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【2022/11/08~2024/02/27 Vol:1】

2022年9月、ある取り組みの打ち合わせで三木市に居た
妻からLINEが入り『遥が癌になったみたい…』と
三木市に打ち合わせに向かう途中
尼崎から伊丹を経由して高速に向かう途中
娘が尼崎から私の車の後ろを走っていた 
娘の車だと気づいたのはハチノスを出てからほどなくして
娘にLINEで「後ろ走ってる?」
娘から『後ろおるで』と短い文章
何処に行くのかは分からなかったが
伊丹の大きな病院辺りで居なくなった
…検査に向かっていたのだと妻からのLINEを見て理解した…
病状がどの程度進んでいるのか…
検査結果が出るのは三日後と言われた
夕方、娘と妻と3人集まり食事に出かけた
その場で色々な話をした
意味のない 根拠のない 誰のためにもならないような
【大丈夫】と言う単語がやたら多く発せられた
膵臓だということ
肝臓にも転移しているということ
ステージ4だということ
医者から発せられた言葉だけが重くのしかかる
空元気のような【大丈夫】は役に立たないことは
その場にいるみんな知っているが【諦めたくない!】
その心境だけでその日は平静を装えた
三日経ち検査結果を聞きに妻と娘と一緒に病院に行く
即座に入院を促された
【延命治療と苦痛を和らげる治療】
医者の言葉には【治すための治療】は含まれていなかった
もとより医者や病院といったものに信頼など於いていない
薬にも同様に…
他の病院の診断を受けようと3人で話をし
すぐに別の病院を探した
最も癌治療の受け入れを行い
最新の検査を行ってくれるであろう大阪の大きな病院
病院を信頼していないと言っておきながら藁にも縋る思いで病院を探す
予約も取れその日が訪れる
娘と妻と一緒に検査に行く
最初の病院での検査から10日ほど経過している
遥はまだ元気を装っている
時折、検査自体が辛そうにするが
待合室の椅子に横になり体力を温存している
座っている姿勢も続けていることが辛そう…
検査結果はその日に教えてくれるというので
病院に結局5時間ほど居た
検査結果が出ると同時に入院の準備に入ってくれと言う
「早急に部屋を用意するからお嬢さんの身支度をして夕方までに来てください」
時期はまだまだコロナの影響が強く
入院などしてしまえば東洋治療も面会も出来ないことは
馬鹿でもわかる
ましてや遥の彼氏がお見舞いに来ることすらできなくなる
丁寧にお断りしてその日は病院を出た
伊丹の病院にさし返された格好だ
伊丹の病院にも連絡をし再度検診日を決められる
と同時に私の友人知人の中に【癌に効く】治療を施している人も
沢山いたからありとあらゆる人に連絡をし
治療をお願いした
また【祈り】の力を信じる仲間に【祈り】をお願いした
私自身が出来る治療を施すことも始めた
2022年11月8日享年32歳で逝ってしまった遥との…
最後の約一か月半が始まった…


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