「察する」ことで失っているもの

世界はわからないが、日本では空気の存在はとても大事だ。誰も直接口には出さないが、その場の空気が何かを物語っている場面は多い。そしてその空気を読む能力、察する能力があることは社会で生きていく上で必須と言われている。

私は子供時代からこの空気を読む、察するということが極めて苦手である。40歳にもなったのでたくさんしてきた失敗から今はなんとなくパターンで認識できているが、本当の意味で空気を読めているわけでも察しているわけでもない。(あ、このパターンの時はAという意見の時だな、というように頭の中にある引き出しから引っ張ってくるだけではある)
私の場合は、自閉スペクトラム症(=ASD)があるのでその特性でもあるかもしれないが、曖昧な表現を理解することが苦手だし、言わなくてもわかるをわかったことがほぼない。言わなければわからない人である。

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