島地「編集者って女にモテるんだなあと思って」 久保利「みんなモテるんですか。編集者って」久保利英明×島地勝彦
久保利英明×島地勝彦(エッセイスト&オーナーバーマン)
2021年5月対談vol.1
島地「ちょうど一年前かな」
久保利「そうですね」
島地「2020年の4月7日、私が」
久保利「誕生日ですね」
島地「そう。79歳の誕生日にここをオープンした。その日に安倍総理が緊急事態宣言を発表して、12時から施行されるわけ」
久保利「その日に開けてたんだよね」
島地「その日はまだ大丈夫だった」
久保利「大丈夫だった」
島地「4月8日から施行された緊急事態宣言。翌日からピタッと75日休業しました」
久保利「75日」
島地「新型コロナの功績は、私久しぶりにね、徹底的に読書したこと」
久保利「75日、読み続けた」
島地「そうです。大体40冊ぐらい読んだかな」
島地「一回読んだものもあるんですよ。ここに、サマセット・モーム(※William Somerset Maugham、イギリスの小説家、劇作家)全集があります。高校時代にね、サマセット・モームを尊敬して、人生の知恵を教えてくれたのは、サマセット・モーム」
久保利「じっくり読んだわけですね」
島地「そうそう。もう一回ね」
久保利「もう一回ね」
島地「アシェンデン (Ashenden)とか。モームってね、スパイだったんですよ」
久保利「スパイですね」
島地「英国の作家ってね」
久保利「みんなスパイでしょう」
島地「グレアム・グリーン(Graham Greene イギリスの小説家)もスパイ)、ジョン・ル・カレ(John le Carré、イギリスの小説家)もそうだった、この間亡くなった」
久保利「そうね、ル・カレ」
島地「みんな、そうです」
久保利「スパイになるようなそういう奴でないと、面白い小説書けないんですね」
島地「そうそう」
島地「いつもの「スランジバー!」をやってください」
久保利「OK!」
島地「「スランジ!」」
久保利「スランジバー!」
島地「慣れてますね」
久保利「教わったんです(笑)」
島地「スコットランド風。「あなたの健康を祝して!」って、スコットランドのバーで毎晩言っている乾杯の言葉。これをみんなお教えして」
久保利「これ知らない奴はモグリだもんね」
島地「モグリっていうか、ウイスキーを知らないっていうか」
久保利「美味しい、これ」
島地「これは、サントリーが」
久保利「SHIMAJIブランド」
島地「そう、依怙贔屓でいれてもらった。僕はね、人生はね「運と縁と依怙贔屓」だと思ってるの」
久保利「うん」
島地「この間」
久保利「そう、この間の7日。あれまさに店の一周年の日に」
島地「日刊ゲンダイ」
久保利「日刊ゲンダイで、大々的に」
島地「そうです」
久保利「依怙贔屓」
島地「あんなにでっかくなると思わなかった」
久保利「(笑)二回目は松山の話だものね」
島地「そうです。今度3回目は、先生ね、捧腹絶倒」
久保利「捧腹絶倒。ほぉ」
島地「僕、人を笑わせるの得意技だから」
久保利「そうですね」
島地「でね、少しずつ少しずつ下ネタをね、書こうかなと、上品に」
久保利「上品な下ネタね」
島地「と、思ってます」
久保利「80(歳)になったらいいじゃないですか。それぐらい書いたって」
島地「そうそう」
久保利「じいさん、あんまりいじめるものじゃなくてね。そういう時は「なんか失礼なことでもありましたか」ってニコって微笑をすればね」
島地「笑顔がね、あればもう少し」
久保利「救われるよね」
島地「救われるな」
久保利「だんだんその域に達してますね」
島地「いやいや、私は全然」
久保利「僕はまだ、今年の8月で77(歳)だから」
島地「3つ違う」
久保利「3つ4つ違うんですよ」
島地「3つですよ。3つ」
久保利「大きいですよ、このへんの3つ4つは」
島地「もう同じですね(笑)」
久保利「同じか(笑)」
島地「同じですよ(笑)」
島地「四捨五入で80ですよ。久保利先生も」
久保利「いや」
島地「なんと言おうと」
久保利「なんと言おうとね(笑)」
