統一教会員の間違い④ (霊感商法問題)「万物復帰」というみ言葉は存在しない
統一教会員の間違い② において「条件物」は万物でもお金でもないと説明しました。では、統一教会での「聖業」と言われた営業、「万物復帰」というものはいったいなんだったのでしょうか。
ここでまた、文鮮明先生のみ言葉を紹介したいと思います。
牧会者の道
第五章 牧会者と食口指導
第四節 蕩減復帰と公式路程
四 ファンダレイジングと伝道
1 ファンダレイジングと伝道とは何か
より抜粋
ファンダレイジングとは何ですか? 物を愛したという公証です。伝道とは何ですか? 人を愛したという公証です。そうしてこそ、妻が必要であり、夫が必要なのです。万物を愛することができず、人を愛することができない新郎、新婦を誰が必要としますか? 誰が願うかというのです。誰が願いますか? そういう男性を新郎として侍ろうと、どんな新婦が来ようとしますか? 来ません。そういう女性には新郎も来ません。
では、愛とは何ですか? 物質をもって節約し、惜しんで使うことのできる生活をしなければならないというのです。物質を愛し、その次に人を愛さなければならないのです。人間同士揉まれる社会生活において、どうかすると争いもし、不平も言うものです。不利になると、ああだこうだといろいろ事件が多いのです。そういう生活の中でじっと我慢しつつ、「うん! 愛するから耐えよう」という訓練をしなければならないのです。(一一一―一七八)
2 蕩減復帰すべき二つのこと
私たちが復帰路程を行くにあたって、なぜファンダレイジングと伝道を重要視しなければならないのでしょうか? それは摂理的に見るときに、神様が創造したものを人間がすべて滅ぼしてしまったので、私が再創造しないといけないからです。再創造するためには、神様が精誠をささげたので、私も精誠をささげるときにその条件が復帰されるのです。何のことなく、遊びながらするのですか? (いいえ)。神様がこの宇宙を造る時、遊びながら、踊りながら造ったのではないのです。精誠をすべて尽くして造ったのです。神様が創造なさった時のように、私が再創造するのが復帰の道です。
歴史的に見るとき、これ(ファンダレイジング)は旧約時代を越えるための方法です。それを知らなければなりません。旧約時代は物質で祭祀をささげたのです。蕩減復帰するには物質で祭祀をささげ、勝利しなければならないのです。そうでしたか、そうではありませんでしたか? (そうでした)。
完成しなければならないのです。これをパスしてこそ、その次に新約時代に入り、伝道できるのです。人に相対できるというのです。分かりますか? 教会で提示する経済基盤を立てることにパスしてこそ、伝道できます。伝道とは何ですか? 人を創造しに行くのです。人を再創造しに行くのです。そのまま伝道すればいいのですか?
ここで考えなければなりません。「経済問題を復帰しようとしてどれほど難しかったか、そうやって力を尽くして探したものだから手離せない」、こう言わなければなりません。それを知らなければならないのです。そうやって探さなければならないのです。「そのために私がもっている宝物やあらゆるものを全部投入し、私の汗と涙をすべて投入したから一番貴いものだ」、こういう考えをしなければなりません。
私も様々な統一教会の書物、文鮮明先生のみ言葉を読みましたが「万物復帰」の考え方である
「天の万物を授けて復帰する」などという内容はどこにもありません。
そもそも「授かる」という発想はあっても「授ける」などという考え方はあり得ません。「天の万物」という考え方もおかしいのです。なぜなら万物そのものは堕落していないからです。万物を神側に復帰する、という文先生のみ言葉は存在します。サタンが主管するようになった万物を神側に復帰する、という内容です。しかし、です。その神側に復帰したはずの万物を、統一教会が言うサタン側に売ってしまったら、復帰になりません。これは
「万物を売ったことでお金を得る」ことを「復帰」とした、み言葉の曲解だ
と思われます。
これに付随して
「信仰販売」という考え方も、私は間違いだ
と考えます。「販売することが信仰だ」とした、この考え方は文鮮明先生のみ言葉には存在しません。そもそも、販売とは経済です。信仰ではありません。文先生の「ファンダレイジング」の考え方は、販売そのものが信仰だと言っているのではなく、「経済問題を復帰する」と説明しているのです。これは大きな違いだと思います。何のために販売するのか、という事です。
どうしてこのような曲解を産んでしまったのでしょうか。この曲解によって、当時「万物復帰」を行った人の中には売上が伸びず「信仰がない」と責任者に切り捨てられた人が多いのではないか、と思います。でも、営業において実績が出る出ないは信仰ではないはずです。実際、私の働いていた配置薬の会社において、同じエリアを統一教会員と非統一教会員が回って、非統一教会員のほうが売上が上がった、というケースは少なくありませんでした。売上が上がる上がらないは「トーク力」「エリア」「商品力」であることは明白で、説明するまでもないと思います。まさに「霊感商法問題」は、売上を上げるためにおかしな販売をしたことが問題になっている訳で、信仰でも何でもない、ということが、文鮮明先生のみ言葉でわかると思います。このことを統一教会組織及び統一教会員がまず反省し、世の中に謝らない限り、サタンの讒訴はなくならないと、私は思っています。
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