山形県唯一の有人島に、一ヶ月暮らしてみた。
鳥取県でできたご縁がつながり、先日まで山形県にある「飛島(とびしま)」という島に一ヶ月間暮らしていました。
人口は約160人。
最も島民が多いときは1,800人が住んでいたそうですが、高齢化が進み人口は激減。現在も毎年10人ずつ減っているそうです。
スーパーやコンビニはなく、学校はあるけど通う子どもたちもいない、島の住宅の約4割が空き家といういわゆる限界集落。
そこだけピックアップすると、ゆっくりと死に近づく寂れた島のような印象を与えてしまうかもしれないのですが、結論からいえば、一ヶ月とは思えないほど濃く、豊かさに満ちた滞在をさせていただきました。
僕が飛島で暮らして感じたことや気づいたことを綴ってみようと思います。
飛島に行った理由
きっかけは、鳥取で出会った大学生のKちゃんが新卒で飛島にある会社に就職し、彼女が別のコミュニティで夏季限定のアルバイトを募集していたことでした。
9月から新生活を始めるまでにちょうど一ヶ月くらい時間が空いていた僕は「おもしろそう!」という、最も根拠がないけど、最も信頼している心の声に従い、彼女に連絡。とんとん拍子で島渡航が決定しました。
初っ端から自分のポンコツ具合が露呈する
人生の酸いも甘いも分かち合ってきた7年来の友人Tにその話をしたところ、最初は「いってらっしゃい」モードだったのに、いつの間にか「楽しみだね!」と一緒に行く流れになっていました。僕も彼の誘いは乗ってきたし、振り返ってみればだいたいがそのとき互いに必要だったね、と感じられる体験につながっています。そうやって自然と巻き込み合える友だちがいるってしあわせなことです。
それはそうと、彼はスマホをもっていないので(当時の彼は断捨離にハマっていて、仕事や髪を手放した末に携帯電話も手放したとのこと📱👋)、バスやフェリー、受け入れ先の人たちとのやりとりは僕がやることになりました。
僕も冒険の仲間が増えることは心強いし、さまざまなことを共に体験してきた大好きな友人なので何も苦ではなかったのですが、いよいよ島入りのときに問題が発生。
島へ行くフェリーが出る港から100km以上離れた駅にバスが到着。フェリーは3時間後に出発するので、電車では間に合わないことが確定。タクシーの運ちゃんに掛け合ってみましたが4万円かかると言われ断ることに。
結果的に初出勤日には間に合わず僕らは港近くで3日間滞在することになりました(笑)
最初は島の人たちへの申し訳なさが出てきましたが、メッセージをやり取りしているとなんだか島の向こうでネタにされて笑ってもらえている模様。
「人生=自分をまるごと愛する旅なのだとすれば、これもまた自分のポンコツ具合を受け入れる修行なのだ・・・」。そう思うことで正気を保てたのでした(飛島のみなさん、ご飯や部屋のご準備などいろいろ再手配してくれてありがとうございました🙏)
飛島ではどんなことをしたのか
島では、さまざまなことをお手伝いさせていただきました。
親子で参加できる「海ごみ問題」をテーマとした1泊2日の体験型環境教育ツアーのサポートスタッフ(画像・動画参照)。旅館やゲストハウスの配膳、掃除、洗い物。カフェでの調理、ホールスタッフなどなど。
初めての飛島で、初めてのおしごとばかりでしたが、みなさん温かく、何を聞いても嫌な顔ひとつせず教えてくださったお陰様で島でのしごと、生活にはすぐに慣れました。
また、(本来、アルバイトにご飯は出ないのですが)滞在していた旅館のシェフが作ってくださるまかない料理が絶品で、絶品で・・・・・・。中でも、12個の卵黄をふんだんに使ったアイスは今まで食べた中で一番おいしいアイスでした。あと、エバラが出している「湿潤(しつじゅん)」という官能小説に出てきそうな名前のカレーがめちゃくちゃおいしかったです🍛(ぜひご堪能あれ。→エバラ食品 マドラスカレールウ 湿潤|Amazon)
