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世界的ロングベストセラー小説『アルケミスト』を読み解く


▲パウロ・コエーリョ『アルケミスト
夢を旅した少年』(角川文庫の表紙)

    世界的ロンベストセラー小説『アルケミスト』の「アルケミスト(Alchemist)」とは、錬金術(Alchemy)を行う「錬金術師」のことです。錬金術は、かつて金属を変化させることで「賢者の石」を作り出し、鉛などの腐食しやすい卑金属を黄金に変えると信じられていました。「アルケミスト」は、科学や哲学、神秘学の探究者のことであり、単に物質的な変化を求めるだけでなく、精神的・哲学的な成長や変容も追究できる存在でした。つまり、錬金術は、物質の変化と人間の精神的変容を重ね合わせる象徴として理解されることが多く、「アルケミスト」は「自己の浄化」や「完全性の達成」を目指す存在とも考えられます。また、現代では「アルケミスト」という言葉は、パウロ・コエーリョの世界的ロングベストセラー小説『アルケミスト』の影響もあり、「夢や目標を追求し、人生の意味を探し求める人」という広い意味で用いられるようになりました。


▲パウロ・コエーリョ氏

 
この寓話的小説『アルケミスト』は次のように始まります。「少年の名はサンチャゴといった。あたりが薄暗くなり始めた頃、少年は羊の群れを連れて教会の廃墟に着いた。教会の屋根は遙か昔に崩れ落ちて今はなく、かつて祭壇のあったところには巨大ないちじくの木が生えていた。」
そしてサンチャゴは羊の群れを門の中に入れ、読み終わったばかりの本を枕にして横になります。そうして「この次はもっと厚い本を読もう。そうすればもっと長く楽しめるし、もっと気持ちのいい枕になるだろう」と独りごとを言うのでした。するとサンチャゴは、不思議な夢を見ました。1週間前に見た夢と同じ夢でした。その夢は、子どもたちが自分の手をとりエジプトのピラミッドに連れて行くというものです。

 スペインのアンダルシアに住む主人公のサンチャゴは、パン屋の息子であり、神父になるために学校へ通いながら、羊を飼う手伝いをしていました。彼は、自分の飼う羊たちに愛情を注いでいましたが、羊たちは食べ物と水を求めるだけで、頭を上げて、緑なす丘や沈む太陽の美しさに見とれることなどありませんでした。サンチャゴの両親も、羊と同じように、いつも生活に追われて懸命に働き、夢も捨てるしかなかったのです。美しいアンダルシアには、旅人たちが、古風な村のようすやなだらかに広がる丘の魅力に惹かれてやってきますが、サンチャゴの両親にとって、ここは夢に描く場所ではありませんでした。しかし、サンチャゴは、字を読むことができ、書物を通して様々な世界を知り、いつか旅をしたいと思うような少年でした。
 そんな彼が、ある時エジプトのピラミッドに行けば素晴らしい宝が見つかるという同じ夢を二度も見ます。そこで、サンチャゴは、このままの生活を続けるのではなく、広い世界に、旅をしたいと思うようになりました。実は彼の父も過去に同じ夢を抱いていましたが、パン屋の仕事をやめることで環境が変わる恐れや周りの目を気にして諦めてしまっていたのです。
 サンチャゴは、父を見て、「結局、人は自分の運命より、他人が羊飼いやパン屋をどう思うかという方が、もっと大切になってしまうのだ。」と思っていました。それでも父に夢を打ち明けると、何と父は、自分と同じ夢を持った息子を応援するために、遺産の一部を息子に渡して、羊飼いになって旅をすることを許したのです。サンチャゴは、夢で見た「前兆」を信じ、得られるかわからない宝物を求め長い旅をする決意をします。

