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思い出して忘れて、また思い出す #スロー・フロー・ブログ

昨日、たくさんお世話になった人が亡くなりました。

身近な人が急に亡くなると、ぜんぜん実感が湧かないものなんですね。
正直今でも、会いに行けば普通に生活しているんじゃないかと思ってしまうくらいです。

老いてゆく身体を持っていればこの世界に生きる誰もが、今のところ100%迎える「死」について、そして同時に、今目の前にある「生」についても思いを馳せてみたいと思います。

僕たちはあと何度、大切なことを忘れるんだろう。

最近、友人からおすすめしてもらって久しぶりにどハマリしてしまった井上絃くんの「幸せについて、僕が考えたこと」。

苦しい病気と向き合い続けた、当時12歳の絃くんが悟った、とてもシンプルな真理「人生は“今”しかないんだ」ということを歌った曲です。

神様わかったよ 僕は今
前に進むこと選んだよ
当たり前じゃないこと
向き合えた自分ごと

公園で遊ぶ声
愛してくれたこと
愛する人がいることに気付けたんだよ

そうさ皆そうさ今しか生きれない
そうさ皆 そうさ今を抱きしめればいい
それに気付けた事で
僕は世界一幸せになれたよ

井上絃「幸せについて、僕が考えたこと」

言葉にすると理解できるし、心からそうだよねと思うけれど、日常の複雑さに惑わされてしまうとつい不安になったり、後悔したり、自分を責めたりしてしまいます。

今の状況に冷静になればなろうとするほど焦って、自分や周りを信頼できなくなって、ほんとうに選びたいことを選べないこともあります。
いや、選べないというかほんとうの自分の声が聴こえなくなってしまいます。

そういうときこと、深く、しっかり息をしたい。
ゆっくり自分に嘘をつかず選んだあとは、なんだかとても気持ちがいいです。
反対に、焦って選んだあとは、違う方を選ぶべきだったんじゃないかとか、また自分の声を無視してしまったとか、とにかくモヤモヤが残ることが多い。

これはほんとうに個人的な感覚ですが、しっかりと中心を見据えて選べたら、そのあとの巡りもよくなって、いいことが起こることが多いような気もします。

先日も、10年前に気づいたようなことにまた気づかされたなということがありました。
僕たちは大切なことを何度も忘れて、何度も思い出して、少しずつ、ほんとうに少しずつ成長していく生き物なのかもしれません。

それなら、堂々と忘れんぼうになろう。

大切なことを何度忘れたって、またときが来れば思い出せます。
大切なことを大切にしようとしすぎて、深刻になりすぎたり、失敗しないように振る舞うようになってしまってはそれこそもったいない。

堂々と忘れんぼうになって、無駄と言われることでも自分の目で、耳で、身体でそれを味わう。
バカと言われてもいいから、脈絡のないことに飛び込んでみればいい。
それくらい開き直ってもいいのだと思います。

今日は、友人が人生を変える決断をしたことを聞かされました。
自分のこれからの道について考えて、どうも視野が狭まっていた僕の目を開けてくれました。
僕の周りにはよりよく生きることを教えてくれる先生がたくさんいて、ほんとうにありがたいです。

最後に、僕が10代のころに偶然出会って以来お守りにしている「95歳の老人の詩」という詩を紹介します。

もう一度人生をやり直せるなら・・・・ 
今度はもっと間違いをおかそう。 
もっと寛ぎ、もっと肩の力を抜こう。
絶対にこんなに完璧な人間ではなく、
もっと、もっと、愚かな人間になろう。
この世には、実際、それほど真剣に思い煩うことなど殆ど無いのだ。

もっと馬鹿になろう、
もっと騒ごう、
もっと不衛生に生きよう。
もっとたくさんのチャンスをつかみ、
行ったことのない場所にも
もっともっとたくさん行こう。
もっとたくさんアイスクリームを食べ、 
お酒を飲み、豆はそんなに食べないでおこう。 
もっと本当の厄介ごとを抱え込み、
頭の中だけで想像する厄介ごとは出来る限り減らそう。

もう一度最初から人生をやり直せるなら、
春はもっと早くから裸足になり、
秋はもっと遅くまで裸足でいよう。
もっとたくさん冒険をし、
もっとたくさんのメリーゴーランドに乗り、
もっとたくさんの夕日を見て、
もっとたくさんの子どもたちと真剣に遊ぼう。

もう一度人生をやり直せるなら・・・・

だが、見ての通り、
私はもうやり直しがきかない。
私たちは人生をあまりに厳格に
考えすぎていないか?
自分に規制をひき、
他人の目を気にして、
起こりもしない未来を思い煩っては
クヨクヨ悩んだり、
構えたり、
落ち込んだり ・・・・

もっとリラックスしよう、
もっとシンプルに生きよう、
たまには馬鹿になったり、
無鉄砲な事をして、
人生に潤いや活気、
情熱や楽しさを取り戻そう。
人生は完璧にはいかない、
だからこそ、生きがいがある。 

95歳の老人の詩

生きている。
それだけですごいこと。
こわがらないで、大丈夫。
僕たちは、何があっても大丈夫。

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