自分に失礼なことをしない #スロー・フロー・ブログ
今日は、日々の何気ない行動から自分自身との信頼関係を強くすることも壊すこともできるよ、ということをお話してみたいと思います。
「自分に失礼なことをしない」ってあんまり聞き馴染みがないかと思います。
でも、僕は自己対話によって「 ( 無意識に ) 数え切れないほど自分に失礼なことをしてきたこと」に気づき、それをやめることで色んなモノ・コトの風通しがよくなるだろうと直感したので、このことを整理してみるとともにどこかの誰かの役に立てばうれしいなと思って書いてみています。
愛するとは、気にかけること。
例えば、あなたのお家にあなたがとても愛している、大切な人が来たとします。
そしたら、多くの人はできるだけ相手が心地よく過ごせるように行動すると思います。
相手は何を望んでいるかなと考え、飲み物を出してあげたり、座布団を敷いてあげたり、暑そうにしていたら部屋を涼しく、寒そうにしてたら毛布を渡すかもしれません。とても、自然なことだと思います。
ところが、相手との信頼関係がまだできていない状態で、邪険に扱われたり、寒そうにしていて気づいたとしてもそれを無視していたら、その人はどう思うどうでしょうか。少なくとも愛は感じないのではないでしょうか。
些細なことだとしても、大げさであっても、たとえその行動が間違っていたとしても、その人に純粋な関心を向ける人に愛情を感じると思います。
僕は、いつもではないけれど、得てして後者のような態度を自分にとっていたことに気づきました。
ドイツの精神分析学者であり、世界中で読まれている『愛するということ』の著者であるエーリッヒ・フロムのこの言葉が好きです。
僕はこの言葉を「相手の存在そのものを受容した上で、よりよく生きられるように働きかけること」だと解釈しています。
大切な人=自分に置き換えてみる。
僕は、2021年からカメラとウクレレをもって日本と台湾を旅をしてきたのですが、旅中は ( 人のお家に滞在することも多かったので ) ほとんどシャワーで済ませ、食事もきっちり三食というよりは食べられるときに食べられるものを食べる、寝床も寒すぎず、硬すぎず、うるさすぎない場所なら寝られるライン合格なのでどこでも寝てきました。
すると、だんだん「選ばなければ、どこでも生活していけるやん」という確信が生まれてくるんですね。
それはそれで生きていくことへの自信につながったし、話のネタにもなりよかったのですが、中長期的に住む場所を見つけ、いざ自分の暮らしを始めようとすると、何が心地いいのかの感覚がわからなくなっていることに気づいたのです。
たしかに旅先だといろんな面で選択肢が減ることはあるのですが、そんな環境の中でもできるだけ自分を心地よくさせてあげようという意識は生まれませんでした。
大切な人=自分に置き換えれば、かなりお粗末な待遇でずいぶん我慢させてきてしまったなぁと反省したのでした。
顕著なのは、買い物をするとき。
自分への態度がわかりやすく出るのが、「買い物をするとき」。特に飲食店で何を食べるか選ぶときにその態度が表れます。
クーポンがあって割安だからとか、逆に料金が高いからいいものだろうからとか、量が多くてお得だからとか、残高不足がこれくらいだからとか、そのメニューが人気だからとか、健康にいいと言われてる素材を使っているからとか、「自分に聞いてみる」というプロセスをすっ飛ばして、外側にある基準で何を食べるか、飲むかを選んではいないでしょうか。
僕は、けっこうな頻度でこれをやってしまっていました。
特に、( これは共感してくれる人が少ないと思うのですが ) 、僕は小銭を持つのが嫌いで、なるべくぴったり小銭がなくなるように値段を見て食べるものを決めることが多かったんです。
たとえそれがほんとうに食べたいものでなかったとしても、小銭がないことのスッキリ感を何より優先して選ぶのです(笑)。
自分のスッキリ感は大事にできているかもしれませんが、そもそもお腹も心も満たされること以上に小銭がぴったりなくなることのスッキリ感がいつも優るとは思えません。
これは自分との対話不足であり、信頼を損なってしまう行為だと思います。
もっと顕著なのは、お金がないとき。
ここからは、スピリチュアルに思われるようなことを人前で話してはいけない、お金が少ないことは恥ずかしいことだという思い込みを打破するために書きます(笑)
伝わる人に、伝わればいいという祈りを込めて。
今日は、久しぶりにほんとうにお金がないという状況になりました。
明日会う約束をしている人のところにいく交通費がギリギリ残っている状態。
それを使ってしまうと、多分会いに行けません。
だけど、お腹が減った僕は、気づいたらレストランにいました。
残高のことだけを考えれば、ドリンクバーとかサラダ一皿、もしくはデザート一品で済ませなくてはなりません。
これは自分との信頼関係を強く、太くするとてもよいチャンスだと感じ、「お金は少ないかもしれないけど、ほんとうは何が食べたい?」と問いかけてみました。
答えは、オムライスでした(笑)
お金がないときは焦ったり、節約しようとして、中々自分の感覚に耳を澄ませるのが難しくなります。
こういうとき僕は、すべてのメニューに目を通して光っている ( ように感じる ) ものを見つけようとします。
心が惹かれる感じ、とでもいうのでしょうか。
とにかく、何か他のメニューと違って ( 自分にとって ) いい感じがするものです。
最大限に自分の波動を高めてくれるものと言い換えてもいいかもしれません。
どれだけ安くても、どれだけ人気の商品でも、ただお腹を満たすだけで感謝の気持ちが湧いてこなかったり、波動が下がるものを食べてしまっては自分にも食べ物にも、それをつくってくれた人にも失礼です。
そして、これは僕にとって一つの真理なのですが、波動が上がるとそれまで心配だったことは小さくなるか消えてしまいます。
「あ、絶対大丈夫やわ」という謎の自信に満ち ( というかこれが元気な人の自然な人間の状態だと思うのですが )、実際に想像しなかった形で大丈夫な状況になります。
例えば、予兆なく急に仕事が舞い込んだり、お金をギフトするよという人が表れたりするのです。
ほんとうに不思議としか言いようがないのですが、何十回もこの体験をしています。
このことから、僕は不安はマヤカシなんだという信念をもっています。
不安なまま問題を解決しようともがくと、一瞬気が紛れるし解決すれば不安が一消えたように感じますが、それは一時的で、また新しい不安がやってきます。
不安や焦りも人間の自然な感情の一つだけど、もっとも自然なのは「ご機嫌でいること」だと思っています。
あえて「正しい」という言葉を使いますが、正しい場所に立っていると自分に必要なものが巡ってくるのです。もうこれは、必ず(笑)
話を戻しますが、今回の記事で表現したいのは、「大事なのは自分の能力や知識、もっているものへの信頼ではなく、自分が自分としっかりとそこにいること。いわば、存在への信頼だということ」です。
いつもそばにいて一生懸命生きてくれている自分に失礼なことをせず、しっかり関心を向けてできる限りでいいので愛してあげてください。
きっと、問題だと思っていたことが問題でなくなり、いろんなことがうまく回り始めるはずです。
今日はここまでにします。
ありがとうございました!
noteを読んでくれてありがとう! 僕らしく、優しさのリレーをつなぐよ。