島地「僕はね、80でね、要望に応えて、日刊ゲンダイとフィガロジャポンという女性誌で人生相談やってるの。二つがね、同時に連載始まったんです。新宿時代からメルマガやってますから、千何人います。千円だしていただいて」
久保利「千円出して。僕もとられて(笑)」
島地「先生、読んでくださいよって言ったら、わかりましたって」
久保利「(笑)」
島地「僕が脅迫して読んでもらったんですけど、久保利先生はね」
久保利「(笑)いや好んで、買いました」
島地「僕の熱狂的なファン。「シマジ教」の信徒って言われてるんです」
久保利「信徒がいるんだよね」
島地「いっぱいメールが来て、シマジロスは解消しましたって。嬉しかったなあ。私ね、エッセイスト&バーマンでしょう」
久保利「はい」
島地「エッセイストとして一番の夢というか、理想は「令和のホラ吹き男爵になりたい」んですよ」
久保利「ふーん。十分、ホラ吹き男爵じゃないですか(笑)」
島地「(笑)」
久保利「令和じゃなくても平成の(笑)」
島地「(笑)永遠のホラ吹き男爵になっちゃう(笑)私のエッセイをね、読む前と読んだ後「男達は今まで以上に気持ちが明るくなった、そして女性達は今まで以上に気持ちが淫らになった」」
久保利「淫らになる(笑)」
島地「これは僕の理想。私、そう考えて書いてるんです。いつも」
島地「暗い、失望してる人が私のエッセイを読むと、ユンケル黄帝液を10本ぐらい飲んだ感じ」
久保利「(笑)」
島地「と思います、自信を持って」
久保利「ユンケル黄帝液より、これ(ウイスキー)※絢子追加がいいな(笑)」
島地「(笑)」
久保利「ほんと面白い」
島地「小学校・中学校で読んだのはね『アルセーヌ・ルパン』ですよ」
久保利「ほお。ルパンねえ」
島地「大人用に翻訳された20何巻あるものを、小学校4年生から卒業するまで読んでた。何度も読んで。ルパンすげえなあ。荒唐無稽な話だよ。中学校になったらね、『シャーロック・ホームズ』」
久保利「ねえ」
島地「これを徹底的に読んだ」
久保利「ホームズはみんなね」
島地「ルパン」
久保利「読むんだけど」
島地「そう、ルパンとシャーロック・ホームズは違います。新潮社がね、そのころ延原さん(注:延原謙氏)という翻訳者を使っていて、いろんな翻訳を読んだけど、延原さんの訳が素晴らしい。名訳」
島地「徹底的に読んだ。シャーロキアンなの、私」
久保利「シャーロキアンね」
島地「保篠龍緒さん(注:ほしのたつお、作家、翻訳家『アサヒグラフ』編集長)朝日の『アサヒグラフ』というね、でっかい雑誌があった」
久保利「ああ、ありましたね、『アサヒグラフ』ね」
島地「あの編集長です。フランスに長いこといて、フランス語もお上手だった。僕は会ったことはないけれど、みすず書房だったかな、忘れたけど、その出版社まで行きましたからね。どうしても出版社が見たくて」
久保利「見たい」
島地「うん。今はないけど」
島地「私は(昭和)16年生まれ。戦争の、いわゆる疎開派なんです。東京の奥沢にいて、100坪ぐらいあったんですが。家が、一線を引いたようにね、焼夷弾で焼けて」
久保利「ああ。やられた」
島地「その前に、私とオフクロと親父は疎開したんです」
久保利「疎開先が一関(注:岩手県一関市)なんですか?」
島地「そう。岩手の一関。僕はある意味で戦争の被害者です」
島地「奥沢も、4才だからよく覚えてますよ。庭とか。街並みね。でも、岩手行って一関行って、良かったのは、本当のね、日本人の大衆を知りましたね」
久保利「なるほど」
島地「編集者として成功した。理由はなぜか。田舎の退屈な奴がどうしたら雑誌を読むかということを考えるんですよ」
島地「『TIME』誌を作ったヘンリー・ルース(注:Henry Robinson Luce、アメリカの雑誌編集者、出版者)アメリカの大編集者、社長の伝記を読むと、こう書いてあります。「私は南部に生まれて中国に渡った」そこで、パール・バック(注:Pearl Sydenstricker Buck アメリカの小説家)と知り合うわけです」
久保利「あらら」
島地「それぐらい」
久保利「『大地』の」