 キャラバンとともに長い砂漠を越えようとする途中、錬金術師を目指すイギリス人と知り合いになります。彼はオアシスにいる錬金術師に会うためにはるばるやってきたといいます。羊と旅を続けていくうちに、サンチャゴは旅をうまく続けられないことに悩み、「自分なんかには無理だったのかもしれない」と悩みます。
 訪れた街の広場でサンチャゴは不思議な老人と会います。「運命とはおまえがいつもやりとげたいと思っていたことだよ。誰でも若いときは自分の運命を知っているものなのだ。まだ若い頃は、すべてがはっきりしていて、すべてが可能だ。夢を見ることも、自分の人生に起こってほしいすべてのことにあこがれることも、恐れない。ところが、時がたつうちに、不思議にも、自分の運命を実現するなんて不可能だと、彼らに思い込ませ始めるのだ。誰もが世界最大の嘘を信じている・・・人は人生のある時点で、自分に起こってくることをコントロールできなくなり、宿命によって人生を支配されてしまうということだ。それが世界最大の嘘じゃよ。」
 つまり人は、自分が本当にやりたいことがあっても、自分の生きたいように生きることができないと思ってしまうというのです。いつだって、そのブレーキは自分で外せるのに、「できない」という否定的な暗示によって、自分が支配されてしまうという思い込みを老人は「嘘」と表しています。人は誰でも自分の運命を操ることができないというこの「最大の嘘」を打破して、自己の運命を自ら決定づけることができるのです。ただし必ず「前兆を読む」ことが必要だ、世界を一つのものとして考えられるようになるとき、それが可能になるのだ、と悟されるのでした。

 文豪・ゲーテは述べています。「できること、できそうだと思うことがあれば、始めたまえ。大胆さが天才と力と魔法とをはらむのだ」と。「できそうだ」と思ったときが、「前兆」なのです。

 そして、よくよく話を聞いてみると、そのみすぼらしい格好をした老人は、セイラムの王でメルキゼデックだと名乗るとともに、サンチャゴのことを全て知っているといいます。サンチャゴが夢を見て、宝を探していることも知っていた王様は「連れている羊の半分をくれたら、宝の場所を教えよう。」と言うので、サンチャゴは、本当にあるかわからない宝物のために、一緒に旅してきた大切な羊を差し出しました。
 夢を叶えたいと考えたときに、「何かを得るには、何かを犠牲にする必要がある」ということを表しています。代価を払わなければならないということから目をそむけてはならないのです。

 王様はエジプトにある宝物を探すための方法は、行動すればわかると言い、「おまえが何かを望む時には、宇宙全体が協力して、それを実現するために助けてくれるのだよ」と後押しします。
 この言葉はくり返し語られ、一種の「引き寄せの法則」となっています。そして、サンチャゴに「ウリム」と「トムミム」という石を渡しました。これは「前兆」を予測してくれる石でわからないことがあったときに、この石に聞けばよいといいます。

 ピラミッドに旅立つサンチャゴに対し、王様は、「世界で最も賢い男」から幸福の秘密を探ってくるよういいました。そのためサンチャゴは、とある賢者の宮殿を訪れます。賢者は2滴の油が入ったスプーンをサンチャゴに渡し、「スプーンの油をこぼさないように宮殿を2時間散策するよう」伝えました。サンチャゴは宮殿を散策し終えましたが、油に気を取られて宮殿の素晴らしさを味わえませんでした。そこで再び宮殿を散策して素晴らしさを味わうものの、今度は油がどこかへ消えてなくなっていたのです。「世界で最も賢い男」は言いました。「幸福の秘密とは世界のすべてのすばらしさを味わい、しかもスプーンの油のことを忘れないことだよ」と。

 「ウリム」と「トンミム」は、ヘブライ語で「光と完全」または「真理の光」を意味する言葉です。元々、聖書の出エジプト記28章30節に、大祭司アロンが聖所での奉仕の際に、「ウリム」と「トンミム」と呼ばれる宝石を胸の上に抱いていたという記述があり、アロンは、大切なことを決定する際に神のご意思が示されるように、この宝石を求めていたといいます。

 サンチャゴは残った羊を売り、船でアフリカに渡り、タンジェという港町に着きますが、言葉もわからない彼は、旅先でガイドになるといってきた若い男と友人になれたと思ったやさきに、その男に全財産を奪われてしまいます。
 さすがに王様に羊をあげたことを後悔して、王様からもらった「石」にこのまま旅を続けて良いのか尋ねますが、石は質問には答えず、床に落ちてしまったのです。サンチャゴはこのときに、「自分で決断しなければならない」と気づき、今の自分の状況をどう捉えるべきかを考え直しました。

