『日本の所得の下がり方が尋常じゃない』久保利英明×冨山和彦
久保利英明×冨山和彦(株式会社経営共創基盤共同経営者(パートナー)/IGPI グループ会長)対談Vol.4
冨山「今の日本の所得の下がり方って、尋常じゃないです」
久保利「異常でしょう」
冨山「大変ですよ」
久保利「よそは上がってるんだから」
冨山「そうなんですよ」
冨山「格差と言う前に基本水準を上げないと。世の中すごい世界で議論しているんで」
久保利「30年間ほとんど成長しない国と、よその国とは」
冨山「普通、所得は2倍から3倍になってますから」
久保利「ねぇ」
冨山「賃金水準は」
久保利「日本が高給だなんてことないんですから」
冨山「もう全然」
久保利「なにを買うのだって、買い負けているじゃないですか」
冨山「購買力平価で、アジアの中でも上から4番目か5番目でしょう。いまは。確か、台湾とか韓国にも抜かれたんじゃないですかね」
久保利「そもそも魚がいねえとかイワシが来ないとか言ってるけど、高く払えば来るんですよ」
冨山「あれ買い負けです。ほんと。買い負けです」
久保利「買い負けでしょう」
冨山「買い負けです」
久保利「貧乏国だという認識が、みんなにわかれば」
冨山「えぇ。そうです」
久保利「このまんま自分の孫にね、この国渡したくないよね」
冨山「そうですね」
久保利「息子たちはまぁなんとかなるかもしれないけど、5才、10才の孫がね、この後、世界でどういう目にあうかと考えたらね」
久保利「昔、堀さん(堀紘一氏 ドリームインキュベータ創業者)と一緒に本を書いて(『論争 若者論』収載)」
冨山「えぇ」
久保利「インドや中国に働きに行く出稼ぎに行く。そういう時代が来ると」
冨山「戻る可能性、高いですね」
久保利「ほんと迫ってます」
冨山「もう今リアリティじゃないですか」
久保利「リアリティでしょう。中国、台湾の方が給料高いんだもん」
冨山「高いです、高いです。よく移民の議論をするときにね。変な人が入ってきたら嫌だと言うんだけど」
久保利「はい」
冨山「慌てて国を開いたとしても」
久保利「来るか(笑)来るか」
冨山「なかなか、人、そうは来てくれないだろうと」
冨山「先進国の移民政策って、基本的に高度人材に来てほしいわけです」
久保利「うん」
冨山「だけど、高度人材って元々高所得の人なので、ということは、いっぱい選択肢があるわけでしょう。だいたいみんな英語できるし」
久保利「はい、そうです」
冨山「そうしたら、どう考えたって、アメリカに行っちゃうか或いはシンガポールに行っちゃうか、或いはカナダに行っちゃうか」
冨山「どうしてその高度人材が日本に来るんですか。という話になっちゃうんですよね」
久保利「そこですよね。いらっしゃいませと言ったってね。向こうにメリットがなきゃ来やしないじゃないですか」
冨山「そう思いますよね、そうそう」
久保利「金融センターとしての東京とか大阪とかと言ってるけど、この税制維持したまま日本に住んでくれるような」
冨山「たぶん来ないですよ」
久保利「人いないですよって」
冨山「来ないです、来ないです」
冨山「我が家が移民したのって多分120年ぐらい前なんですよ」
久保利「おー、なるほど」
冨山「100年以上前なんですけど、当然先進国に移民するんですよね」
久保利「そりゃ、そうですね」
冨山「まずは」
久保利「まずはね」
冨山「だからみんな北米かハワイです」
久保利「移民はそうなるでしょうね」
冨山「仕送りをするのはかっこいいということだったらしくて」
久保利「そりゃそうですよ。成功者ですよ」
冨山「そうそうそう(笑)」
冨山「最近「バンクーバーの朝日」(2014年制作 石井裕也監督)という映画をフジテレビが何周年かで作ってましたけど、考証のしっかりした映画でした。皆、見得で頑張ってね、仕送りするんですよ」
久保利「へぇ」
冨山「俺は成功してるんだって。成功していない人は借金して仕送りしちゃったりして」
久保利「見得(笑)」
冨山「そういう何か切ない話を僕もうちの祖父母から聞いていたんです」
