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ほんとうの気持ちに気づくには #スロー・フロー・ブログ

僕が尊敬するミュージシャンの友人から、こんなお誘いがきました。

彼の名前は白田直也くん。
僕の中で彼の代表作は「あいのうた」という曲。

大人も子どもも歌えるし、楽しい気持ちのときは気分を盛り上げてくれる。悲しい気持ちのときは寄り添ってくれる。

ほんとうに素敵な歌なのでぜひ一度聴いてみてください。

あいのうた / 白田直也

ぼくら愛の歌を歌うよ
それは難しいことじゃなくて
きみとぼくがつながること
そのために歌を歌うよ

たんじゅんな愛の歌を
ここで一緒に歌いたい
あなたが好きで大切で
こうしてわたしは生きている
やさしさあげたい人がいて
やさしくされたらうれしくて
それをまた他の誰かに
わたしたいと思う

ぼくら愛の歌を歌うよ
それは難しいことじゃなくて
きみとぼくがつながること
そのために歌を歌うよ
かなしいことに出くわして
もしも僕がひとりでも
目をつむって君を感じれば
いつでもそばにいる

だから愛の歌を歌うよ
それはへんてこなことじゃなくて
きみを思うと流れてくる
そんな歌を歌うよ
やさしくなれない人がいて
さみしさ抱えているのなら
きみがしてくれたのと同じように
してあげられたらいいのにな

だから愛の歌を歌うよ
それは叶わない夢じゃなくて
みんなみんなつながること
そのために歌を歌うよ
きみとぼくがつながること
そんな夢をうたおうよ
ららら…

伝えたいのは「あいのうた」を歌う彼のメッセージ。

YouTube上にある、直也くんの歌う「あいのうた」はよく聴いてみると毎回少しずつ歌詞が違います。彼曰く、そのときその場の雰囲気で感じることが違うから、それをそのまま歌詞に変えて作っているそうです。

そして、今回誘ってもらった彼が主宰している歌のプログラムの生徒さんたちが歌うイベント。
オンラインでチケットを買ってさっそく観始めました。
実はまだ全部は観れていないのですが、とにかくすごい。

彼の信念は、「うまく歌うことよりも、その人の音が声に表現されることが美しいと感じる。緊張して声が震えていても、音程がずれていても、その人の気持ちが乗っていないと歌を歌う意味がない。」ということだそうです。

僕自身、直也くんやパートナーの麻美さん(彼女は絵描きさん)と時間を過ごす中で、表現することってこんなに自由でいいんだということを学ばせていただきました。

たとえば、彼らのお家に遊びに行ったとき、直哉くんがギターを弾き始めたんですね。そして、直也くんが一言。

即興で何か歌ってみてよ!」

即興で歌を歌う…!
物心がついてから、そんなことをしたことはなかったし、しようという発想もなかった僕。
でも、何か表現しなきゃ!と思ったので緊張してなぜかその日あった出来事を小さな声で話し始めました(笑)

歌っていません、小さな声で話しているだけです。
でも、彼はこう言ってくれたんです。

「いいね、歌になってる!」

へ…?
話してるだけだけど。。

そのときは分かりませんでしたが、そのあと少しずつ人前で歌うようになってから、だんだんとわかってきたんです。
歌は上手いだとか下手だとか、メロディになってるとかなっていないとか、言葉として意味が通っているとかいないとか、そんなことは二の次で、その瞬間のいのちの音を響かせることなんですね。

毎回、メロディが変わってもいい、とても短くたっていい、歌詞が変わってゆくことだってもちろん大丈夫。
そんな風に、歌うならこうすべきだ!っていう枠を一つひとつ外していったら、自分の気持ちに耳を澄ませて、素直にそれを表現すれば歌は誰にだって歌えるし、作れるんだってことに気づきました。

気持ちがわからないなら、五感を通して感じていることから表現していく。

話は歌のイベントに戻ります。
イベントはカラオケ以外では人前で歌ったことがほとんどない3人の生徒さんが、順に歌うというもの。すべて、直也くんの3ヶ月の歌のプログラムの中で生まれた曲だそうです。

イベントの中で直也くんが、「歌をつくる(=自分のほんとうの気持ちに気づく)には、見えたもの、聞こえたものを歌っていけばいい」と言っていました。

実際、ある生徒さんはZoomで直也くんと話していたときに見えた奥の壁紙を見てその模様や、そこから連想されることをそのまま「壁紙」という歌にしていました。

他の生徒さんの歌からも感じましたが、五感で感じることやそこから感じること、思うことをちゃんとキャッチしていくと、さらにその奥にある気持ちに近づいていくんだなと。

曲名は忘れてしまいましたが、「ただ、今緊張しているんだ」という思いを歌にした方は、その後の直也くんとの対話を通じて「ほんとうに伝えたいことは何?」と深堀っていったそうです。

すると、自然と口から出てきたのは高校生の頃の一人の友だちへの感謝と、彼の素晴らしさを心から人に伝えたいという気持ちだったそうです。

「それを歌にすればいいやん!」と直也くん。
結果、「ハマダくん」という歌になったそうです。
おそらく、緊張しているという心と身体の感覚を無視していたら、ほんとうの気持ちに気づけなかったと思います。

歌でも写真でも文章でも、何か表現や制作をする方なら、「自分は何を伝えたいんだ?」「ほんとうに大事だと思うことは何だ?」という問いに向き合うことは多いと思います。

それが制作のコアになるだろうし、作品に命を吹き込むことはもちろんですが、あまり気負いすぎず、ただ五感で感じることをていねいにすくってゆく。
まるで、茹でた野菜のアク抜きをする作業のようです。
五感の上澄みをすくって、気持ちの純度を高め、おいしいスープをつくっていく。
そんな作品の作り方もありなんじゃないかと思います。

後に、作家の村上春樹さんが「これが言いたかった!」ということを言葉にしてくださっていたので引用します。

オリジナリティーについて
もし僕の書く小説にオリジナリティーと呼べるものがあるとしたら、それは「自由さ」から生じるものであるだろうと考えています。(略)「小説とはこのように書かなくてはならない」という制約みたいなものもありませんでした。(略)あとさきのことなんて考えずに、机に向かってやみくもに文章を書き始めたわけでふ。ひとことで言えば「肩に力が入っていなかった」ということでしょう。(略)オリジナリティーとはとりもなおさず、そのような自由な心持ちを、その制約を持たない喜びを、多くの人々にできるだけ生のまま伝えたいという自然な欲求、衝動のもたらす結果的なかたちに他ならないのです。

『職業としての小説家』村上春樹

もし、そのイベントにご興味がある方は有料ですがオンラインでアーカイブが観られるのでコメント欄かプロフィールにあるInstagramのメッセージからお気軽にご連絡ください!
直也くんにおつなぎします☺️

今日はこんなところで。
お読みいただきありがとうございました!

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noteを読んでくれてありがとう! 僕らしく、優しさのリレーをつなぐよ。