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坂田昌子とその仲間たち【愛すべきお姉さん】

Q1:あなたについて教えてください。 A:運動神経が良くて学業もそこそこ。高校一年の時に洋楽に出会い(UK・ ROCK)惜しまれつつ高校二年生で高校を卒業。二年で卒業はその年、7名もいた優秀な新設校での出来事。 アマチュアバリバリの音楽活動はプロには程遠く、それでも毎日毎晩、バンド仲間と集まり語り、いつしかそれも消えていく。同じころに妻と出会い、妻の部屋に転がり込み、そのまま子どもを授かり、結婚。離婚歴は無し。 17歳から怒涛の転職社会人生活。家族のために働き、自分の小遣

    • 【2022/11/08~2024/02/27 Vol:11】

      時折、夢に出てくる娘 寂しさに満ちた夢の時もあるし 楽しかった想い出を辿る時もある 今年申請していた事業は尽く不採択になっている その理由は分かっている 勝手な解釈だけれど 無理をするな! そう言われているかのよう 自分自身どうやって日々を過ごし 一日を終わらせることが良いのか 正直まだまだ見つけられていない 分かっている事は 夢中になれることに向き合っている その瞬間だけは 少し忘れている… 寂しさも悲しみも… 身の丈に合った生き方を模索する 残された家族

      • 【2022/11/08~2024/02/27 Vol:10】

        遥の体調が目に見えて悪くなっていったのは 病気が発覚して一か月が経った頃から 事務所兼寝床で看病をしながら 私は仕事をする日々が続いた この頃の私は流行り病の影響で オープンしたばかりのお店は開店休業状態で それと別で取り組む市民活動が中心だった 市民活動の中で一つの大きなプロジェクトが採択され 少しばかりの資金を得ていて看病に時間を費やすことが出来た 遥を連れて三木や大阪市内の病院へと車を走らせる この病に効果があると言われれば自分なりに調べて 電話をかけ予約を取り

        • 【2022/11/08~2024/02/27 Vol:9】

          事務所を寝床として活用しだしたのは流行り病が広がる少し前 その年の5月に昭和の民家を改装してcurry屋を始めた 夜はBAR営業も始めた。別の場所で約9年間BARを営み 独学でcurryも作り始めていた 拾い猫の保護もやっていて自宅には既に3匹の猫がいた その内の1匹は相性が悪く 古参であったが新しく来た猫に虐められていた このままでは可哀そうだと考えて 事務所で飼う事にし 事務所兼カレー屋兼寝床となった 流行り病が広がる3か月前から寝床使いしていると 年をまたぐ頃には

          【2022/11/08~2024/02/27 Vol:8】

          7月のある日の夕方 遥の彼氏の友人であり 私も繋がりのある人から電話着信があった 作業をしていて二度目の着信で気付いて 電話に出たのだが それは悲しい知らせだった 彼氏は遥の49日を迎えるまで毎日 共に晩御飯を食べ沢山の話をした まだまだ若い世代 悩める世代 仕事の事や将来の事 遥を失ったとは言え 前妻との間に子どももいるし 1人は共に暮らしていた 遥も一時は母親代わりをやっていたみたい 随分と仲良く親子だったみたい 遥が逝ってから彼氏の中でも多くの変化があり 夏を迎える

          【2022/11/08~2024/02/27 Vol:8】

          【2022/11/08~2024/02/27 Vol:7】

          愛する娘 遥へ 遥が逝ってしまってから49日の間 貴方の彼氏は毎日来てくれていたよ ローソクに火を灯し お線香をあげて 父さんと一緒に晩御飯を食べて 時には笑いながら 時には悲しみに満ちた 時間を共に過ごした 最初に彼氏に会った時には随分と年下に見えたよ 確か事務所の外であなたが彼氏を待たせているときに 父さんがばったりと帰ってきた時だった 軽く会釈をして照れ臭そうに 離れた場所であなたを待っていた様子 今も目に浮かぶ 遥が逝って 彼氏も随分と寂しく悲しい想いだったろ