久保利「はい」
冨山「結局、同じ構図ですよね」
久保利「うーん」
冨山「100年前の話なんだけど、こうなるとまた起きる」
久保利「いや、もう直前まで来てるんじゃないですか」
冨山「ですよね、ほんとそうなんですよ。だから」
冨山「ようするに貧しくなるってそういうことなんですよね」
久保利「そうです」
久保利「ヤバいな。僕と冨山さんが2人で一致してそう思うということは、かなり確率が高いんじゃないですか」
冨山「じゃないかと思うんですよね。ただ、そこまでいくと戻ってくるのも」
久保利「というね」
冨山「日本の歴史なので」
久保利「うん」
冨山「6,70年おきに繰り返しているわけでしょう。これ」
久保利「(笑)」
冨山「明治維新でなんとか戻ってきて、太平洋戦争はかなりいくとこまでいっちゃいましたけど、でも戻ってきて」
久保利「でもほんとあれは、いくとこまでいったわけですよね」
冨山「いっちゃった、いっちゃったんですよ、あれ」
久保利「いったって、そっからまたこう蘇ったあの力は何だろうかと僕、思いますけどね」
冨山「そこは、会社もそういうとこあるんですよね」
久保利「ねぇ」
冨山「いくとこまでいって社長がクビになって、失うものがないとこまでいくと、結構みんなね、気張って復活するんですよ(笑)」
久保利「みんな頑張るんですよ」
冨山「そう。日本航空もちゃんと復活してました」
久保利「たしかにね」
冨山「その直前までは、みんなね、1億総玉砕みたいなこと言うんですよ」
久保利「うんうんうん」
冨山「思いつめて」
久保利「はい、はい」
冨山「なんだけど、会社更生までいっちゃうと、急にみんな」
久保利「明るく、みんな(笑)」
冨山「なるんですよ、なるんですよ」
久保利「みえてくるんじゃないですか」
冨山「それまではそんなことしたら飛行機落ちちゃうみたいなこと言っちゃうんだけど」
久保利「言ってたのがねぇ」
冨山「決してそんなことなくて」
冨山「今日の話で言うと、エリートの劣化が起きているんだけど、現場でコツコツオペレーションをやっている人たちのモチベーションとか」
久保利「うん、そう」
冨山「レベルは高いんですよね。日本っていつの時代も」
久保利「いつもそうじゃないですか」
冨山「そうなんですよ」
久保利「将軍とか参謀はバカだけど」
冨山「(笑)三流で」
久保利「下士官は強いという(笑)」
冨山「兵隊は一流なんですよ。これまた日本のずっと特徴で」
久保利「これ、なんでですかね」
冨山「なんなんですかね。だから会社の再生とか関わっても大体現場は大丈夫ですね」
久保利「ねえ」
冨山「生産現場なんかもおかしくなってるとしたら、それは生産現場そのものじゃなくて、その上にいる人の問題で」
久保利「そっちですよね」
冨山「うちの親はずっとそういうこと言ってたんですね。父親が」
久保利「インターナショナルだからね」
冨山「太平洋戦争をはさんでいろいろあったし、兄貴は学徒(出陣)で死んじゃうしね。元々お兄さんもネイティブで英語と日本語の両方とも」
久保利「できたんだね」
冨山「完全バイリンガルで、本人は外交官になりたかったらしいんです。太平洋の懸け橋になりたかった」
久保利「かわいそうに」
冨山「死んじゃって。父親は、戦後、新生一期で神戸大学を出て、江商(ごうしょう/兼松江商を経 て現 兼松)という商社に入る」
久保利「はい」
冨山「兼松江商。これがなんとオーストラリアにいる時につぶれちゃうんですよ。倒産しちゃって」
久保利「お父さん、江商の現役社員としてオーストラリアに行ったわけですか」
冨山「そうです。鉄鉱石掘ってたんですよ。そうしたらつぶれちゃって。なかなか倒産ってないじゃないですか」
久保利「ないですよね」
冨山「吸収合併されて兼松江商になるんですけど。いきなり失業するわけですよ」
久保利「(驚)」
冨山「その後、トッパン・ムーアという会社の」
久保利「トッパン・ムーア。ありましたね」
冨山「ほぼ創立メンバーで。経営者をかなり長い時間やってたんです」
久保利「ほぉ」
