『今日はとんでもねえ奴がいた。背中を見せたら一生うかばれない』久保利英明×島地勝彦
久保利英明×島地勝彦(エッセイスト&オーナーバーマン)
2021年5月対談vol.2
久保利「漫画はお読みになるんですか」
島地「読まない。漫画を何で読まないかというと、活字を読んで自分の頭の中で、監督になったり撮影したり撮影隊になって」
久保利「絵を自分でつくるんだ」
島地「映像を自分でつくって読まないと頭に入らない」
久保利「ああ」
島地「『少年冒険王』あれなんてよく読んだでしょう」」
久保利「『冒険王』読んだね」
久保利「『おもしろブック』」
島地「『おもしろブック』は集英社」
久保利「うん」
島地「久保利先生だったらわかると思うけど『イガグリくん』って」
久保利「『イガグリくん』ね」
島地「あったでしょう。柔道の」
久保利「ありましたね。柔道の」
島地「漫画でちゃんと読んだのはね。あとね、手塚治虫の『鉄腕アトム』
アトムが生まれた日は4月7日なの」
久保利「誕生日」
島地「私と同じなのよ。これスゲーと」
久保利「それ意味あるんですか、4月7日って」
島地「意味ないんです(笑)私の誕生日と同じということです」
久保利「手塚さんの誕生日とか、そんなことでもないんですか」
島地「関係ない。想像するにね、4月8日ってお釈迦さまの誕生日でしょう」
久保利「その一日早い」
島地「慌て者なんです」
久保利「なるほど、なるほど(笑)」
島地「落ち着きないし慌て者だし。それでおっちょこちょいだし、せっかちだし。4月8日に生まれてたら、立派な紳士になれたと思いますね」
久保利「つまらんね」
島地「(笑)」
久保利「(笑)紳士な島地さんなんて」
島地「そうです(笑)」
久保利「みたくもないわね(笑)」
島地「そうですか(笑)」
久保利「(笑)」
島地「私が初めてね、久保利先生の謦咳に接したのは、確かライオンの藤重(注:藤重貞慶氏)あのころ社長だったかな。久保利先生、顧問弁護士してたでしょう、ライオンの」
久保利「そうです、ライオンはね」
島地「(結婚式の)我々の席、すごい人がいました。なんか僕、一番怪しい男でさ、スピーチしてくれって言われて、藤重さんたってのお願いだから、何も見ないでいいかげんなことしゃべったの。拍手もらって席につくと、先生「面白いですねえ」って言ってくれたの。いまでも忘れない。あのグループだけね、二次会にね、行こうっていうことになって」
久保利「そうそう二次会にね、行こうって」
島地「久保利先生、なんかね、出張があったの。明日6時の新幹線」
久保利「ええ」
島地「出張があるんだって言ってさ(帰ったんだけど)ここでね、島地に背中を見せたら生涯さ」
久保利「言われちゃうよねえ(笑)」
島地「言われちゃうでしょ(笑)偉いのは家に帰ってさ、奥さんにこう言ったっていうじゃない。「今日はとんでもねえ奴がいた。背中を見せたら一生うかばれないから、これから行ってくるから、安心して必ず帰ってくるから」って」
久保利「そう、行きました(笑)」
島地「戻ってきたんですよ。山田先生の弟さんがやっているBARだったな」
久保利「ああ。ニッカBARだったね」
島地「そうそう、そうです、そうです。そこで、また口角泡飛ばして」
久保利「遅れてきましたよ」
島地「30分ぐらい遅れたかな。すごい人だと思った、色は黒いしさ、何ていう律儀で男気があって、心意気がある人だなあと」
久保利「あんまり変わらないでしょ(笑)」
島地「すごかったです。あの日に先生に惚れたよ。久保利先生すげえと。ほんと。それからのお付き合いですよね」
久保利「ずっとですよね。ほんとね、誰も来ないような(緊急事態宣言が出た)コロナの最盛期に」
島地「そうです、このBARを」
久保利「このBARをオープンした」
島地「たった一人いらしてくれた、70歳の高齢者で」
久保利「高齢者で(笑)」
島地「ますます尊敬した。この人は一生もんだなと」
久保利「不要不急だから、お休みにしましょうと」
島地「へえ」
