書体デザインへのフィードバック
書体デザインの大学院に在籍する学生の典型的な悩みは「どの先生のどのフィードバックに従えばいいの?」かもしれない。どの院にも書体デザイナーの教員が複数いて、彼らの添削をもとに技術を磨いていくのだけれど、各々言うことがバラバラで、時にはまったく正反対の意見が出てくるので、生徒は混乱する。
大学院生の僕がギリシャ人の先生にこのことを相談したとき、先生の助言は「自分の芯をつくりなさい」だった。それは僕にとっては、多様な気質の人たちがあまり溶け合わずに混在するヨーロッパで生きてゆくための知恵でもあった。耳に入った助言を採用するかしないかは各自が決める。そうして現在の欧文書体の広大な世界ができ、まとまっているようなそうでないような欧州社会があるのだった。
(まあでも、そんなことに慣れているはずの欧州の学生もパニックに陥るのは、必要な基礎が身についていないのに自力での助言の取捨選択を求められるからで、これはかなり過酷だと感じます。ただ、教員の方は短い期間になるべく多くの内容を教える必要があるというので、しょうがないと諦めているらしい......。)
たとえばそのギリシャの先生は、さらに学びや経験が深まりそうなことを助言すると決めているので、いま見せているものが格好良いか、綺麗か、売り物になりそうかなどの観点からは意見を言わなかった。ある先生は自分の作品に似たデザインに厳しくて、作ったものがそれに近づいてくると、離す方向の助言に注力した。別の人は前に言ったことはすっかり忘れて、毎回思ったことをすべて言うやり方だった。ややこしいのは、それぞれの先生が「私はこういうスタイルです」と明確に説明してくれる訳ではない —— そもそも自分で把握しているかもわからない —— 点で、こうなると、先生に対するこちらの人間観察力も問われてくる。(となれば、まあ、リアルな職業準備とも言える。)
だんだん僕が知人や同僚にフィードバックを与える機会が増えてきて、どう助言するのがベストかとその都度自問する。上のような体験を自分がしたり見てきたりしているので、僕の意見でこの作品が混乱してほしくないと思う。そう願うとき「何を言わないか」という判断がいちばん難しい。この人にはこの人のスタイル、得意技、苦手なこと、性格、いま目の前に出されたものに辿り着くまでの経緯がある訳で、厳選して何を言い何をそっとしておくのが作品の進捗に資するか、その峻別の困難。そしてそもそも前に書いたように、現在の欧文書体の世界の「正解」はあまりに多様で、荒削りの状態のままの方が独創性の点でよいということもある。あるいは、どこかおかしなところがある方が、グラフィックデザインの道具として機能しやすいというのも事実だろう。
そういえば僕は日本の美大を知らないけれど、そこではどのようにデザインが教えられているのだろう? いつか見てみたいと思っている。