街から雑談が消えたとき #スロー・フロー・ブログ
朝から、うーんと唸ってしまうような問いを友人からいただきました。
改めて、治安ってなんだろう。辞書で引くと、「国家・社会に異変がなく、秩序が保たれていること」と書かれている。
治安が悪い状態は、閉塞感があり、人々が孤立していて、犯罪が起きるような「人と人が分断された状態」だと言えると思います。なので、ここではひとまず「治安がいい」=「その地域に信頼し合える関係性が多い状態」ということにしてみようと思いました。
街から雑談が消えたとき
街から、挨拶を含めた雑談が消えてしまったとき。
それは、治安が悪化したと言えるのではないかと思いました。
雑談とは、話すことそれ自体に目的が宿った会話のこと。手段としての会話ではなく、目的としての会話だと考えます。
それがあってもなくても、具体的な行動につながったり、数字として何か成果が出たりすることのない、“他愛もない話”のことです。
ビジネスの世界では「コミュニケーションコスト」という言葉があるみたいです。
何事に対しても理解力が低い、自分の役割を把握していない、人の話を聞かず自分の話ばかりする、情報共有ができていない人は「コミュニケーションコストが高い ( つまりムダが多い ) とされていて、いかに組織としてそのコストを下げるかということが大事なようです。
でも、この考え方だけに重点を置くと、無駄話はどんどん削減されて、コミュニケーションに遊びがなくなっていき、この話は生産的か? 目的に適っているか?と頭で考えるようになり、しだいにギスギスしていくでしょう。
なんでも、やりすぎるとかえってやらないよりも悪い結果に結びついたりします。
話は会社から街へ。
ついつい、会社に出勤してしまいました。
街へ戻ってきましょう。
「雑談」別々のところから見てみることで、その形がよく分かると思ったので、コミュニケーションコストのお話をしてみました。
僕は、何気ない挨拶やムダ話や井戸端会議みたいなものって実はムダなんかじゃぜんぜんなくて、関係性構築のために欠かせない時間だと思っています。
それ自体が目的なのにも関わらず、副産物がとても多いと思うのです。
挨拶することで、相手の体調や調子がなんとなく分かったり、ムダ話をすることでその人のキャラクターや関心事が分かったりします。
もちろん、自分のことばかり話す人だったり、話してもどうしようもない噂話をする人ばかりだと辛いですが、それはそもそも「それ自体が目的である雑談」じゃなくて「寂しさや暇を埋めるための手段としての話」です。
どうしたら、雑談は増えるのか。
どうなんでしょう。
雑談ってどうしたら増えると思いますか?
書いておいてなんですが、雑談は増やそうとして増やすものでもない気がします。
経済学でソーシャル・キャピタル ( 社会関係資本 ) という考え方がありますが、簡単にいえば人とのつながりのこと。
それを研究、実践している武井浩三さんはこのように言っていました。
あまりにも身も蓋もないというか、ストレートです(笑)
僕なりに言い換えると、「同じ釜の飯を食う」ということだと思います。
特に、ご飯を一緒に食べるだけではなく、作ること。
それだけで、なんだか家族に近づいた気がしませんか。
その中でも雑談は生まれるし、好きなもの嫌いなものを教え合ったり、いわば人間としての付き合いが始まります。
何がいいたかったのかというと、それが会社であれ、学校であれ、地域のコミュニティであれ、みんなでご飯を食べることで、そのあとも持続する人間同士のつながりが育まれ、雑談は自然発生的に増えてゆくということです。
相手がどのような人かわからないと、僕たちは無意識的に構えてしまったり、攻撃的になったり、自分のことをわかってほしいと要求し合ったりして、疑心暗鬼になってしまう生き物です。
そうなれば雑談は次第に消えてしまい、人々は孤立していき、それが転じれば犯罪といわれる行為につながってゆくと思うのです。
このようなことを友人に伝えたら、どうやら腑に落ちてくれたみたいでした。
と言っている僕は最近一人でご飯を食べてばかりなのですが(笑)
でも、じっくりと一人でいられる時間があるから、誰かといる時間も適度に愉しめると思っています。
いつもおもしろい問いをくれる友人に感謝です。
noteを読んでくれてありがとう! 僕らしく、優しさのリレーをつなぐよ。