久保利「裁判所クローズしちゃったわけですよ。去年ね。僕は怒鳴り込んだ。司法というね、日本の三権の一翼を担うこれが不要不急とはなんだと」
島地「ほんとだよね(笑)」
久保利「国会、休んでねえじゃん。政府のどこが休んでるの。司法、裁判所だけ休んで」
島地「おかしいよね、それは」
久保利「ね。国民の権利を誰が守るんだといって怒鳴り込みに行ったの」
島地「すごい」
久保利「(笑)そうしたら怒鳴り込みに行ったって、誰もいないんだよね」
島地「(笑)」
久保利「とにかくもういっぺん電話をかけ直してさ。電話で怒って、これを閉めるんだったら考えがある。そんなこと言ったって日弁連も閉まってますよと言われて、俺は日弁連じゃない」
島地「(笑)」
久保利「ただの一人の弁護士として、依頼者を背負ってるものとして、おかしいじゃないかと」
島地「一斉に休んでおかしいよね」
久保利「そんなのって、司法をいらないっていうのはね」
島地「子供の国だね」
久保利「(笑)ほんとね」
島地「残念ながら今、久保利先生おっしゃるように本を読まないでしょう」
久保利「うーん、ねえ」
島地「だからね、顔がね。私がいい顔をしてるって言わないけど」
久保利「いや、してるほうです」
島「してるほう(笑)」
久保利「(笑)」
島地「してるほう?ありがとうございます。でも本読んだやつとね、本読まないやつ」
久保利「目の光が違いますね」
島地「違います。40からはね。40までは両親の作品ですよ、顔は」
久保利「うんうん」
島地「40以降ね、少しずつ自分の作品なんですよ」
久保利「リンカーンもそう言ったね」
島地「そう、リンカーンも言ってるんですよ」
久保利「ねえ」
島地「そういうもんですよ」
久保利「もう80になったら、全面自分の作品だよね(笑)」
島地「借金はないね顔に。良きにつけ悪しきにつけ」
久保利「どっちにころんでもね、俺だと」
島地「自分です」
久保利「この顔は俺だと。そういうふうにね、なろうとしているのかなあ」
島地「今、日本人はね。まず覇気がない」
久保利「そうじゃねえだろうと。直あたりでドーンと行くべきだと」
島地「先生ありがとう。「直あたり」人生」
久保利「ねえ。乗りこんじゃえよと」
島地「そうそう。久保利先生はね「悪名は無名に勝る」ってよく言ってるんですって。あれ僕が教えたんだよ」
久保利「(笑)」
島地「そうですかって。勝手に使わないでください(笑)」
久保利「いやいや、著作権があったか(笑)」
島地「著作権が(笑)1回使ったらね、私の口座に100円ぐらい払ってくださいよ(笑)」
久保利「チャリーン、チャリーン(笑)」
島地「チャリーンって(笑)」
久保利「気迫というのかな」
島地「そう、気迫」
久保利「人と同じことしていたら生きてる甲斐がない」
島地「ない、ない」
久保利「なんか、そういう」
島地「日本人、本来ね、頭がいいしすごいですよ」
久保利「すごい人がいっぱいいた」
島地「今、みんなこんなでっかくなって、栄養が良くて、でも今ね、心がね、貧しい。先生読んでると思うけど、この本ね、再読したんですよ。実は復刻されたの(注:『昭和精神史』『昭和精神史 戦後編』)みてください。これ有名な本で」
久保利「戦後編ってやつがある」
島地「戦前編と戦後編。戦後編はね、例の東京裁判。先生、読んだら面白いと思うよ。どうして広田弘毅(注:ひろたこうき、内閣総理大臣、貴族院議員などを歴任。東京裁判でA級戦犯として有罪判決を受け処刑される)がさ、軍人でもないのに絞首刑になったか。いろいろ読んだけど、これがいちばん名籍。すごいの先生、みてください。この本の参考文献。この本の多いこと、多いこと。これ見た時、いかに」
久保利「勉強したか」
島地「勉強したか。昭和っていうものをあぶりだしたの。でも私がこれ読んで思ったことは、日本人って素晴らしいなあと思ったね。美学があった。武士道もあった。今はね、もうどこの国にも尊敬されない。日本人っていう国民になった」
久保利「それが不思議なんですよね」
島地「教育ですよ、教育がどうしようもないんです」
