健全なコミュニティって何だろう? 共生革命家のソーヤー海くんが教えてくれた「5人目のお坊さん」というお話
コミュニティをつくったり関わったりしていると、「互いに大切にしたいことが違うことで行き違い(ときには争い)が起きる」ということがよくある。
どちらにも悪気はないし、たいていの場合「平和に暮らしたい」「みんなが幸せな形でプロジェクトを成功させたい」といったその奥にある願いは共通している。
それなのに、なぜかうまく噛み合わない!
自分の大切にしたいことが理解されていなかったり、相手の言動が理解できなかったりすると、その悲しさや刺激が「怒り」に変わったりする。
そして互いに相手の気に入らない部分を攻撃したり、それを直接言わなくたって関係性が冷めて、敵と味方のグループが暗黙のうちにできてしまったりすることもある。
そんなとき、去年ご縁をいただいたソーヤー海くんがしてくれた「5人目のお坊さん」という話を思い出すようにしている。
5人目のお坊さん
昔々、あるところに4人のお坊さんがいました。
4人は川べりで世界平和について瞑想していました。
ある日、泣いている赤ん坊を乗せた桶が次々と川を流れてきました。
お坊さんたちは川に飛び込み、赤ん坊を助け続けました。
ところがその後、3人のお坊さんがその場から去ってしまいました。
残された1人のお坊さんだけが、救出活動を続けました。
数ヶ月後、流されてくる赤ん坊の数が止まり、2人目のお坊さんが戻ってきました。上流の村に行ったという彼女は、人口過密と飢えが原因で村人が赤ちゃんを川に流していたことを知り、そこに孤児院をつくったというのです。問題は解決したかに見えましたが、しかし直に孤児院が満員になり、犠牲になった赤ん坊がまた増えてしまいました。
ところが数年後、赤ん坊の流れがまた止まり、3人目のお坊さんが戻ってきました。彼女は、人口過密のより深い原因に働きかけるため、さらに上流に行って(避妊などの)家族計画プログラムを始めたというのです。
今度こそ問題は解決したかに見えましたが、残念なことに数年後、経済不況と政府の保守的な政策によりプログラムが廃止され、流される赤ん坊の数がまた増えてしまいました。
さらに数年後、不思議なことに問題はまた止まり、4人目のお坊さんが戻ってきました。彼女は、人口過密を含む複合的な問題にかかわる人々を集めて、政治に働きかける社会運動を始めたというのです。これによりリベラルな政党が政権を握り、予算を確保したのです。
問題は解決したかに見えましたが、悲劇的なことに4年後の選挙で保守党が再選し、赤ん坊問題は再発しました。
何年もの努力に疲れ、年老いたお坊さんたちは深い絶望のなかで、自分たち自身と社会が根本的に変わる必要があることに気づきました。
彼女たちはさまざまなリーダーを集め、ともに座って深く見つめ、考え、対話をする機会をつくり始めました。彼女たちの間で、そして彼女たちを通して、次第に特別な関係性、精神性、集合的知性が育まれると、自分たちを超える高次の力が現れました。彼女たちはそれを「5人目のお坊さん」と呼びました。
5人目のお坊さんの支援と導きによって、リーダーたちは、自分たち自身、そして社会がどう変容していけるかの兆しを見つけ、次第に思いやりをもったコミュニティとしてともにどう生きていくことができるのか、そして自分たちは何者であるのか、ということに関する新しい物語を形づくっていきました。同じように対話と黙考を経て、いままでの傷やパターンを手放す助けになるような癒しと和解のプロセスも生まれました。
そしてこれらが新しい革新と希望の精神の土台となり、あれほど繰り返された悲劇はいまや時代遅れとなり、ついに根本的に異なる社会が生まれたのです。
この話が、大好きなの。
原文では、5人目のお坊さんがどこにどういう風に現れて何をしたのかについて具体的に書かれていないけれど、僕はこの話が大好きなんよね。
どんな人にも存在する意味があるんや!という希望が湧くし、反応的に相手を批判する気持ちが和らいで、自分の心の中にポッと温かさが宿る感じがするから。
皆さんはこの文章を読んで何を感じただろうか?
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