『数学は天才たちが命を燃やした結果。暗記科目だった』久保利英明×島地勝彦
久保利英明×島地勝彦(エッセイスト&オーナーバーマン)
2021年5月対談vol.3
島地「先生、今のすべては自分で独学できたんですか」
久保利「独学っていうか、先生に教わってることはあるけれど」
島地「そんなに影響されてることはない」
久保利「ない」
島地「先生、天才です」
久保利「基本は、どうやって生きていこうか」
島地「先生、東大の法学部の在学中に3年だっけ、4年だっけ」
久保利「4年在学中に司法試験には受かりました。その前にちゃんと1年」
島地「それで世界旅行行くんだよね」
久保利「受かっちゃったんでめでたい。なかなかこの試験って受からない」
島地「すごいなあ。開成高校ですね」
久保利「開成高校。僕は一浪してるんですよ」
島地「入るのに?」
久保利「東大に入るのに」
島地「難しいんだ、東大っていうのは」
久保利「生徒会長とラグビー部と両方やってたから」
島地「大変だよ。それ」
久保利「ガリ勉して受かるやつはいても、そういうやつはあまりいないだろうと。僕は、いいんだ」
島地「そこがいいんだ、そこが」
久保利「一年落っこちても浪人してもいい。だけど今やんなきゃいけないことは何か。それは生徒会を真面目にちゃんと」
島地「すごいなあ」
久保利「やることと、ラグビー部を部に昇格させて成績を残せるように練習することだ。この二つは、学問というか、受験よりは優先順位だと思った。どっちかと言うと、本を読むことが大事だと言った島地さんと同じで、そういうふうに僕は考えたんで、いいと思った。落っこちても、一年やりゃあ」
島地「それで落ちないと思った?」
久保利「半分ぐらいね、数学ができなかったからね、当時はね」
島地「ああ」
久保利「そうしたら、予備校行ったら、すごいこと教わったね「君、数学というのは暗記だよ」」
島地「ハッハッハッ(笑)」
久保利「「君はひょっとしたら、試験問題を見てから考えてないか」と。「当たり前でしょう」と」
島地「(笑)」
久保利「「そういうもんでしょう」って。「バカモンが」と。
それこそアルキメデスとかピタゴラスとか、いろんな天才たちがね、自分の人生を無にしながら、法理や定理をね一生懸命発見してきた」
島地「はいはい」
久保利「そのね、とんでもない天才たちの死屍累々の成果が、今の数学なんだと。これを暗記せずしてどうするっ」
島地「それで、もう目から鱗だ」
久保利「目から眼(まなこ)が落ちるぐらいのね」
島地「ハッハッハッ(笑)」
久保利「受かりましたよ。だって、数学がほとんど0点だったのが、満点とれるようになったんだから」
島地「暗記だから」
久保利「暗記だから」
島地「暗記力あるからね」
久保利「俺はなんて数学的センスがないんだと思ってた。それがすごい楽になったんですよ。天才たちのね、命をね」
島地「面白い、その話。参考になるね」
久保利「命を燃やす、そういうものの成果だよと」
島地「東大を受けるには、数学、微分積分までやるの?」
久保利「微積はないです」
島地「ないの」
久保利「当時はね。数Ⅱまであるんだけど」
島地「までいくんだ」
久保利「僕は数Ⅲにいくと、突然強いの。自分の頭で考える、行列とかね、整数論とか。そうなるとね、なぜか結構僕強いの。それは試験範囲に入ってないの」
島地:「(人生の師匠)久保利先生はいないんでしょう?」
久保利「いない」
島地「私はね、まず集英社入った25歳の時、一浪一留年したの。青山で留年するの大変ですよ」
久保利「(笑)」
島地「誰でもエレベーターであがっちゃうの」
久保利「いっちゃうの」
島地「学校に行かなかったら留年したの。黙々と本を読んで、あれは一種のひきこもりですね」
久保利「うんうん」
島地「二十歳の時、それぐらい心が病んでたの。その後、縁があって集英社入ったでしょう。最初の私の担当がそのころ飛ぶ鳥落とす『眠狂四郎』の時代小説書いてた柴田錬三郎先生」
久保利「担当者。ほお」
島地「本郷専務が「お前やれよ」って抜擢された」
久保利「なるほど。割り当ててくれた。依怙贔屓」
島地「新人ですよ。新人と文豪は大変なんだから。もう下手したら門前払いですよ」
久保利「そりゃそうですよ」
島地「あんな若いのが俺を担当するのかって、柴田先生」
久保利「言えば、それでおしまい」
島地「相性が良かったの」
久保利「良かったんですね」
島地「柴田先生はね、お嬢さん、私より一つ上のお嬢さんがいるけど」
久保利「この間、紹介してくれたじゃない」