久保利「僕は吉田松陰まで戻って。吉田松陰というのは自分も刑務所に入っているのに、刑務所の囚人達に、講義をするわけですね」
島地「そうそう」
久保利「『孟子』を教えたりする。そういうのをみているとね、結局、自分の頭で考えて『孟子』をつかってもいいんだけども、この国がどういう風になるべきかということをね、みんな、命がけで考えて」
島地「おっしゃるとおり」
久保利「自分は死んでもいいからという人たちが、それなりにいたんですよね」
島地「そう、いたんですよ」
島地「素晴らしいのはね、大槻文彦(注:国語学者)のね、『言海』(注:大槻文彦編纂の国語辞典。日本初の近代的国語辞典ともいわれる)ここにもありますけどね」
久保利「こんなでかいのね」
島地「『言海』があったからね。いわゆる、その国の言葉の辞書があるっていうのはすごいバックボーンなの」
久保利「ない国、いっぱいあるからね」
島地「いっぱいある。あるのはね、いわゆる一番基礎なのは英語の『オックスフォード』ですよ。あとアメリカの『ウェブスター』。で、日本の『言海』ですよ。この3つは誇るべきものです。大槻文彦、一関出身なの」
久保利「偉い人が出てるんですね、一関」
島地「あと僕かな」
久保利「(笑)」
島地「冗談だけど(笑)7巻か8巻かな。和綴じのね。戦前に出たんですよ。和綴じで。集英社、神保町でしょう」
久保利「はい」
島地「昼休み、飯食って帰りに必ず本屋まわってた」
久保利「古本屋まわって」
島地「そこで見つけたんですよ。復刻版かな。よくみたら、3万円かなと思ったら30万もするんですよ」
久保利「この天井すごいよね」
島地「天井6メートルある。ここね、31年目なの、私が借りたの30年目なの。この大家がね、石井さんっていう人。私の本を読んで熱狂的なファン」
久保利「あらあ」
島地「島地先生、私の持っている物件で、私はすごいなあと思うんだけど、10人ぐらい見てね、難しいって言って、誰も手を付けない。でも私、いいBARできると思うんです。で、僕、すぐ見に来たの。面白いじゃない。天井。何もない、ほんと何もない、ただコンクリート打ちだよ。スケルトン。これ面白いと思って、7年半伊勢丹やったから」
久保利「もういいやと」
島地「久保利先生、一生元気があれば、弁護士はできるんでしょう」
久保利「できる」
島地「医者と同じように」
久保利「定年ありません」
島地「ねえ。私もやっぱり物書きでやってるとね。ジジむさくなる」
久保利「(笑)」
島地「人に会わないから。だから、ここでバーマンになって、新しい客、今までの客」
久保利「いろんな人をね」
島地「やっぱり、直あたりしてるっていうのはいいなあと思ったの」
久保利「そうですよ」
島地「だからね、79にしてね。本格的なバーを、自分でオーナーバーマンになったの」
久保利「いないよね(笑)」
島地「まさにね、ロマンティックな愚か者。言葉で言えば」
久保利「ほお」
島地「ほんとうのことをいえば、バカですよ」
久保利「いやいや」
島地「ほんとに」
久保利「バカとは思わないけど。何が賢くて何がバカか、なかなか僕もわからないけれど。これって素晴らしい人生だと思いますよ」
島地「あのドアみてください、あれが150年前です。これが120年前の机」
久保利「机がね」
島地「みんなアンティークにしてある。いいですか。ヌーベルバーグっていうデザイナーの人が、杉本さんっていう有名な方、その人が「島地さん、どうしてそんなにアンティークにしたいんですか?」、「50年ぐらい時間経ったのを作ってくれ」と言ったんですよ。「どうしてですか」と言うから、「俺がアンティークだからだよ」って言ったら、アハハって笑ってさ、「やりましょう!」って言ってくれたの。それが、相性が良かったんじゃない。デザイナーと私が」
島地「これ全部、私の所有物です。これは、今東光(こんとうこう)大僧正の「止観(しかん)」って読むんです。こっち「止観」見るなっていう意味です。見ないっていう、これね、「止観」ていうの、今先生に借りて本読んだんだけど、わかんなかった。難しくて。
