家族を幸せにしたいという罠 #スロー・フロー・ブログ
※今回の記事は、いつもに増して個人的回想、内的世界の描写に近いものとなります。
周りの友人たちや、知人たち、直感なり導きなり、何らかのサポートのおかげで僕の中で何か変容が起きているようです。
誰かの役に立つとは思えないけれど、あとで振り返ってみて、「ああ、やっぱりこういうことが起きてたんだ」と照らし合わせてみたり、「ここの解釈はちょっと違ったなぁ」なんていう考察をしてみたいため、言葉にして残しておきます。
映画や本などを通して物語に触れるのはワクワク、ドキドキ、ハラハラして楽しいけれど、やっぱり自分自身の人生の物語が一番リアリティーがあっておもしろいですね!
エネルギーを抑え込まない。
自分の中に湧いてくること、感情、想い、本心を自分で気づかないうちに抑え込んでいたんだなぁと思うことがよくあります。
「人生はほんとうの自分になる旅」という言葉の通り、何度これこそが自分だ! と思っても、時が経ち成長すれば、それまで見えなかった自分の本質的な部分が見えてくるものです。
〈 今ここにある本心を、節度をもって伝える 〉
これが今の僕にとって必要なことです。
家族の幸せを願うこと、一人ぼっちがさみしいこと、期待されたらうれしいこと。
どれも自然な感情だけど、満たされない何かを埋め合わせるために何かをしようとした瞬間に歪みが生じて僕たちはほんとうの自分から遠ざかってしまうみたいです。
欠乏感からじゃなく、喜びから湧いてくることを見極め、自然に行動に移るようなことをやるといい。
エネルギーを押さえ込まず、どんどん流していくこと。
でも、欠乏感を感じることは悪いことではありません。
その奥にある、さみしさ、承認されたい気持ちなどのエネルギーも自分の大切な一部です。
ただそれは排泄物と同じで、いつでもどこでも発散していては、自分が大切にしたいように、他の人たちが大切にしたい気持ちが損なわれてしまいます。
だから、節度をもって、今ここに起きている内側の真実を伝えるべきだと感じる人にきちんと伝えていくことが大切です。
学校であれ会社であれ、人の波に溺れないで生きていくために身に着けてきた、自分をいい人間として見せる方法やおべんちゃらはもう僕には必要ないようです。
家族を幸せにしたいという罠。
先ほど少し触れた、家族を幸せにしたいという感情を取り上げて、どのように自分が自分でなくなるのかを考察してみましょう。
僕の場合、祖父の「そろそろ落ち着いて、早くええ嫁さん見つけや」という一言が引き金になって、ある種の責任感や罪悪感、焦りが生まれ、本来は取るべきでない手段を取ろうとしてしまいました。
今の自分の年齢を考えて、このくらいの仕事についた方が安心するかなとか、この場所を選べば出会いがなさそうだからやめとこうかなとか、とにかく体を成すことを第一に選択肢を並べていました。
これが、そのときの自分としてはナチュラルな選択だと思い込んでいるのです。
自分が自分でなくなっていくその罠は、愛する家族との関係性に潜んでいたのです。
ちなみに、近内悠太さんのご著書『世界は贈与でできている』によると、親が子や孫の顔が見たいというのは、自分が受けた愛を次の世代に贈れたのかどうかを確認したいからだそうです。
ずいぶん遠回りしようとしてしまいました。
あぶない、あぶない。
とっとと、自分を生きましょう。
コーチングってほんとうの自分に戻るワークだったんだ。
今回、このような考察ができたのはひとえに友人のコーチングのおかげでした。
コーチとして独立を目指す友人から「モニターとしてコーチングを受けてほしい」と言われて、無償で受けさせてもらいましたが、正直コーチングの価値を見くびっていました。
僕は具体的な目標を立てて、そこから逆算して物事を進めるタイプではないので、それを強制されるイメージのあったコーチングにいい印象はありませんでした。
もちろん、人によってはそのスタイルでコーチングを提供している人もいるだろうし、それがフィットするお客さんもいることでしょう。
ただ、僕の友人は毎回、このような順序で一時間のコーチングをしてくれます。
相手 ( つまり僕 ) の今一番関心のあることやよりよくしたいことをテーブルに並べる。
その中から一つ選び、たくさんの問いを投げかけることによって僕の中にある答えを引き出す。
それをどうやって行動に移してみたいかを相手が納得する形で導き出す。
彼のコーチングが僕にとって機能している理由は、「途中でテーマが変わってもいい」というところです。
普段、流動的に人と会い、いる場所もやることも変わる僕にとって、これをやってくださいと決められることは大きなストレスになります。
できなかった自分を責めたり、コーチである友人にも約束を破ったようで申し訳ない。
だからこそ、コーチングを今まで受けてこなかったのですが、彼は言わば単発で真摯に耳を傾けてくれるし、コーチングの中で生まれた行動を実行するかしないかを完全に僕に委ねてくれているのです。
彼のおかげでコーチングは自分でない何者かになるためのツールではなく、ほんとうの自分に戻る極めて実践的なワークだったんだと知りました。
こういう時間を日々、伴走してくれる人と作れるならお金を払う理由もよくわかるなぁ、とまた一つ勉強させてもらったのでした。
今日はこのあたりで。
おやすみなさい。
noteを読んでくれてありがとう! 僕らしく、優しさのリレーをつなぐよ。