島地「いろいろお世話になりました」
久保利「(笑)お見合いじゃない」
島地「息子さんがいない。だから私を息子のようにかわいがってくれた」
久保利「ああ、なるほどね」
島地「ラムオールってバーに行けばね、お前来いって言ってね。私、1回も払ったことない。新人だから金もないし」
久保利「そりゃそうだ。払えって言われたって困るしね」
島地「料亭にも何度も。料亭行って、いい話ね、私、実は音痴なの。よく宴会でさ」
久保利「はいはい」
島地「「島地歌え!」なんて言うじゃない。困った、いつも。絶対歌わない。
そうしたら、シバレン先生がね、おばあちゃんの芸者にね「こいつ音痴でさ、なんか芸がないか」「俺、踊るのは嫌ですよ、先生、踊るのは」
そのおばあちゃん芸者がね、いいこと教えてくれた。舞台にあがって「みなさん、合いの手が欲しい、合いの手。今から、歯医者の歌を歌います。」って言ってね。「は、どうした。は、どうした。ありがとうございました」で、去ればいいんだと」
久保利「(笑)」
島地「これは、昔から、明治のころから上等の芸らしい」
久保利「歯医者の歌(笑)」
島地「上等の芸らしいよ。それをね、僕、助かりましたよ、それで」
久保利「(笑)」
島地「いつもそれでごまかしてた」
島地「柴田先生はね、いろんなダンディズムを教えてくれた。柴田先生、私をほんと息子のようにかわいがってくれた。
アメリカにね、生まれて初めて、31かな、まだ1ドルが300円です。その時に先生はね、「島地、ちょっと来い」って呼ばれてね、行ったらね。
「お前、これ餞別だ。」って裸で金くれるんです。
「えっ」って言ったら、1000ドル紙幣」
久保利「へええ」
島地「30万ですよ。先生これ」
久保利「「本物ですか」と聞きたい(笑)」
島地「(笑)「いただけるんですか」って言ったらね、「お前にはね、いっぱい教えてやる、いいか1000ドルあればどんなことも大丈夫だ」「わかりました、頂きます」ともらって、裸だからね、財布いれたよ。
アメリカには集英社の取材で行った。そうしたらね、気になって気になって、先生、パイプ好きだから、だから1000ドルに近い1000ドル以上のパイプ買おうと思ったの。で、パイプ屋行って見てたの。たまたま1000ドルのがあったんだよ」
久保利「あったんだ」
島地「それが、そのパイプですよ」
久保利「ほお。すごいじゃないですか」
島地「それプレーベン・ホルム(デンマークの巨匠)作のパイプ。それでねすごいのはね、買ったでしょう。金払うとね、1000ドル払ったら「なに、これ」って。受け取らない。偽札と思われた」
久保利「そうだよね、誰だってそう思うよ」
島地「しょうがないからさ」
久保利「ピン札でしょう」
島地「ピン札、新券なんだよ。銀行行って、パスポート見せて、1000ドル持っていったら、みんな、集まってきてさ」
久保利「みんな、見たことがない」
島地「ないんだから。換金した」
久保利「くずしてくれた」
島地「くずしてくれて、100ドルを10枚もらってきて、店に行って「持ってきたよ」って全部で1000ドル渡して買ってきた。先生は「いくらしたんだ」って、「いやあ、大したことないですよ」って。そうしたらずっと先生が吸ってたんだけど、亡くなられて、あのお嬢さんが」
久保利「はい」
島地「あなたが買ってきたパイプでしょう。って」
久保利「またね戻ってくる」
島地「戻ってきた。1000ドルするんだよ。これ」
久保利「今はもうそんなもんじゃ」
島地「いまは違う、400万ぐらい。このあいだ、調べたんだよ」
久保利「うん。すごいですよね」
島地「それが柴田先生の簡単な思い出」
島地「今東光大僧正は、どうして謦咳に接したかというとね、僕はね、いろんな吉行淳之介ね、遠藤周作、人生相談やって、最初、柴田先生は人気あった。柴田先生が仲良くてしょっちゅう飲んでるのが、吉行。吉行はもう、遠藤周作も「文章じゃ、シバレンにかなわねえよなあ」って言ってましたよ」
久保利「うん」
島地「「どうしてですか」って、聞いたら「漢字を知ってる」って。「あの親父、漢字がすごいんで」「わかるか、どうしてか「慶應の中国文学だ」」
久保利「あ、そうなの」
島地「聞いたの「先生、確かに先生難しい字を書くけど、あれ辞書引かないで書くんですか」「みんな俺が作ってるんだよ」って。
「どうしてですか」って聞いたらね「俺はな5歳のときから、爺さんに漢籍の素養があって、徹底的にしこまれた。漢籍というのは、5才、ピアノと同じ。5才ぐらいからね」
久保利「素読ってやつやるんですね」
