奴隷を解放し続けた黒人女性
~ハリエット・タブマンの執念の闘い~ シリーズ➊~➍
➍南北戦争(奴隷解放の闘い)
1851年にストゥの『アンクル・トムの小屋』が出されて奴隷制反対運動が盛り上がり、さらに22か国語に訳され、ヨーロッパ諸国の世論をも動かしました。リンカンは、次第に黒人奴隷制拡大に反対する論陣を張り注目され、共和党から大統領候補に指名されて立候補し、1860年11月に当選、第16代アメリカ大統領となりました。南部連合の諸州は直ちに反応し、12月に合衆国からの分離を決定し、翌年2月にはジェファソン=デヴィスを大統領に選出、「アメリカ連合国」を発足させました。3月に合衆国第16代大統領として就任したリンカンは南部の分離主義を厳しく批判しましたが、奴隷州でありながら中立を守った州もあったため、戦争回避を優先し、奴隷制廃止は明言しませんでした。
しかし南北の対立は1861年4月、サムター要塞の攻防戦で火ぶたを切り南北戦争へと突入、リンカンは軍の最高司令官として戦争の指揮に当たることとなったのです。
1862年40歳のハリエットは、自ら南北戦争に参加しました。1863年1月には、リンカン大統領が「奴隷解放宣言」を発表し、南部連合の諸州にいる奴隷の解放を宣言しました。1863年6月、ハリエットは、モントゴメリー大佐の指揮のもと、南北戦争において、女性として初めて武装戦を率いたのです。そして、諜報員として北軍に尽くしながら、看護師や料理人としても活躍しました。
1865年4月9日、南部連合は降伏し、約4年にわたった南北戦争がついに終結し、約400万人の奴隷が解放されました。しかし、奴隷は自由になったものの、差別や偏見は、以前と変わりなく続いていました。ハリエットは、貧しい境遇のままの黒人たちを支援し、生涯にわたって黒人差別と闘い、91歳でこの世を去りました。
現20ドル紙幣の肖像を第7代大統領のアンドリュー・ジャクソンからハリエット・タブマンに差し替えることが2016年のオバマ政権時代に決定されましたが、2019年のトランプ政権時代に延期が発表されました。しかし、バイデン政権は、あらためてハリエットの肖像を20ドル札のデザインに起用する計画を加速化する方法を探っていると発表しました。
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