冨山「サラリーマン経営者としては、成功した人なんですけど」
久保利「成功した」
冨山「なんですけど、そういう経緯だったもんですから、日本のサラリーマン社会に対しては非常に否定的な人で」
久保利「「俺は運が良かっただけだ」という感じなんでしょう」
冨山「そんな感じです。だいたいね、世の中の偉いやつはほとんど運だ。みたいな(笑)」
久保利「(笑)正しい」
冨山「とにかく会社なんていうのは、世の中変わったらいつつぶれてもおかしくないもんなんだよと、ずっと教わってたんで」
久保利「うん」
冨山「つぶれるときはあっけないわけですよ。名門商社もあっという間に」
久保利「あっという間ですよね」
冨山「とにかく自分の足で立てるようにしておかないと魂売らなきゃいけなくなるから、最後はね、と言われていて。それで実は司法試験を受けたんです」
久保利「あぁそうか」
冨山「久保利先生は、家庭的なバックグラウンドはどうなんですか」
久保利「家庭的には、僕は質屋の息子なんですよ」
冨山「あー、やっぱり自分でご商売やってたんだ」
久保利「おじいちゃんが始めた質屋なんですけどね」
冨山「えぇ」
久保利「親父が継いで」
冨山「はい」
久保利「埼玉県なんですけど、放っておきゃね。浦和商業に行けとかね」
冨山「あー、浦商(うらしょう)」
久保利「浦商(うらしょう)に行かされて」
冨山「なるほど」
久保利「それでおしまいなんですよ」
久保利「ある時ね。俺は将来どうするんだろうなぁと考えていたら、小学校の5年生ぐらいの時です」
冨山「はい」
久保利「「僕は開成に行きたいと思ってるんだ」という子がいたわけですよ」
冨山「お友達で?」
久保利「えぇ。で、開成ってなんだって調べて、あ、そうか。京浜東北で一本で行けるんだ」
冨山「(笑)近いですもんね、埼玉から」
久保利「そいつのお兄ちゃんも開成に行ってたんですよ」
冨山「ほぉ」
久保利「開成はいい学校だから僕は行くと言って」
冨山「へぇ」
久保利「じゃあ僕も行くと言ってね。それで2人とも受かったんです」
久保利「大宮から開成に行く子は多かったです。だけど、その昔の僕らが入ったころの開成というのは、東大ベストテンのうちの9位とか10位とか、11位とか12位とかね」
冨山「そっか、そっか、そっか」
久保利「その辺をうろうろしていたんですよ。今みたいにダントツで何十年間1位をね」
冨山「1位って感じじゃないんだ」
久保利「そんな学校じゃなかったですね」
久保利「僕は開成が好きだったし気が合ったしね。ずっと高3まで丸坊主でね」
冨山「そうですか」
久保利「応援団長とか生徒会長とか」
冨山「応援団長もやってたんですか。あそこ応援団長至上主義ですから(笑)」
久保利「そうそう」
久保利「生徒会長より偉いんだから(笑)」
冨山「そっか(笑)」
久保利「そこでラグビー部を作ったりとかね。好きなことやらしてもらいました」
冨山「じゃあもう開成から東大に行く頃には、質屋さんを継ぐ感じはなかった」
久保利「全然なくなってて、それでいいよと。質屋がやりたくてやったわけじゃなくて、武家の商法じゃないけど」
冨山「そうだったんですか」
久保利「何をして食ったらお客に頭下げないで済むかというんで、おじいちゃんが始めたんです」
冨山「なるほどね。動産担保融資ですからね(笑)」
久保利「(笑)」
冨山「そういうことだったんですか」
久保利「ちっちゃい時のお客さんとのやりとりとかね。おじいちゃんから聞いた話とかおばあちゃんから聞いた苦労話とか、なんていうのかな。サラリーマンとはまた違う」
冨山「違いますよね」
久保利「とにかくお金にすごく厳格で、これは奥のお金、これは店の金」
冨山「あぁそっかそっか」
久保利「同じ金ですからね。色ついてないっちゃついてないんだけど」
冨山「ついてない」
久保利「これをね。使い過ぎちゃうと店で運用するお金がなくなっちゃう」
冨山「運転資金がなくなっちゃうんだもんね」