仏教のね、天台宗の教えなんですよ。簡単に言えば「目で見るんじゃない。心で、心眼で見ろよ」っていうことを、簡単に言えば。一言で言えばそういうこと。
こっちは「信じて関山に入る」って読むんです。関山というのは中尊寺の山名なんです。必ずお寺には山名がついてるんです。
久保利「なになに山、なんとか寺っていう」
島地「今東光大僧正ってね、中学校中退だけど、東大の天ぷら(注:天ぷら学生。学生ではないのに講義を聞いてる人)で、何でも知ってる。正規の学生よりも覚えようっていう意識があるんだね」
久保利「そうでしょうね。天ぷら学生ほど勉強するやつはいない」
島地「昭和天皇が、中尊寺を、藤原三代の金色堂を見たいと言ってやって来たんです。
週刊誌で連載してたんですね。「極道辻説法」というのを毎週やってたから「お前さあ、2回ぶんぐらいちょっと書けるだろう」「わかりました。大丈夫です。これだけね、私は大僧正のお話を聞いてるから、いなくても作れますよ」って。
今東光大僧正が平泉に行った。帰ってきた。
そうしたら電話で「島地、お前、いま暇か」暇じゃなくても暇としか言えない。週刊誌だから忙しいんだけど「暇です」って答えて「すぐ来い。面白い話してやる」
伺うとすぐに、お前聞いてくれよと。
自分(今東光大僧)は朱色の一番高い衣着て迎えたんですって。昭和天皇と二人だけで、金色堂、参道をあがっていった。
金色堂って、藤原三代のミイラが三体入っている。お棺が入っている。ここにね、ものすごいね、今でいう金ぴかな貝殻みたいなの貼り付けてある。
天皇陛下が「これは、なんの、何ですか」と聞かれた。
今先生、自慢してさ。ここぞとばかりに答えた。「これは現代の学者が調べますと、トンガの海にある貝殻とわかったんです。だから藤原三代が」
久保利「トンガとも喧嘩してた(笑)」
島地「貿易してた。「日本がトンガと貿易したんじゃないかと、察することができます」って言ったらね。
そうしたら、品のいい昭和天皇がグッと見てさ「どうかな」って言ったの」
久保利「どうかなって(笑)」
島地「それでふるえあがちゃって、もう、あのおしゃべりなね」
久保利「今先生が(笑)」
島地「今先生が「まいったよ~」って。(今先生のところに)行って聞いた。その後、あるね、出版社の会合があって。今先生と、僕の先輩の編集長たちがいてさ、何かね、今先生、おしゃべり上手いしさ、話術の天才。それで、自慢して話してくれた。みんな笑ってた。
シーンとなった瞬間、俺がでっかい声で「どうかな」って言ったら」
久保利「(笑)」
島地「ワハハって大きな声で今先生、笑った。誰も笑わない。「なんで笑ってたんですか」と言ったら「別に」って。何度もそういうふうに「どうかな」って言うと、先生笑うわけよ。
私は今先生にいろいろ教わった。みてください。これ見てください」
久保利「遊戯三昧」
島地「「遊戯三昧」って書いてあるでしょう。
遊戯、ざんまいって読むんでしょう。
それ“ゆげざんまい”って仏教で「遊びの中に真実がある」
この3つをね、私にね、くれた。
亡くなられる10か月前にね、「島地、お前にね、ぴったりする言葉をやろう。仏教用語で「遊戯三昧」遊びの中に真実がある、この意味が分かったら、お前はまあまあ一人前になると思え」と」
久保利「「どうかな」って(笑)」
島地:「「どうかな」(笑)いいじゃない、それ」
久保利「(笑)」
【島地勝彦 PROFILE】
エッセイスト&オーナーバーマン
1941年東京生まれ
幼少期~高校時代を疎開先の岩手県一関市で過ごす
集英社入社
柴田錬三郎・今東光・開高健を担当
『週刊プレイボーイ』編集長、取締役、子会社社長なども務める
2008年退社後、エッセイスト、バーマンとなる
現在は『Authentic Bar Salon de Shimaji』のオーナーバーマン
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