          【2022/11/08~2024/02/27 Vol:7】

          【2022/11/08~2024/02/27 Vol:6】

          遥は私にとって3人目の子どもとしてこの世に生を受けた 男兄弟三人の末っ子として産まれ 環境も相まって男社会の中で育ってきた私 自分が家庭を持ったなら女の子が欲しかった 長男 次男と産まれ『男家系なのかな』と半ばあきらめていた 次男と5年離れて遥は妻のお腹に宿り皆に祝福されて産まれてきた 待望の女の子が産まれ私は心底嬉しかった その後の子育ても上の二人とは大きく違い 声を荒げて叱る事もましてや手を挙げることもなく 眼の中に入れても痛くないというのはこういう事か?と 想えるほど愛

          【2022/11/08~2024/02/27 Vol:6】

          【2022/11/08~2024/02/27 Vol:5】

          遥の病気が発覚した同じころ 一つの大きな事業の契約があった 正直かなり悩んだ 遂行できるかどうか… 金銭的な不安もあり 家族で相談し その契約だけは進める事に成った これで少しは資金的には安心できる状況になった 其れとは別に治療先を探す日々は続いた 今のところ米ぬか酵素風呂の効果は幾分かあったように思う 遥も酵素風呂に入った後は少し体力を奪われるが 褐色は良くなり少し食事も出来た 帰り道の温泉も気分転換には良かっただろう 妻と娘と元気になり 翌年の北海道ツアーは無理にして

          【2022/11/08~2024/02/27 Vol:5】

          【2022/11/08~2024/02/27 Vol:4】

          パートナーと一緒に暮らす団地は5階建て 最上階に住んでいる遥を送り届け事務所兼寝床に戻る 何かあったら駆け付けられるように枕元には電話を置いておく 代替療法を施し終えると送り届けるのだが それも2週間ほど経ってからは帰る事もままならない 体力が衰えてて事務所兼寝床で共に過ごすようになる 仕事帰りに彼氏が立ち寄り一緒にご飯を食べて 彼氏は帰っていく 悔しながら彼氏が立ち寄ると遥は幾分元気になる それはまっとうな姿 二人きりの時間が必要だろうと思い 時々たばこを買いに出かけ

          【2022/11/08~2024/02/27 Vol:4】

          【2022/11/08~2024/02/27 Vol:3】

          ケイシー療法を週に3日行い 毎木曜日は病院に検診に行き 週末の二日は三木市にある 米ぬか酵素風呂に行く 帰り道に温泉に入り 食事をして帰る 妻の仕事が休みの時は3人で 妻が仕事で居ない時は遥と二人で 週末ごとに三木市までドライブ 車に座っていることもだんだんと辛くなり ちょうどその頃軽自動車のワゴンタイプを譲っていただき その車があったことで重宝した 病院ではしつこいくらい入院を促される 理由は自宅で最期を迎えたときに 刑事事件扱いになり厄介なことになると これま

          【2022/11/08~2024/02/27 Vol:3】

          【2022/11/08~2024/02/27 Vol:2】

          まず最初にたどり着いた治療はケイシー療法 自分自身も施術を学んだ療法 自分に施術を教えてくれた仲間に助けを求めた すぐに時間を作ってもらい尼崎に来てもらった その頃の遥はまだ元気で一通りの施術を受け 少しはマシになったと言う それはもしかしたら必死になっている私への優しさだったのかもしれない 施術に来たケイシー療法の私の先輩 遥の病状を伝え施術に取り掛かる中 これまでの自身に満ちた話っぷりと一転 不安げな言葉に私はその先輩の施術に 頼ってしまったことに後悔した 癌患者を治

          【2022/11/08~2024/02/27 Vol:2】

          【2022/11/08~2024/02/27 Vol:1】

          2022年9月、ある取り組みの打ち合わせで三木市に居た 妻からLINEが入り『遥が癌になったみたい…』と 三木市に打ち合わせに向かう途中 尼崎から伊丹を経由して高速に向かう途中 娘が尼崎から私の車の後ろを走っていた  娘の車だと気づいたのはハチノスを出てからほどなくして 娘にLINEで「後ろ走ってる?」 娘から『後ろおるで』と短い文章 何処に行くのかは分からなかったが 伊丹の大きな病院辺りで居なくなった …検査に向かっていたのだと妻からのLINEを見て理解した… 病状がどの程

          【2022/11/08~2024/02/27 Vol:1】