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ジャパニーズコーヒーを志向する日々

蝉の鳴き声がひときわ感高く響く季節がやってきた。夏本番を迎え、オリンピックもいつの間にか開幕している。夏らしい空を眺めながら、水出しコーヒーを氷いっぱいのうすはりグラスで喉を鳴らしながら飲むと美味い。

茶道のお稽古では、まず掛け軸を拝見する。初心者の僕にはもちろん読めないので、掛け軸の前で唸っていると先生が「この掛け軸の意味は〜」と教えてくださる。

入水見長人 (みずにいりてちょうじんをみる)

その掛け軸は、人は困難に陥ったときにはじめて人間性が試される、といった意味の禅語である。まさにコロナ禍の今にピッタリの禅語だと思った。

コロナ禍をきっかけに僕のコーヒーへの考え方も変わってきたと思う。コロナ禍までは海外の最先端のトレンドを一生懸命追いかけて、そのコミュニティに属し続けることに心血を注いできた。

しかし、コロナ禍になり世界との物理的な繋がりが絶たれ、必然的に国内に目が向いた。僕は意図的に食文化という広いカテゴリの構成要素としてコーヒーを見ている。コーヒーを主役と捉えず、コーヒーを脇役として捉えるようになったわけで、だからこそ南部鉄器も面白いと感じるし、カレーとコーヒーを提供する妄想喫茶も始めたわけだ。

*8月7日に妄想喫茶やります。ご予約は下記リンクより。

グローバルな文脈で考えれば、カレーとコーヒーはNGだし、南部鉄器も非科学的だと言われかねないコンテンツだ。ただグローバルな正解を追い求めれば、行き着く先は均質的な世界であることも間違いないわけで。

このコロナ禍の状況下で世界との繋がりが絶たれたことで、いわば独自の文化を育んだ鎖国時代の日本人の心持ちで「ジャパニーズコーヒー」とは何か?とずっと考えている。

喫茶店が大好きな僕は、全国津々浦々の名店に暇を見つけては足繁く通っているわけだが、純喫茶ほどクールな空間は存在しないと断言できる。オヤジがシャポーという50年続いた純喫茶を買い取って作った「カフェミエル」もハンパじゃなく雰囲気が良い。時が紡ぐ価値をつくづく感じる。

というわけで、わざわざ海外から「ジャパニーズコーヒー」を求めて多くのフーディーが来日する世界を妄想している。ワクチンの普及に合わせて、「ジャパニーズコーヒー」の編集がようやく少しづつ形になってきた気がする。

僕はグローバルコンテンツであるコーヒーを通して、日本の素晴らしさを発信したいと思っている。僕の息子が日本に生まれてよかったと思える、世界に誇れる日本をコーヒーを通して発信したい。


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