めんどうくさいを愛する #スロー・フロー・ブログ
僕は基本的に旅を一人ですることが多いんです。
多分、たまたまそうなっているというよりも自ら選んでそうしてきました。
とても気楽で融通が効くので、一人が一番楽だと思っていたからです。
それで、あるとき「結婚すること」や、「新しく家族を作っていくこと」についてよくわからなくなった時期があったんです。
一人でいることがこんなに幸せなのに、家族を作る意味はどこにあるんだろうと。
そんなとき、友人の紹介で偶然出会った、隠岐の島で米農家と出版社をやっている方に言われたことが印象的でした。
そのあと、僕は徹底的に一人になってみました。
しようと思えばなんでもできる状況=何もしなくてもいい時間をもてたことはたしかに有意義でした。これからも、一人の時間を大切にしたいという気持ちはさらに強まりました。
でも、同時にこんな気づきもありました。
ああ、めんどうくさいってなんて愉しいんだろう!
いろんなことがめんどうくさかったあのころに戻りたいとまでは言わないけれど、もしまためんどうなことが起きたら全身でそれを愉しみたい。
日本にいれば、とくに一人身の人であれば生活コストを極限まで下げたり、負担のない仕事をするなど工夫をすれば、ほとんど何にも縛られない生活をすることができます。
だけど、「ほんとうの自由とは何に縛られるかを自分で決めること」なんだなと。
時間制限つきですが、せっかくこの肉体と世界をありありと体験できる僕たちです。
プレイヤーがいて、自由に移動できるのに、何のミッションも起きず、レベルアップもできず、仲間もおらず、敵もいない。ただ、そこに立っていて電気代を浪費するだけのゲームなんておもしろくありません。
家族や恋人ができてしがらみを感じることもあるでしょう。
責任感を感じる仕事から逃げたくなることもあるかもしれません。
でも、誰かから見ればそれは極上体験で、羨ましくさえ思われることもあるのです。
めんどうくささを無理に愛する必要は一切ありません。
ただ、有り余る暇な時間を体験したら、めんどうくささも愛おしくなるよ、という気づきをシェアさせていただきました。
noteを読んでくれてありがとう! 僕らしく、優しさのリレーをつなぐよ。