島地「そう、素読しなきゃだめなの。今の教育の結果はね、怪しい英語などやってるけど、ほんとはね、中国のね、借りた漢籍を勉強しなきゃダメなんだよっていう、それで僕は漢字が好きで、さっき言った『言海』」
久保利「『言海』まで読んだ」
島地「ほんと、読みこなしたんだからという」
島地「エピソードね。あんまり考えつくから、面白いから、役に立つし。でも、1年半で連載が終わっちゃったの。「先生、連載終わりました。どうしても先生に1週間に一度会いたい」「いいよ、お前なら。いつでも会おう。お前電話くれ。必ず時間さく」
飯食って飲んだり、ゴルフしたり、ゴルフも柴田先生にお世話になった。柴田先生のお古を、中古をくれた。有名なクラブでしたよ。ケニー・スミス」
久保利「ああ、ケ二―・スミスね」
島地「なんか、すごいクラブ。100万ぐらいする「お前、これ使えよ。」って。自分は違うの買うからっていうぐらい、かわいがってくれた。それで、「柴田先生ね、人生相談、誰かいませんかね、名回答者」「今東光だよ。お前知ってるか」「知りません」「今、電話してやる。柴田です。今さん、私の家に、信頼すべき『週刊プレイボーイ』の編集者の島地っていうのがいます。どうしても、今先生と仕事したいと言ってる。会っていただけませんか」と、向こうも「ああ、いいよ」って。「ありがとうございます」先輩だから。
電話置いた、「お前、明日2時に行け、待ってるから」で、行った。そうしたら「島地ってお前か」呼び捨てだった。で、思うに男同士ってね、呼び捨てで呼ぶっていうのは、それだけ信頼してる、かわいいんですよ。だから、私も自分以上の年上、いっさい、みんな呼び捨て。あまり興味ないやつ、何々さん、久保利さんって。久保利と言いませんよ。いくらなんでも。怖いから」
久保利「いやいや(笑)」
島地「だって、総会屋を追っ払った人とさ、そんなね」
久保利「(笑)」
島地「クボリちゃんとも言えないけどさ、でもさ、いいですか。そしたら、今先生が「お前か、島地っていうのは」」
島地「文藝春秋の樋口によく聞いてるよ。そのとき、言ったの。「いいか」「それは、私は、ほんとにどうしようもない男なんですよ」「俺も若い時そうだった。「悪名は無名に勝るんだぞ」と。この言葉をもらった」
久保利「なるほど」
島地「それで、亡くなるまでやったの。亡くなってからもやったの。もう先生、全部乗り移ってるから。質問もいっぱいくるから、そしたら小学館の相賀さんっていう社長がね」
久保利「はい、いましたね」
島地「今先生、亡くなってるのに、やってるのおかしいじゃないですか。って私をかわいがってくれた若菜さん、合同常務会であんだよ、そういうこと言われてさ、「島地、来い!」ってさ、「そろそろやめろ。あれは。どうみてもね、やっぱりお前が」」
久保利「お前が書いてる」
島地「書いてるとわかられる。ちゃんとした人が読めば。小学館の相賀さん、見破ってるぞ」と。「俺だっておかしいと思ってる」」
久保利「(笑)」
島地「「この世にいないのに、永遠に書いてる。止めろ」って、もちろんやめましたよ。今先生、ほんとお世話になった。
一つね、これ、みんなに知ってもらいたいんだけど。「いいか、島地、俺と会って強運だよ。強運、運が強い、運がある男も女も、貯金と同じで目減りするんだ。どうしてそれをチャージするか。わかってるか」「知りません、そんなの、怪しいこと」「怪しくない、ほんとだ。いいか、教える。俺が死んだら、そうしたら墓参りする。大きい声で3回、ね、サロン・ド・シマジは、大流行した、サロン・ド・シマジは、大流行した、サロン・ド・シマジは、流行った、と3回言う。
3回言うと、俺も死んで耳が遠くなってるから、しかも過去形だとね、仏も、神様もね、仏様も神様もね、あ、ボタン押したかな。って、もう1回確認しちゃう、押しちゃう。だから、お願いしますって、現在形で言うと忙しい、いっぱいきて、面倒くさい。押さないと。過去形で言うとね、あ、確かに言ったかな、確認して押しちゃう、押してねえじゃないか。そうなれば、いいか」」
久保利「面白い」
【島地勝彦 PROFILE】
エッセイスト&オーナーバーマン
1941年東京生まれ
幼少期~高校時代を疎開先の岩手県一関市で過ごす
集英社入社
柴田錬三郎・今東光・開高健を担当
『週刊プレイボーイ』編集長、取締役、子会社社長なども務める
2008年退社後、エッセイスト、バーマンとなる
現在は『Authentic Bar Salon de Shimaji』のオーナーバーマン