 サンチャゴが気づいたことは、「賢い人は世界の素晴らしさを味わいながら、あげてしまった羊のことも考えられるものだ」ということです。つまり、自分がここまで旅を続けることができたのは、王様にあげた、羊のおかげであることを忘れないということであり、たとえ成功しても「当たり前」だと思えるようなことに感謝できるかが、夢の成否に大きく影響するということです。
 一文無しになったサンチャゴは、「自分は全財産を盗まれた不幸者」と思うのか、「宝物を探す冒険家」に起こり得る試練と捉えて前に進むのかで自分のあり方が変わることに気づき、ならば再びお金を貯めればよいと決意し、あるクリスタル商人のもとで働きました。働いた結果、1年の間に現地の言葉を覚え、商売も繁盛させました。サンチャゴはアンダルシアに帰るだけの十分なお金を手にしたのです。
 旅を続けることを諦めて、故郷に帰ろうと思っていたサンチャゴでしたが、クリスタル商人との生活を通して、羊飼いにはいつでも戻ることができることに気づき、そうであれば、今「宝物」という夢を目指さない理由はないと、また夢を追いエジプトを目指してキャラバンとともに砂漠を渡る決意をしたのです。
 そのキャラバンには、錬金術師(アルケミスト)を探し続けているイギリス人もいました。ともに旅をしていく中、部族間の大きな戦争をさけるため、砂漠のオアシスに避難することになったのですが、そこで少年は運命の女性ファティマに出会います。一目見ただけで、サンチャゴは彼女が運命の女性だと認識しプロポーズします。サンチャゴはファティマとともにオアシスにいたいと旅を続けることを再び悩んでしまうのですが、そんな時に、探していた錬金術師と出会います。錬金術師は、彼にたくさんのことを教えてくれました。錬金術師は、サンチャゴへ「真の愛は、夢を妨げるものではない、富を得て何不自由なく暮らせるころには遅すぎる」と言い、今旅に出ることをもう一度諭します。そして彼女も、男が自分の運命を追及するのを、愛は決して引き止めはしないと、大いなる魂に導かれる宝探しの旅を後押ししたのです。

 『アルケミスト』は、情熱的な恋愛が人生の中心に置かれなければならないという考えを否定します。 人はそれぞれ独立して、追い求めるべき運命というものがあり、たとえ必要な富や愛がすべて揃っていたとしても、この運命の下になすべきことをやりとげようとするものだと主張します。

 錬金術師はサンチャゴをいずれ錬金術師になれる弟子だと考えており、「自然と世界を理解して」おり、サンチャゴが「自分を風に」変えることが出来ると断言するのでした。「でも、僕はどうやって自分を風に変えればいいのか、わからないのです」と戸惑うサンチャゴに、錬金術師は更に次のように言います。「もし自分の運命を生きてさえいれば、人は知る必要のあることをすべて知っている。だが夢の実現を不可能にするものがひとつだけある。それは失敗するのではないかという恐れだ」と。
 
