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些細な「ヒューマン・ファクター」が大事故を招く ~タイタニック号の教訓~


▲リチャード3世

 イギリスに「馬蹄の鋲一つが王国を失わせた」(“For want of a nail, the kingdom was lost”)という諺があります。これは、リチャード3世の敗北に関する有名なシェイクスピアの戯曲『リチャード3世』に由来しています。
 1485年のボズワースの戦いで、リチャード3世はリッチモンド伯ヘンリー・テューダー(後のヘンリー7世)に敗北し、これが薔薇戦争の終焉となりました。史実としての敗北の理由は軍事的な劣勢や政治的背景が絡んでいるのですが、次のような寓話的伝説の方が後世への教訓として残りました。

   リッチモンド伯ヘンリーの率いる軍勢は、王リチャード3世に迫ってきていました。戦いの朝、リチャード3世は宮内官に、お気に入りの馬の準備が整ったかどうかを見に行かせました。
   「急いで蹄鉄をはめろ。王は、この馬で隊の先頭をゆかれるのだぞ!」しかし、宮内官の命令を装蹄師はこう制しました。「ちょっとお待ちくだされ。ここ2、3日、兵隊たちの馬すべてに蹄鉄をはめてきたもんですから、鉄を取ってこなくてはならんのですよ。」
   「いいや、待てない。」 もどかしげに叫ぶと、宮内官は、「敵はすぐそこまで迫っている。野原で対戦しなきゃならん。残ってる分で間に合わすのだ!」
   仕方なく装蹄師は、しぶしぶ仕事に取りかかりました。鉄の延べ棒から四つの馬蹄を作り、槌で鍛え、形を整え、馬の蹄に合わせて鋲で留めはじめました。ところが、3つの蹄鉄をはめ終わったところで、最後の一つを留める鋲が足りないことに気がつきました。「鋲が少し足りません。鉄から打ち出すのに、ちょっと時間がかかります。」

   「待てないと言っただろう」宮内官は声を荒げました。「敵のトランペットが聞こえているじゃないか。今あるので間に合わんのか?」「はめることはできますが、他のやつほど、がっちりとはならんでしょう。」「もつか?」と宮内官がつめよると、装蹄師は、「たぶん。でも保証できませんよ。」「よし、じゃあ、それではめろ」と宮内官は叫びました。「急げ、さもなければ、われわれはリチャード王のお怒りをかってしまうぞ!」

   両軍がぶつかり合い、リチャード王は戦いの真っ最中。野原を縦横無尽に駆け、自軍の兵に檄を飛ばし、敵軍の兵と剣を交えます。「進め! 進め!」
遠く野原の反対側で、自軍の兵が何人か脱落して行くのが見えました。「他の兵たちがこれを目にしたら、さらに撤退してしまうかもしれない。」リチャード王は馬に拍車をかけ、逃げる兵にもどって戦えと命じながら、乱れた前線に向かって駆けて行きます。王は叫び、自軍をヘンリー軍の前線へと駆り立てます。

  やっと野原の半ばまで来たとき、蹄鉄が一つはずれ、よろめき倒れた馬の背から、リチャード王は地面に投げ出されてしまいました。馬は驚いて起き上がると、王が手綱をつかむよりはやく、逃げ去ってしまったのです。王はあたりを見回すと、自軍の兵は、雪崩を打つように敵に背中を見せて逃げ出しています。ヘンリーの兵は、もうそこまで王に迫っていました。王は剣を宙で振り回し、「馬をくれ!」と叫びます。「馬を!代わりにこの国をやるぞ、馬をくれ!」

   しかし、もはや馬はありませんでした。王の軍は散り散りになり、助かろうと必死に逃げまどうばかりです。そして、ついに、ヘンリーの兵がリチャード王を取り囲み、戦いは終わったのです。

   リチャード3世は約10000人の兵を率いていましたが、リチャード3世の部下であったスタンリー家(特にトマス・スタンリー卿とその弟ウィリアム・スタンリー)は戦場でリチャード3世の側についていながら、最終的に敵であるヘンリー・テューダー(後のヘンリー7世)に加勢したため、兵力はほぼ同等か逆転していました。この裏切りが戦況を大きく変えたのです。
   また、ノーサンバランド伯の不作為、つまり、リチャード3世の重要な支持者であったはずのノーサンバランド伯も戦場で積極的にリチャードを支援しませんでした。その結果、リチャード軍は劣勢に立たされたというのが主な敗因です。

   しかし、この寓話的な逸話の教訓は、小さな問題や欠陥を軽視すると、大きな悲劇や失敗を招く可能性があるという点を示してくれました。何かが不足したり、壊れたりしたときのリスクを考え、あらかじめ対策を講じることが必要だったのです。しかし、リチャード王は、気ばかり焦って準備を怠ったのです。「小さな鋲」が「大きな損失」を招かないよう、日頃から慎重な姿勢を保つことが大切です。


▲氷山に衝突するタイタニック号

 時は移ろい1912年4月10日、イギリスのサウザンプトンを出港したタイタニック号は北大西洋を横断し、ニューヨークへ向かう処女航海に出発しました。イギリスのホワイトスターライン社が、当時最新のテクノロジーを注ぎ込み建造した全長270メートル、4万6000総トンを誇る世界最大の客船でした。