久保利「そういうことも聞いてね。おばあちゃんが株やってたもんですからね。小学校高学年かな。その頃から株ってなんだ株ってなんだって聞いてね。すごかったですよ。うちのおばあちゃんはね。2銘柄しか買わない」
冨山「はい、はい、はい」
久保利「三越と松竹しか買わないんですよ」
冨山「お。ほお」
久保利「この二つはね。なぜかおばあちゃんに言わせると、片っぽが高い時は片っぽが安いんだよと」
冨山「ヘッジですね」
久保利「ヘッジ」
冨山「すごいな」
久保利「しかもね。商品券の優待券だとか、あるいは歌舞伎の優待券」
冨山「優待券が(笑)」
久保利「来る」
冨山「なるほど」
久保利「でね。時期を考えながらね。松竹を売って全部三越にいってみたり」
冨山「やってんだ。すごい」
久保利「三越を全部売って松竹に乗り換えたりとかね。こうやりながらね。すごいの(笑)ほんとね」
冨山「商才があったんだ」
久保利「商才があったんですね」
久保利「それを見ているうちになるほどと思って。アフリカ行った時にも自分の手金がありましたから、絶対上がると思う株を買って親父に担保で渡して」
冨山「はい、はい、はい」
久保利「俺が死んだら好きに処分していいからと。だけど俺が帰ってくるまで半年は売るなと言って。で、帰ってきたら帝国電波というね、今クラリオンになってますけどね」
冨山「あー。前身は帝国電波と言ったんですか。クラリオンって」
久保利「えぇ。あの頃ね、カーステレオですよね」
冨山「はいはいはい」
久保利「車も自分で買ったんだけど、ステレオが欲しいなぁと思って。で、物が欲しい時にはその株を買えというのが、僕の考えた鉄則だったんです」
冨山「はい」
久保利「しっかり儲けてから」
冨山「なるほどね」
久保利「買えばいいと」
冨山「そっか。自然ですよね。物が欲しいということはニーズがあるということですもんね」
久保利「弟に聞いてね。「お前何が欲しい」って。団塊だから。団塊の世代のやつが欲しいというものは必ず売れるだろうと」
冨山「そっか。数が多いですもんね」
久保利「僕だけ思ってもダメなんで、弟の世代が欲しいと言ったら必ず高くなる。で、帰ったら(アフリカから)すごく高くなっていて、すぐ売れと言って」
冨山「そっか。58年、そうでしたね。ガンガン上がりましたよね」
久保利「ねぇ」
冨山「バーッと車とカーステレオは、広まった」
久保利「バーッといったでしょう」
冨山「アメリカのトラックのね。カチャンっていうやつが」
久保利「全部売っ払って、親父から金借りていったんだけれども、これで全部チャラねって」
冨山「返済して。すごいな」
久保利「(笑)だから、元本はもちろん回収しましたし、利益で親父に返して。みんな八方ハッピーで」
冨山「渋沢栄一的話ですね(笑)」
久保利「(笑)」
冨山「ご商売やってたんで、そういう感覚があったんですね」
久保利「あったんだと思いますね」
冨山「そういう、そのプロセスって、それこそ今日の話で言うと、自分で考えないと答えが出てこないんで」
久保利「そう。誰も教えてくれないんで」
冨山「教科書の世界じゃないですからね。どの株買ったらいいかなんて(笑)」
久保利「全部自分で勉強するわけですよね」
冨山「ですよね。そういう勉強を中学とか」
久保利「実学だと思います(笑)」
冨山「よくね、実学と教養を相反するものと言うやついるじゃないですか」
久保利「ええ、ええ、ええ」
冨山「そんなこと言ったら、福沢諭吉だって簿記会計を」
久保利「やれって」
冨山「学問だって言ってるんです。何、言ってるんだと思うんです。これを言うとまた炎上して怒られるんですけど、僕」
冨山「本当はもっと、人文科学、サイエンスとして入れ込まなきゃいけないと思うんです」
久保利「はい」
冨山「国力の問題として」
久保利「完璧に国力そのものですよ」
冨山「削いでますよね」
久保利「ねえ。よその国がどんどん中国もアメリカもね」
冨山「そうなんですよ」
久保利「インドも100万人弁護士がいるんです」
冨山「もういます、います、います」
冨山「学者でもすごいひと出てきているし」
久保利「すごいんですよね」
冨山「国際的にも」
