坂田昌子とその仲間たち【愛すべきお姉さん】

Q1:あなたについて教えてください。

A:運動神経が良くて学業もそこそこ。高校一年の時に洋楽に出会い(UK・ ROCK)惜しまれつつ高校二年生で高校を卒業。二年で卒業はその年、7名もいた優秀な新設校での出来事。
アマチュアバリバリの音楽活動はプロには程遠く、それでも毎日毎晩、バンド仲間と集まり語り、いつしかそれも消えていく。同じころに妻と出会い、妻の部屋に転がり込み、そのまま子どもを授かり、結婚。離婚歴は無し。

若かりし頃(40歳)


17歳から怒涛の転職社会人生活。家族のために働き、自分の小遣いはダブルワークで稼いでいた。(主に夜間の肉体労働)新聞に載る大事故をトラック運転手時代に起こし、免許証を取り上げられている間に営業職へと転身。転職の経歴は履歴書二枚でも書ききれない。やってないのは専門職だけ。(大工とか左官とかの修業が必要なやつ)順風満帆かに見えた営業職時代に阪神大震災を経験。家なき子となった義理の母、実父を狭いマンションに迎え、これまた家なき子となった兄貴二人におにぎりを配りながらフッと考えた。『物はいくら持っててもこんな目にあったら意味ないなー。今まで働いて手に入れてきたもんが水の泡やなー』そう考え、営業職時代に再燃していた音楽活動を二年限定で本気で取り組む。それなりのロックバンドで九州から東京まではライブ活動ができるくらいだった。もちろん稼げるバンドじゃなかったけれど。子どもが少し悪さをしてそんな子どものためにお店を始める。下戸の自分ができることは【BAR】やな。(縁があったからですが)8年間、尼崎の高級住宅街のはずれのスラムでお客さんと喧嘩しながらやってましたが、2011年に東日本大震災を経験する。当事者ではなかったが思うことはほんとに沢山あった。その一年前から始めていた【ベーシックインカムの勉強会】とか【政治家に政策提言を行う勉強会】とか、無力に思える瞬間だった。数多くの命が消えていく。そこから本気で社会と向き合う市民活動家の誕生。その内容はほとんどが反対運動。人生の先輩たちと一緒に行動していたが、その中には敬意を払い尊敬できる人はほんの数人。
ほとんどの人に嫌悪感しかなかった。デモの最中に花壇の花を踏み散らかしシュプレヒコールを上げている姿は今も忘れない。紆余曲折あり、マーケットイベントや自主上映会、子ども食堂、色んな相談を持ち込む人がいてそのサポートとして共に開催。2016年ころに『【生き物ラジオシーズン2】を始めたいのだけれど、人を集めている』の呼びかけをいただき参加。ようやく坂田昌子さんと出会い、生物多様性との関わりの幕が開きましたとさ。

尼崎・武庫之荘時代のBAR

Q2:坂田さんの生物多様性を重んじるワークショップを通じて
ワークショップのお話の前に生き物ラジオからの流れを一つ。初めて会ったのは生水の郷。いきなりのご対面とお散歩ガイド。ルーペを手渡され、案内の方は遥か彼方。坂田さんの説明に足が止まり地面に寝そべってルーペで見ているから、行きかう人が『何か落とされたのですか?』とか『何が居るのですか?』とか。いえいえ。苔を観察しています。葉っぱの裏を見ています。そののち、今回の滋賀合宿でも訪れた【あやめ荘】で生き物ラジオシーズン2のお話やなぜ生物多様性を学び知らなくちゃいけないか?どうやって関心を高めていくか?などと真面目に話し合いが進み、この取り組みは一年に渡って続いた。それからは兵庫県六甲山、和歌山県勝浦町、兵庫県多可町、大阪府能勢町など様々な場所でその土地の人たちとの交流と、坂田さんの自然観察会を開催した。その頃のうちの団体は(今もですが)資金力不足否めない中で企画していたから坂田さんには感謝しかない。それでも駆けつけてくれ、企画に乗っかってくれる坂田さんには【愛すべきおねーちゃん】と敬意をもって向き合い続ける覚悟。坂田の杜の中でも語られるが坂田さんを尊敬し、見習いたいと思ってるところは学び続けていること、自信をもって言い切ること、間違えていたとしたら訂正すること。その裏付けは自然界の中で完璧なる正解はないと知っているからなのかなと。人間が理解していることの何百万倍も理解できていないことが自然界にあることを知っているからかな。とか思っています。坂田さんのワークショップはじめ、生物多様性ガイドも宮本常一さんを語るときも【愛】を感じずにはいられないのです。対象とする物や事に対して、あるいは声を上げた【か弱き声】に対しても愛で向き合っているのだろうな。そう感じる。きっとそうでしょう。だからわたくしもそうありたいなーと心の底から思っています。

和歌山県の坂本さん宅で。おでこが完全無防備になっている人が坂本さん。

Q3:あなたにとって生物多様性とは?
先に記述したが、反対運動を行い正しいと思っていることを発信する。それ自体は本人がしたいことだからやればいいのだけれど足元の花壇は荒らされていて、花そのものもだけれどその花壇にまつわる全てのものを踏み荒らしているのだと感じたことが記憶にあり、生物多様性の事を知り、坂田さんとのお付き合いが始まったときにその光景が脳裏に浮かんだ。そうだよねー。どの命も大切にしつつ、何か良い方法があるのだろうと思うし、人だけを見ても色々な人がいるからそれぞれなんだと思う。と、同時に人が考える【平和な世界】は自然界のそれとは少し違うことも農や生物多様性を通じて確信しているところ。誰もが仲良く死んでいこうなんて自然ではない。腹が減れば食べるし、習性としての行為が時には命を奪うこともある。そんな中でわたくしたちも含めた自然界は存在していることも忘れてはいけないと思う。それらを踏まえて修復し、多様な命の営みが続けていけるような環境づくりは人の仕事でしょう。これまでさんざん荒らしてきたんだからね。そんな風に考え、自分の取り柄を粛々と実践しているのかなー。


兵庫県川西市での緑化公園づくりの現場。随分と叱られました(笑)

Q4:生物多様性の仲間で次にバトンを手渡したい人は?

長野県の小澤さんにバトンを託したいと思います。韮沢蝶の森で開催された坂田さんのWSで初めてお会いしたのですが、小澤さんはじめWS運営の皆さんのチームワークと雰囲気の良さに感激いたしました。【柳枝工WS】という一回だけの参加だったのですが、その技術と智慧が学べたことも稀な機会だったのですが、二日間のWS開催中も夜ご飯の時も心地良い二日間になりました。その心地良いチームの代表、小澤さんに託します。

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