素敵な「せんせい」を送り出すのが私の仕事
こんにちは。私は保育士や幼稚園教諭を目指す大学の教員です。大学教員になって16年になります。私がなぜ、大学の教員になったのか、どんな教育観を持っているのか、自己紹介も兼ねてこれまでのことをちょっと振り返りたいと思います。
私が大学教員になるまで〜少年編〜
私は岩手県で生まれ育ちました。大学受験は失敗に次ぐ失敗。高校生のときは「学ぶ」ということに全く興味はなく、スポーツにも自然にも興味なし。強いて言えば地元ラジオ局(IBC岩手放送ですね)のラジオを聴いて、時々リクエストなんかして、、、あとはこたつで寝る生活。非常にぐうたらした日々を過ごしていました。田舎の長男は往々にして期待されるもの。しかし、幸いにも両親が早々に私の立身出世を諦めてくれたおかげで、田舎町で穏やかに暮らしたのでした。
大学は別に何学部でもよかったのですが、なんとなく選んだのが社会福祉学部でした(ここしか受からなかったのですけども)。
「なんとなく」と言っても少しは動機があるわけで。
私の両親は共働き。父は消防士、母は看護師だったので両親共に忙しく、寂しい思いもしたのですが、同居の祖父母(父方)や祖母(母方)にとっても可愛がられ、いつの間にか「おばあちゃんこ」に。父方の祖母は心臓が弱く、母方の祖母も高齢になるにつれ弱さも見せるようになり、私はなんとなく「社会的に弱さを抱える人の役に立ちたいな」と思うようになり「福祉」に興味を持ち始めたのです。(…だと思います。たぶん。)
私が大学教員になるまで〜青年編〜
大学4年間は比較的真面目に勉強しました。まぁ「社会福祉」という分野が性に合っていたのでしょう。サークル活動(吹奏楽)やバイト(塾講師やら結婚式場やら)はそこそこに楽しみましたけど、大学4年のときになぜか「社会福祉士現役合格」という目標をたて、コツコツ勉強して(人生初の”コツコツ”)合格しました。
その後、「もうちょっと勉強したいな」すなわち、大学院進学という希望を持ってはいたのですが、やはり(さすがに)これ以上親に授業料を頼るのは憚られ、かつバイト代はすべて飲んだり食べたり遊んだりして使ってしまっていた私は、2年間の法人勤務を経て、とある自治体の社会福祉専門職(ソーシャルワーカー)になりました。
この頃、結婚し、ほどなく子どもも授かりました。仕事もそれなりに充実していたとは思いますが、ここで人生最大の危機が起こります。
公務員として普通に勤務しながら、私は大学時代に諦めていた大学院進学を決意し、福祉系の大学院の修士課程に入学しました。
その後いろいろ研究やら勉強やらする中でわかったことですが、これはどう考えてもキャパオーバー。仕事と大学院を両立する方はたくさんいると思いますし、実際大学院の同級生には結構社会人の方がいました。しかし私は結婚と妻の出産も重なりましたので、知らず知らずに心のエネルギーが空っぽになり、ある日突然、パニック発作を起こしたのです。この時のこと、その後のこころの状態の回復については後日書こうと思います。いずれにしても、無理が祟りました。
こんな経験から、私は現在、特に社会福祉従事者(保育士や幼稚園の先生など)の心の健康に関心を持って研究をしています。
いよいよ教壇へ
そんなこんなで公務員と大学院生という二足の草鞋は無理!と判断した私は、大学院を辞める!という選択を…するのが普通だと思いますが、公務員を辞める!という選択をしました。公務員は自分が思っていた以上にストレスが溜まる仕事。心の健康の回復を優先したのです。あの時、生まれたばかりの長女を抱えた妻はさぞ途方にくれたことでしょう。でも、やはり私は現場よりも研究をしたかった…。妻には今でも感謝しています。
私が大学院を修了する頃、社会福祉の実務経験のある教員はかなり公募がありました。このことも公務員退職を後押ししたかもしれません(しかし、「公務員と結婚した妻」はたまったものではありませんね。本当に申し訳ない)。謎の自信は単に運が良かったのだと後で気づくのですが、幸い保育士養成系の大学教員に採用され、これまで3つの短期大学で保育者養成の仕事をしてきました。
初めて教えた学生はもう30代半ばになっています。
私の研究と教育観
私は紆余曲折を経て、社会福祉のうち、特に「子ども家庭福祉」を専攻するに至ったのですが、これも後述しますね。今の研究の主軸についてお話しします。
まずは、「子どもの権利擁護」です。子どもへの虐待が後を絶ちません。また、残念ながら保育者による不適切な関わりも多く報じられています。これは当事者だけではなく社会全体が共有しなければ問題です。特に子どもにとって本来楽しくわくわくするはずの保育園や幼稚園での先生による不適切な関わりは、その「先生」を送り出した保育者養成校の責任も重いものであると痛切に感じています。ですから、授業では「子どもが持っている(あたりまえの)権利」をしっかりと学生たちに根付かせるように意識しています。ですが、、、学生は平日の眠くなる時間に「福祉」だの「権利」だの、法律、制度の話は薬に勝る睡眠導入効果があるのだろうと思います。まずは目標として「問題意識を持ってもらうこと」、世の中の虐待や不適切な関わり、養育に対して「心を痛めること」が大事だと思って、どのような授業をすれば、まずは「90分間起きていてもらえるのか」と悩んでいるのです。
次に、保育者が「いきいきと働くために」はどうすれば良いかの研究にも力を入れています。保育現場の先生が疲れ果て、意欲の湧かない状態で子どもの前に立つのはとても辛いことです。社会では小中学校の先生の過重労働が問題になっていますが、私が知る限り、保育士、幼稚園教諭も例外ではありません。「せんせい」が子どもの前に笑顔で元気に立てるように、制度や働き方について考えています。先生が元気だと、結果子どもは幸せですよね。つまり、このことも子どもの権利保障につながることだと思って研究を続けています。
おわりに
ちょっと長くなりましたが、今に至るまでのことをざーっと振り返ってみました。研究者としてはまだまだ半人前だし、教育にも自信がありません。ですが、立派な先生を保育現場に送ることが私の仕事ですから、これからも保育士・幼稚園教諭の養成について、悩み続けたいと思います。目の前の学生の幸せとともに、学生の先にいる子どもの笑顔を想像して、あしたも教壇に立ちます。雑文をお読みくださり、ありがとうございました。
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