一年間の山奥隠居生活から島での共同生活に
過去の記事に詳しいですが、豆腐屋で働いていたとはいえ、週休5日、基本的には一人でいることが多かった一年を経て、いきなり週7日勤務、食事や休み中も誰か他の人がいることがデフォルトの生活にシフトしたことで感じることはたくさんありました。
普段から気を使いがちな僕にとって、誰かといるってめちゃめちゃエネルギーを使うことなのですが、一人では気づけないことに気づく貴重な機会でした。
そもそも僕が人に気を使うのは、迷惑をかけてはいけないという強い思い込みから来ているものだということとか、好きな人ができると、世間一般で求められる男性像にしばられて、そこに合致しないと苦しくなってしまうこととか。
そんな自分の影の部分も受け入れて愛していくには、やっぱり写鏡のように自分をまるごと投影してくれる他者がいることが大切なのだと思います。
熊本で 三角エコビジレッジSAIHATE という持続可能な村をつくっている 坂井勇貴さん が「コミュニティの中で暮らすことは最高にめんどうくさいけど最高に愛おしい」といったことをおっしゃっていましたが、その片鱗に触れられたような気がします。
ないことによる創造力の発現
さいごに、「あらゆるものがない環境が才能や創造力を伸ばす鍵になるのではないか」という仮説的な気づきをシェアします。
お金でなんでも手に入る環境(一般的には都会暮らし)で暮らしていると、基本的に不便を感じることはありません。
ご飯をつくることも、部屋のそうじも、子どもを預けることも、住む家を見つけることも、A地点からB地点へ移動することも、ありとあらゆることが自分でしなくてもお金さえ支払えば誰かがやってくれます。
飛島ではそうはいきません。
Amazonが届くとはいえ、フラッとコンビニによることもできなければ、時間があるからといって友だちとカラオケに行くこともできません。サービスが充実していないからこそ、そうじも料理も自分たちでやるし、生の情報はリアルなつながりによって得るしかありません。
実は、飛島で好きな人ができました。
さまざまなことを考慮すればするほど、すぐに一緒になることはできない人でしたが、その人のことを想うと愛があふれてきて、なんとかその気持ちを伝えたいと思いました。
僕が島にもってきた趣味のウクレレが目に留まり、生まれて初めて一人の人のために歌をつくろうと思い立ち、一週間かけて詩とメロディーをつくりました。なんども書き直し、最終的にできたのは2分にも足らない短い歌でしたが、感動してくれました。
少しお金を支払いさえすればなんでも手に入る環境だったら、彼女が好きなアーティストのライブや流行りのデートスポットに連れて行ったかもしれません。おそらく歌を作るという発想には至らなかっただろう思います。
歌をつくることが愛を伝える最善の表現だったかどうかはわかりませんが、相手に僕にしかできないことをギフトできた、自分ができないと思っていたことができたという意味ではとてつもなく有意義な体験でした。
それは、あらゆることが不足しているという恵まれた環境だったからこそ。
誰かがモノやサービスがほとんどない環境に身を置くと、今あるもので満足する力や、新しく創り出す力が養われるのだと思いました。
さいごに
過ぎてみるとあっという間でしたが、とても濃い日々を過ごさせていただきました。
自分がより自分らしく生きられるヒントを、飛島のみなさんにいただきました。初日に旅館の女将さんがおっしゃっていた「ここ(飛島)は、個性が守られる場所」という言葉の通りの島でした。
また、帰りたいと思える場所が一つ増えたなぁ。
みんなと出逢えてほんとうにうれしいです。
ありがとう、また逢う日まで!
参考リンク
飛島にご興味がある方はこちらをご覧ください。
求人情報や地域おこし協力隊制度についてまとまっています!