島地「そう『大地』とか書いた。だからこの、いい雑誌を自分で発明できたんだと」
久保利「中国も視野に入れて」
島地「そうです」
久保利「世界のことをやれるような」
島地「外国を知ってるから」
久保利「『TIME』『LIFE』ができた」
島地「僕は今でも忘れない「生まれて目を開けたら、そこにニューヨークの摩天楼がある。そんな奴らに雑誌はできねえ」って書いてあった」
久保利「なるほど」
島地「こんな乱暴じゃないですよ」
久保利「(笑)」
島地「僕はこれは真実だと思う。田舎だから刺激がないじゃない。だからいっぱい本を読んだ。東京じゃそんなに読めなかったと思う。一つ残念なのは受験勉強しないで本ばっかり読んでた。だから大学の戦争で負けました」
久保利「受験戦争には負けた」
島地「受験戦争には負けた、就職戦争は勝ちましたけど。この間書いた(注:日刊ゲンダイ連載第1回 2021年4月7日発売号)」
久保利「ね。すばらしいじゃないですか」
島地「一つのところで一生懸命大好きなことをやると。仕事は、自分の大好きなものを職にすべきであってね」
久保利「そう思います」
島地「と思います。そうすると、どんな苦労でも徹夜でも」
久保利「できるよね」
島地「徹夜でもなんでもできる」
久保利「なんの苦労もないでしょう、楽しめるよね」
島地「興奮してできる。興奮できない仕事についているのは、まあ、生活のためといえど、かわいそうです」
久保利「生活のために人生を犠牲にしてる」
島地「そう、しょうがないよね、それは」
久保利「しょうがないっちゃ、しょうがない」
島地「しょうがない」
久保利「そういうの見つからない人が多いよね」
島地「そう」
久保利「なんで、何を天職と思って」
島地「久保利先生、私がね、この間書いたのは、日刊ゲンダイに書いたのは、18歳のとき高校を卒業して、試験受けに行くじゃない。たまたま渋谷で「甘い生活」って映画、マストロヤンニ(注:マルチェロ・ヴィンチェンツォ・ドメニコ・マストロヤンニ(Marcello Vincenzo Domenico Mastroianni) イタリアの映画俳優)、あれ観てね。マストロヤンニが女にモテるじゃない」
久保利「はいはい(笑)編集者が」
島地「編集者って、女にモテるんだなあと思って」
久保利「みんな、モテるんですか。編集者って」
島地「いや、全然、嘘」
久保利「(笑)」
島地「まったく(笑)その時はね、フェデリコ・フェリーニ(注:イタリアの映画監督)を恨んだね。たまたま友達が、本屋行きたいっていうから、本屋行ったらね。ヘフナー(注:ヒュー・ヘフナー)の創った『PLAYBOY』がね、売ってるんです」
久保利「はいはい」
島地「よし、これ辞書なしで読めるようになろう。最初、辞書ばっかり引いてた」
久保利「単語帳作ったり」
島地「単語帳ももちろん作った。一年後、辞書なくて読めるようになった。それは嬉しかったね。だから就職の英語の試験が100点です。しかも、この文章のね、出典まで書いてたの。サマセット・モーム」
久保利「ああ。出典」
島地「『サミング・アップ(The Summing up)』だったの。そりゃ、通りますよ(笑)」
久保利「すごいやつだなと」
島地「思うでしょ。集英社か新潮社にさ、親戚のおじさんがいるんじゃないかと思われるかもしれない」
久保利「(笑)」
島地「私はね編集っていうもの、本と雑誌が大好きで入れた。しかも思うにね。戦前の老舗の会社じゃなくて、戦後、集英社は小学館の社長が作った子会社ですけど、そこに入ったというのは、もう自由闊達で良かったですね」
【島地勝彦 PROFILE】
エッセイスト&オーナーバーマン
1941年東京生まれ
幼少期~高校時代を疎開先の岩手県一関市で過ごす
集英社入社
柴田錬三郎・今東光・開高健を担当
『週刊プレイボーイ』編集長、取締役、子会社社長なども務める
2008年退社後、エッセイスト、バーマンとなる
現在は『Authentic Bar Salon de Shimaji』のオーナーバーマン
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