久保利「その中で日本だけ「今だけ、金だけ、俺だけ」みたいなことを」
冨山「ですよね」
久保利「平成三原則で生きていったら」
冨山「そうそうそう」
久保利「この国、絶対大変だから」
冨山「やばいですよね」
久保利「落ちるなら早く落ちてね」
冨山「あー。たしかに、たしかに」
久保利「早くレジリエンスやったほうがね」
冨山「ほんとそうです」
冨山「今度、アメリカの公正取引委員会の委員長が30代の女性」
久保利「あ、そう女性ですね」
冨山「パキスタン出身の」
冨山「独禁法の新しい理論」
久保利「ね」
冨山「ああいう人たちのもう時代でしょう」
久保利「日本は何考えてるんだろうね」
冨山「そう。たしかに落ちるんだったら早めに落ちちゃったほうがいいかもしれないですね」
久保利「ね。早くね、早く落っこちて」
冨山「早めに落っこちてそうですね」
久保利「早く浮かび上がったほうがね」
冨山「たしかにそうかもしれません」
久保利「うん」
冨山「ということは、あんまり中途半端に助けない方がいいのかな(笑)」
久保利「と僕は思ってね。やるなら徹底的にね、早くダーンと落ちて、そっから這い上がれというほうがね、この国の」
冨山「たしかにそのほうがリカバリー早いかもしれない」
久保利「へんなものをね。じゅくじゅく整理しようとしても大変なので、これ全部沈没と言ってね」
冨山「たしかに、たしかに。パッチワークで変に延命してると余計にヤバいかもしれないですね」
久保利「パッチワークってヤバいでしょう」
冨山「ヤバいです」
久保利「結局、整合性とれないから」
冨山「とれないです、とれないです」
久保利「早くね」
冨山「デジタル化なんか、完全にそうですね」
久保利「ねえ。前のものは完全に捨てると」
冨山「そうなんです、そうなんです。システム障害みんなそうですよ、あれ」
久保利「みずほにもそう言ってあげたいぐらいですよ」
冨山「(笑)」
久保利「(笑)」
冨山「きちゃいました、実名がきちゃいました(笑)」
久保利「(笑)」
冨山「いやいや(笑)」
久保利「(笑)はい」
冨山「耐用期限来てるんですよね」
久保利「もう来てますよ(笑)」
冨山「ここを増改築で直すってもう限界が来てて」
久保利「もう建て替えた方がいいよね」
冨山「ええ。先生のおっしゃる通りで、建て替え期に入ってるんですよ」
冨山「建て替え期に入るんだったら、ある程度ほんと建て替えないきゃいけないというとこまで、みんなが思わないとねえ」
久保利「認識しないとね」
冨山「こういう時って、普通のインテリの狭い意味の教養がある優等生って、どうしてもパッチワークにいくじゃないですか」
久保利「どうしてもね」
冨山「政治も経済も社会も教育もみんなそうですけど、ここはもう、一回こう破壊しないと、根本的に設計思想の違う建物を建てなきゃいけないんで」
久保利「そういうことですよね」
冨山「国家改造とか社会改造の時期に来てるんでしょうね。なのでできるだけ、久保利先生はもちろんですけど、今の我々の時代がなんとかまだ元気なうちにちょっと壊しちゃって(笑)」
久保利「そう」
冨山「壊しちゃって(笑)」
久保利「とにかく壊さないことにはね、なかなかだから、立ち上がらないですよね」
冨山「そうですよね」
久保利「この国のあり方が」
冨山「むしろ更地の状態で孫の世代に渡した方がいいかもしれないですね」
久保利「と、僕は思いますね」
冨山「そこは今日つくづく思いました、私も」
【冨山 和彦 PROFILE】
株式会社経営共創基盤共同経営者共同経営者(パートナー)
IGPIグループ会長
1960年生まれ
東京大学法学部卒 スタンフォード大学経営学修士(MBA) 司法試験合格
ボストンコンサルティンググループ
コーポレイトディレクション代表取締役を経て
2003年 産業再生機構設立時に参画しCOOに就任
2007年 経営共創基盤(IGPI)を設立し代表取締役CEOに就任
2020年10月IGPIグループ会長
2020年日本共創プラットフォーム(JPiX)を設立し代表取締役社長に就任