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写真好きがフォトグラファーとしてご飯が食べられるようになるまでの全記録|25日

おはようございます☀

昨日は旧正月だったようで、あけましておめでとうございます🌄

カメラのある生活が始まってから、もう少しで一ヶ月が経ちます。

子どものころ、十代のころ、社会人になってから、旅をしているとき、それぞれの僕から観ている景色はまったく違うものでした。

カメラとともにある生活を始めてから観え始めた景色もまた、今までとは違うものです。

でもそれは、カメラがあるからというよりも、写真を生業にするにあたって、“あること”をやめたからというのが大きいかもしれません。

行ったコンビニまでメモしないと気がすまなかった僕が、メモをやめるきっかけになったこと

昨年末、屋久島で出会った方からこんなこと言われました。

「君は意識がスマホに奪われて、今日一日に目を向けることをやめてしまっている。コミュニティで暮らしを手作りしたいなら、スマホの世界に生きるのではなくて今日はどんな一日なのか。今、何のために何をしているのかを自覚することが大切だよ」

そして幸運なことに(?)、今年に入って10年分のデータを初期化してしまったとき、スマホ、パソコン、デジタルデバイスとの付き合い方を考え直しました。

  1. 連絡手段として|友人やクライアントとのコミュニケーション、つながりの土壌を豊かにすること。

  2. 検索手段として|知りたいことはなるべくその場で調べて、人に説明できるくらいまで理解すること。

  3. 発信手段として|SNSでイベントをお知らせしたり、素敵だと思うことをシェアしたり、ポートフォリオを上げたり、noteを書いたりすること。

  4. 写真編集ツールとして|撮った写真をスムーズに編集して納品すること。

基本はこの四つでいいという結論に至りました。

つまり、《データをためるため》ではなく、《データを使うため》にスマホだけを所有することにしたんです。

今までは、行った場所、いつか役立つかもしれない誰かの発言、今日一日何をしたか、生活のほぼすべてをメモするというメモ中毒者一歩手前でした(笑)

一歩手前と表現したのは、禁断症状などはなく意外とすんなりやめられたから。

今までメモしてきたから、今回もメモしなきゃという惰性でメモしていただけだと知りました。

メモをやめてよかったこと

自分の感情と、よりまっすぐに向き合うことができるようになりました。

たとえそれがネガティブなものであれ。

ああ、こんなことが恐いんだなとか、こういう言葉が自分から出るということは◯◯のニーズが満たされていないんだなとか、自分の心の動きが今までよりもよく見えるようになりました。

その結果、自分にもっと時間を使ってみようとか、今日は予定を入れないでおこうとか、時間やお金、労力などの資源をよりよく配置できるようになりました。

他には、日々の行動の選択の背景にある、自分のほんとうの願いが見えるようになった。周りの景色にもっと五感を向けられようになった(その結果、道を覚えられるようになった!)などなど、小さいものを含めるといろいろあります。

他にもあるけれど。

パソコンを手放してみて感じたこと、人に時間やお金を使うこと(祈る。相談に乗る。お金を贈る)など、いろいろ始めたことややめたことはあるけれど、これはまたの機会に書こうかな。
noteを書いている時間も、どっぷりスマホの世界に生きているわけですから🤣

今日は、そんなところです♪
いつもありがとうございます😊✨

今から、撮影と遊びを兼ねて長野に行ってきます。

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noteを読んでくれてありがとう! 僕らしく、優しさのリレーをつなぐよ。