすれば、物事を多面的に把握することができ、真理にたどり着くことができるのです。
真理とは、確実な根拠によって真実であると認められたこと、または、ありのまま誤りなく認識されたことと言えるでしょう。しかし、確実な根拠や誤りなき認識にたどり着くためには、さまざまなアプローチの仕方に学び、さまざまな表現に耳を傾けることが大切です。
「確証バイアス」というのは、認知バイアスの一種で、自身の先入観や意見を肯定するため、それを支持する情報のみを集め、反証する情報は無視または排除する心理作用をいいます。
インターネット社会においては、検索エンジンやSNSでのハッシュタグによって、ユーザー自身が支持する情報・興味関心のある情報のみを検索するため、必然的に自身の意見に反証する情報に触れる機会が減っています。
更にSNSや掲示板などでは、共通の意見をもつ個人同士がコミュニティを形成することで、一段と「確証バイアス」が増幅され、自身の意見に確信を持つようになってしまうのです。
常に同じ意見を見聞きすることによって、それ以外の認識は間違っていると思えてくるのを「エコーチェンバー現象」といいますが、こうしたインターネット社会では、極端に閉鎖化してしまったエンクレーブと呼ばれるグループが無数に散らばり、相互に不干渉あるいは誹謗中傷を繰り返す、きわめて流動的で不安定な状態となる可能性があります。こうした人々が一団となって段階的に押し流されてしまう一連の現象、すなわち、「サイバーカスケード」においては、特定の個人が不特定かつ非常に多数の者から集中攻撃を受けるという、いわゆる「炎上」や、不確かな情報が瞬時かつ大規模に拡散される危険性があるのです。
自身の価値観が偏向している可能性を十分認識することで、依拠している前提を疑い、先入観を排除して、明確なエビデンスに基づいた情報を取得し、物事を考えることがより一層求められます。議論や思考の過程及び結論に反証できる情報はなかったか、過去の経験だけでなく他者の経験事例にも学んだか、好き嫌いやえこひいき、先入観、直観など感情に左右されていないか。生成AIにどんな問いをたてたか、別の視点から問いを立て直すとどうなったかなど問いの立て方の妥当性判断などを通して再吟味することが重要です。