 タイタニック号は、、最新技術による船体設計にもとづき、当時としては画期的な安全機構が備えられていました。すなわち、船底部分は、「二重底構造」と呼ばれ、二重構造になっており、損傷があっても、もう一つの壁で浸水を抑えられるよう設計されていました。また、「水密隔壁」によって、船体の下部には16の水密区画があり、4つまでの区画が浸水しても沈没しない設計でした。この構造により、万が一の浸水時でも安全だと考えられており、ホワイトスターライン社は、この船を「最も安全な船」として大々的に宣伝しました。
 一部の新聞や宣伝資料では、「実質的に沈まない船」(practically unsinkable)という表現が使われたことで、「沈まない船」というイメージが広まり、技術革新により、人類が自然の脅威に打ち勝つことができるという過信が当時の社会には広まっていたのです。

 この過信により、万が一の事態を想定しておらず、救命ボートの数は最低限の16艇、補助艇4艇を合わせても合計1178人分しか搭載されておらず、最大3547名の乗客の半数以上を救えない状況にあったのです。
 また、「不沈船」というイメージが強かったため、乗員への避難訓練が十分ではなく、乗客の誘導法は十分に確立されていませんでした。

 北極海の氷山は海流によりカナダのニューファンドランド島に沿って南へと押し流されてくることから、この付近の海には「アイスバーグ・アレー(氷山通り)」という異名が付いているほど氷山の多い海域です。しかも暖かいメキシコ湾流と冷たいラブラドル海流がぶつかりあうため、しばしば霧が発生しやすい海域でした。

 19世紀末の1884年には、デンマークの客船アイスランド号が氷山と衝突して沈没し、乗客数百人が犠牲となり、1901年には、カリフォルニア号が沈没は免れたものの、やはり氷山と衝突して大破していました。しかし、「不沈船」タイタニック号の乗員は、過去の事故など気にも留めていませんでした。
 それが証拠に、タイタニック号は、出航直前の交代の際、見張りの担当者であったデイビッド・ブレアが双眼鏡の保管されているロッカーの鍵を持ったまま下船してしまったのです。

 出港から4日後の4月14日午後11時過ぎ、月が出ていない暗い夜、タイタニック号はニューファンドランド沖の氷山の多い海域を、双眼鏡による見張りの監視もなしに、高速で航行し続けました。
 この夜、見張り台の乗組員たちは、肉眼だけを頼りに監視してはいましたが、氷山が接近してきたときには、もはや衝突を回避することはできなかったのです。

▲映画『タイタニック』の名場面

 タイタニック号は、午後11時40分に氷山と衝突、船体の複数の水密区画が同時に損傷し、水が次々と区画を超えて浸水しました。設計上、このような状況は想定されていませんでした。しかも、水密隔壁は天井まで達しておらず、浸水が隔壁を越えて他の区画に広がることを防げませんでした。そして、翌15日午前2時18分タイタニック号は、遂に沈没したのです。

 タイタニック号の悲劇は、過信や油断が大きなリスクを招くことを示す象徴的な例として、今でも語り継がれています。このことから、どんな技術やシステムでも完全ではなく、リスクに備えることの重要性が示されたといえます。

 この事故を契機に、船舶の安全基準が大幅に見直されました。国際海事機関(IMO)の規則やSOLAS条約(海上における人命の安全のための国際条約)が制定され、救命設備や訓練の基準が強化されました。
 また、タイタニック号には、ファーストクラス、セカンドクラス、サードクラスといった客室の等級による救助の優先順位が存在しました。このことは、非常時における公平性や全ての人命を尊重するという観点や迅速な避難という視点の欠如を浮き彫りにしました。
 乗員と乗客に十分な避難訓練が行われていなかったため、パニックが広がり、避難が混乱しました。多くの乗客は船に取り残されたまま、1500人以上が犠牲になったのです。緊急時の備えや訓練の重要性が改めて認識されました。

 当時の無線通信技術は進歩していましたが、他の船との氷山警告が十分に共有されなかったため、事故を防ぐことができませんでした。このことは、情報共有とコミュニケーションの円滑さが危機管理においていかに重要かを教えています。

 タイタニック号の悲劇は、技術の限界や過信、最悪の事態を想定して備えるという危機管理の基本が欠如していたことを示すものでした。同時に、この教訓を基に安全対策が進化し、多くの命が未来にわたって守られるようになりました。この過去の失敗から学び、リスクに備えることの大切さが最大のメッセージです。

 事故や災害における「ヒューマンファクター(人間が原因となった要因)」は、人間の行動、判断、認知、心理状態などが事故や災害の発生や影響に大きく影響してしまうことを指しています。現場の規則が徹底しておらず、時には、「どうせいつものことだ」と危険信号を無視するような事態は、徹底して避けなければなりません。

 誤ったボタンを押す、操作手順を間違えるなどのミスがシステム異常や事故を引き起こすといった「ヒューマンエラー」やチェルノブイリ原発事故のような重大な警告を「些細なエラー」と判断し、適切な対応を取らなかったリスク認識の低さ、また、現場作業員が上層部への報告をためらい、問題が拡大するという組織文化の問題や過密スケジュールの中で起こるコミュニケーションエラーやチェック不足など、「ヒューマンファクター」による事故や災害はあとを絶たないのです。
 これらの「ヒューマンファクター」は、教育や訓練、システム設計、組織文化の改善などでリスクを軽減することができます。また、人間の限界を考慮したAI時代に即した対策を講じることが求められています。

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