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遊び性を解放するには #スロー・フロー・ブログ

昨日、弟が始めた気球のイベントのカメラマンをさせてもらいました(こちらがその記事!)。

撮影時間は約4時間。
それと並行して気球を安全に飛ばすお手伝いにも関わらせていただきました。

気球は地面に接着していても少しでも風が吹けば、大きく揺れ動くので、地面から浮き上がらないように大人5〜6人で押さえたり、気球に温熱を送る送風機が壊れてなんとか人力で空気を送り込んだりと、飛んでいる姿からは想像できないほどなかなかにたいへんな現場でした(笑)

けっこうへとへとになってしまいましたが、気球に乗る子どもたちの初体験をみんなで創る充実した時間でした。

話は写真へ。

これは、いわゆる対価が発生する仕事ではなく、バーター契約や物々交換でもなく、ただ家族のためにできることをするだけ、という社会規範的な行動でした。

だからこそ、写真も時間の制約もオーダーに対する義務感も感じずにいつもより自由な気持ちで撮れたと感じています(もちろん、制約の中でいかに相手の期待を上回るものを創れるかというチャレンジもおもしろいのですが)。

今日は、その写真をレタッチしていたんです。

そこで、気づいたことがありました。「遊ぶとは採算度外視で試すこと」だと。

子どもだけに限らず、大人も、遊びの気持ちで何かに取り組んでいるときは、それが誰かのためになるかとか生産的であるかどうかとか、採算がとれるかどうかなんて考えません。
思いついたこと、感じたことを純粋にやるだけです。

今回、僕が写真を編集するときもそんな気持ちで取り組めたのです。

いつも同じでなければならないという思い込み。

いつもなら、一度に撮った写真たちは一つの案件としてのまとまりをもたせるように、レタッチの方向性を整えるんです。

世界観がバラバラになってしまうことを、なぜか避けてきたんです。
SNSにアップする写真にもどこか統一感をもたせています。

その方がカメラマン・フォトグラファーとしてのカラーが伝わって仕事を依頼しやすいかもしれないと思い込んでいたし、実際にそういう側面もあると思います。

でも、「いつも同じでないと、価値として認識されないのではないか」という思い込みが無意識であったことで、本来したいレタッチができないことも多々あったんです。

この一枚の魅力を引き出すにはこういうレタッチをした方がいいけど、他の写真と統一感がなくなってしまうからやめよう、となぜか相手の希望とは関係ないところで自分が作り出した固定観念で諦めていたことが多かった。

この数ヶ月、職業的に写真を撮ってきた中で改めて遊び的に写真を撮り、編集することでそれに気づかせてもらったんです。

遊び性の解放。

僕がもっていた固定観念は他の誰でもない自分が作り出したものでした。

もかしたら、そう思い込んでしまっていることってけっこうあるんじゃないでしょうか。
「仕事だから」「みんながこうしているから」「今までこうしてきたから」。そんなことを無意識のうちに思い込んでしまい、本質的なことを忘却してしまうということが。

以前、伊藤洋志さんの『ナリワイをつくる 人生を盗まれない働き方 』という本を紹介しました。

ナリワイ(生業)とは、個人レベルではじめられ、自分の時間と健康をマネーと交換するのではなく、やればやるほど頭と体が鍛えられ、技が身につく仕事。

伊藤洋志

この本に出てくる『ナリワイ10か条』の中に「専業じゃないことで、専業より本質的なことができる」というものがありました。

これが腑に落ちたような気がします。
専業であれば「それで稼がないといけない」という意識が生まれ、チャレンジすること、試すこと、いわゆる遊ぶことが後回しになってしまうのです。

いくつかのナリワイをかけ合わせることは、一つひとつの遊び性を解放すること

そういう風に日々の活動を組み立てることで仕事も本来遊び的に取り組めるのではないか、というお話でした。

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