幸せを求めて旅に出ますか
メーテルリンクの有名な戯曲『青い鳥』に登場するチルチルとミチルは、幸せの「青い鳥」を探して、旅に出ましたが、結局それは身近なところにあったのです。
物事や世界を悲観的に見て、生きることを嫌悪する態度をペシミズム(厭世主義)といいますが、そこまで支配的ではないにしても、何かにつけマイナスに考える人はいます。世界には耐え切れない程の不条理が存在するのも事実です。しかし、自分の不幸の原因は、現実をどう見るかの問題であって、よく見るとそこには、「緑色の目をした怪物」(Green-eyed monster)が住んでおり、この嫉妬心に突き動かされて、思い込み、勝手に作り上げているのではないかと疑ってみれば、解決するかもしれません。
同じ不幸なことがあっても、すごく不幸になる人もいれば、それほど不幸にならない人もいます。それは、その人の心のあり方によるのです。幸福になれない人は、欲する心・望む心が足りないのかもしれません。「人生なんてこんなもの」「どうせ私はこんなもの」などと思って、幸せになる努力をしない人の幸せは、ますます遠のいてしまいます。
大抵の不幸の原因は、他人との比較によるものです。相対的な不幸の多くは、競争に敗れているという認識から生まれています。競争に勝つことが成功であり、「負け組」といわれれば悔しくて仕方ありません。しかし、競争は絶えず加速され、その結果は肉体と精神の疲れです。
受験競争に勝って、一流大学を出て、一流企業に就職して、立派な家に住むのは、確かに幸せでしょう。しかし、一方で、幼い頃に養うべき心の豊かさや青年期に抱くべき社会貢献への夢を育むことなく、時間が過ぎ去ってしまったらどうでしょう。20年という長い年月をかけて仕事に没頭したとしても、大した満足感を得られなかったばかりか、健康や家族までも犠牲にしたとしたらどうでしょうか。仕事のための時間を、他の大切なもののために費やした方が、幸福だったかもしれないと後悔するかもしれません。ストレスが蓄積したら、休養やヒーリングが必要です。
人は誰しも、他人からどう思われるかを気にします。しかし、人の思惑ばかり気にしすぎると人に気を遣いすぎて疲れてしまい、自分を出せず、やりたいことができません。これでは、自分が望むように生きることはできないでしょう。
他人を気にせず、深呼吸をして、好きなこと、好きな食べ物、愛する人に集中してマインドフルネスに徹してみましょう。世間の評価にとらわれないことは、一つの力であり、幸福の源泉です。世の中にはいろんな価値観をもった人がいます。そんな時、「こんな人もいる」と相手の存在を受け入れ、平然とやり過ごす方が、人間関係もうまくいきます。人や世間がどう思うかよりも、自分がどう思うかのほうが大切です。自分らしく生きることが、幸福への近道です。幸せになるためには、自分が何を望んでいるかを知り、その望みを叶えるように行動すればいいのです。フランスの作家アンドレ・モーロアは、「望みどおりの幸福をえられなかった過去を否定して、自分のために、それを変えていこうという希望こそ、甦生した人間のもつ魅力なのである」と述べています。どんな自分でありたいか確固たる人生哲学を持てば、鬼に金棒です。
自分が今もっていない幸福だけを求めていると、今、幸福を感じることができません。社会や政治を批判することは、大切ですが、自分の幸福を他人や社会から与えてもらうことばかり望んでも、幸福にはなれないでしょう。幸福を他者に求めず、自分軸で考えてみましょう。誰でも幸福を自らの内にもっているのに、気づかないだけなのです。
東日本大震災を目の当たりにして、多くの日本人が「物質的幸福のはかなさ」というものを痛感しました。家も仕事も家族も失い、今まで幸福を感じてきた土台が崩れ、何に幸福の保障を求めればいいのかわからなくなったのです。あれ以来、家族や人との「つながり」を求めるニーズが高まり、「共生」「共助」の社会を日本全体が求めるようになったといいます。しかし、そうやって気づかされたはずなのに、10年も経てば忘れてしまい、また同じことを繰り返すのでしょうか。
幸福を外に求めずに、自分自身の心を変えることです。今までとは異なる価値観を持って生きるのです。心に希望をもっていきいきと生きられること自体が幸福なことなのです。過去に固執し、後悔ばかりするよりも、これから先の時間を悔いのないように変えていくことができれば、結果的に過去は肯定されるものになるでしょう。
自分の人生を誰のため、何のために使うのか、よくよく考えてみましょう。旅自体が幸せを保障してくれるわけではありませんが、自分の内面を探究するための旅なら意義はあるでしょう。パウロ・コエーリョの『アルケミスト』の中で、スプーンの油をこぼさないように宮殿を散策する場面があります。そこで賢人は「幸福の秘密とは世界のすべてのすばらしさを味わい、しかもスプーンの油のことを忘れないことだよ」という言葉を通して、人生の美しさや日常の喜びを失わないようにしながら、同時に自分の目標や責任を果たすことの大切さを教えるのでした。
人間の欲望には、限りがありません。哲学者エピクロスは、快楽の最大化を理想としましたが、欲望をひたすら叶えようとするのではなく、むしろ心の平安を乱す状況からは離れ、可能な限り欲望を減らすことで、理想とする「アタラクシア」(平静不動)の境地をえることができるとしています。
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