 錬金術師から話を聞いたサンチャゴは未来の恐怖を想像するのではなく、今行動すべきなのか悩み続けますが、その後サンチャゴは、「前兆」の力を使い、オアシスに訪れる不幸を予測し、人々の良き相談役となって、多大な富を手に入れることになるのです。
 すなわち、サンチャゴは砂漠、風、そして太陽と話をし、最後に太陽のアドバイスに従って「すべてを書いた手」の方に向き直り、祈り始めるのです。それは彼にとっていまだかつてない祈りであり、「言葉も願い事も」ない祈りでした。そしてサンチャゴは、「大いなる魂に到達し,それが神の一部であること」を悟るのでした。無名の少年に過ぎないその彼自身が「奇蹟を起こすことが出来る」と知ったのです。こうして悟りに達しつつある少年の周りでは「風」が吹き荒れ,そのお陰でサンチャゴは命拾いをするのでした。
 「風」は形や方向を持たず、自由に動き続ける変幻自在な存在です。それは、サンチャゴが固定観念や安定した生活から離れ、自分の「個人的伝説」を追い求める姿と重なります。「風」は、変化を受け入れることや未知の可能性を追い求めることを示唆しており、壮大な自然や宇宙と人間のつながりを表現しています。つまり、この物語の根底にある「万物の言葉」、すなわち論理的な思考ではなく、目には見えない精神的な真実や普遍的な叡智を象徴しているのです。「万物の言葉」とは、言葉や文字に限定されず、自然、感情、シンボル、直観、兆候(オーメン)など、あらゆる存在や現象を通じて現れます。サンチャゴは、これによって、自分の「個人的伝説」を追求する力を得たのです。
 サンチャゴは、愛を信じて、錬金術師と一緒にもう一回旅に出ることを決意します。錬金術師と旅に出て、幾多の困難に出会いますが、ようやく探し求めていたピラミッドへたどり着くことができました。そして錬金術師の作った金塊を渡され彼と別れたのです。
 そこでサンチャゴは、「旅の途中で出会った人、学んだことすべてが宝物なのだ」と気づくことができました。羊飼いだけを続けていたら出会うことができなかった人や、考え方に触れ、諦めずに夢を目指し続けることで、自分が昔の何倍も成長できたことに気づくことが出来たのです。神や今まで出会ったすべての人に感謝し、泣きながら砂を掘り続けました。
 
 そこに戦争をしている部族が現れ、「宝物を探しに来ただけだ」と訴えるサンチャゴを打ちのめし、金塊を奪うと部族のリーダーはこう言いました。「お前は生きのび、人はそんなに愚かではいけないと学ぶだろう。二年前のことだ。スペインの平原に行き、羊飼いと羊たちが眠る見捨てられた教会を探せという夢だった。そこのイチジクの木の根元を掘れば、そこに隠された宝物を見つけるであろうと俺は言われた。何回も同じ夢を見たからといって砂漠を横断するほど俺は愚かではない」と。
 つまり、宝は少年が夢をみたあの教会のイチジクの木の下にあるとわかったのです。イチジクの木は、豊穣や繁栄の象徴であり、厳しい環境でも育つことから生命力や再生の象徴ともされています。こうしてサンチャゴは見事、それを掘り出し、精神多的な宝物と財宝を手にいれると、ファティマのもとへ戻っていくのでした。

 幸せと運命についてサンチャゴの心が彼に向かって語りかけます。「幸せな人は皆、自分の心に神を持っている」のであり、「世界中の全ての人にはその人を待っている宝」があるのです。しかし「不幸なことに、ごくわずかの人しか、彼らのために用意された道――彼らの運命と幸せへの道を進もうと」しないのであり、「ほとんどの人は、世界を恐ろしい場所だと思っています。そしてそう思うことによって、世界は本当に恐ろしい場所に変わってしまうのです」と彼の心は告げるのでした。

 人が夢を追いかけることの困難さ、そして認識のありようによって世界の相貌が変わってしまうこと、更に夢の実現を妨げるのは何よりもその人自身の心の在りようであることが述べられています。それは、決して「啓示」ではなく、自らの「直観」と「意志」の力であり、いわば「引き寄せの法則」なのです。
 この本の中で何度も出てきた「マクトゥーブ」は直訳すると「それは書かれている」という意味で、「起こりうる物事は、すべて起こるべくして起きている。それを感じるか感じないかはその人次第である」ということを表しているのです。

 セネカは言う。「自らを不遇だと推断するほど、その身を不遇にするものはない。」カミュは言う。「人間には、それぞれ運命があるにしても、人間を超越した運命というものはない。」そして、サルトルは言う。「人間の運命は、人間の手中にある」と。

 本書は、サンチャゴという少年を通じて、人生の目的を見失わずに進むことの大切さを示唆しています。サンチャゴは、王からもらった石を通じて、自己と対話する術を学びます。サンチャゴの旅は、ただの冒険ではなく、内面世界の探究です。 私たちの人生は、予期せぬ出来事で満ちています。それでもサンチャゴのように、これらを乗り越えることで、私たちは自分自身をより深く理解し、成長する機会を得られるのだと確信します。

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