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有難いに甘えがないか

今年も、自分の発行しているメルマガが「まぐまぐ大賞」において入賞とのご連絡を頂いた。
2014年の大賞受賞以来、毎年必ず受賞させて頂いている。

これは「頂く(あるいは戴く)」という表現が正しいのであって、「獲得」したものではない。
なぜなら、自分の努力だけで得ることは不可能だからである。
推薦してくださる方が大勢いて、かつ選出してもらえねば成り立たない。

率直に言って、感謝しかない。
たった週1回、徒然なるままに書いた文章を認めて頂けることなど、僥倖としか言いようがない。
まずもって有難うございますと申し上げたい。

しかしである。
ここにおいて、考えるべきことがある。

前号でも紹介した、ある経営者の方から伺った言葉をここに記す。

「有難いに甘えがないか」

これである。

有難うは、いい言葉である。
間違いない。

しかし、これでいい、と思ってしまう節がないか。
便利な言葉に甘えていないかということである。

感謝を言葉にして伝えることは必要である。
しかしそれ以上に大切なのは、行動である。

今回の件でいえば、まぐまぐ大賞をまた頂いたのだから、今後もそれに見合った貢献度が求められる。
新規で申し込んだ方が
「まぐまぐ大賞に入賞という看板だけで中身がない」
という感想を抱くようでは、推薦してくださった方々の顔にも泥を塗ることになる。

本でも何でもそうだが「売れるからいいもの」とは限らない。
「いいものだから売れる」とも限らない。
数学的に言うと、命題に対する逆・裏・対偶の全てが成立しない。

どんなに称賛されても、そのものの真の価値を保障してくれるものではない。
称賛に対し、有難うという言葉に相応した行動と結果が必要である。

具体的には、まず続けること。
内容についても、人々に希望と勇気、あるいは気付きを与えられるものでなくては価値がない。
「こんな風にすればうまくいく(ことがある)」というハウツーも時には必要になる。

今日の記事でいえば
「有難いに甘えがないか」
を読者の皆様にも改めて考えて頂くことで、生活に変化が起きるかもしれない。

例えば、学校の子どもたちや保護者。
例えば、同僚。
例えば、家族。

学校生活で言うと、毎日給食で「いただきます」と言うが、それが具体的な形になっているか。
食べ物を粗末に扱い、食器もぐちゃぐちゃに返しているようでは、そこに甘えが生じている。
(ちなみに完食どうこうの話ではない。)
こんなことを書くのは、私自身にも甘えの覚えがあるからに他ならない。

感謝を口にしたら、行動に移す。
結果に甘えず、今後も精進していきたい。

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