私の原体験(深掘りver.)-前編-
皆さん、こんにちは。棚原 秀樹です。
今回は、以前に書いた原体験について、さらに深めることができたので、そのご紹介をしたいと思います。
前回の記事:私の原体験について
https://note.com/hikkusu_business/n/ncf15255a5bdf
今回深めることができたのは、以下の点です。
①原体験(親との話)
②原体験から来る大切にしているコト(価値観)
③私の使命(ミッション)
前回の記事をブラッシュアップするような形式になっているので、本記事をお読みになる前に、一度前回の記事をご覧になられてください。
それではいきます!
原体験を深めることになった経緯
前回の記事にある通り、私は親のサポートをたくさん受けて育ってきました。具体的には、
・小学生の時のハンググライダー大会
・高校進学時の後押しとその後の支援
・留学時の支援(前回の記事に載せてはいませんが)
もう本当に感謝しても、しきれないくらいのサポートをやってもらいました。
◆◆◆
先日、『原体験ドリブン 人生の答えの9割がここにある!』の著者であるチカイケ秀夫さん(@chikagoo)とお話をする機会があり、上記に記載の具体的な親からの支援について話を聴いてもらいました。
そして、その話の中で親に聴いてみたいことが出てきました。
それは、「なぜ、このようなサポートをしてくれたのか?」ということです。
いくら親とは言え、
・深夜からハンググライダーつくること
・仕事もあるのに早朝から遠方の高校まで連れて行ってくれること
(しかも母親は毎朝弁当をつくってくれていました)
・社会人を辞めて留学することに対して、反対せず、留学期間中もサポートをしてくれたこと
このようなことは、何か理由があるはずと思いました。
“親だから”ではない何かがある、そう思いました。
そして、それを聴くことで私の今後において、とても重要な部分になるんじゃないか、原体験を知って、価値観を深めることができるんじゃないか。そう強く思いました。
なので、夜9時にも関わらず、チカイケさんとの話を終えてすぐ実家へ車を走らせました(笑)
原体験をより知ることができた“親子”原体験ワーク
私の現在の住まいと実家は車で10分ほどの距離にあるので、すぐに到着しました。雑談をしながら、どう話を切り出すか、父親は眠そうだから今日はやめようかな、、、などビビってましたね。。
だって、親と面と向かってこんな話をするなんて今までにないことですし、今更?みたいな感じで、こそばゆいところもあったので。。。
でも、何よりも自分のため!どうしても今、このタイミングで知りたい!その気持ちが勝ったので、思い切って話をしてみました。
話の題材としては、高校進学時に私が迷った時のことや、進学後のサポートについてです。
◆◆◆
私:進学先を決める時、第一志望校を諦めそうになったけど、どうしてあの時、後押しをしてくれたの?
父:小学生の頃からずっと、その学校でサッカーしたいって言ってたからさー。
私:あの時は本当に嬉しかったし、今でもとても感謝している。でもさ、とは言っても朝6時に家を出て、それから仕事行って…っていう生活は、シンドいと思うわけ。他の人なら、やらないと思うし、お父もお母も「やりたいなら自分でどうにかしなさい」と、言う選択肢もあったと思うんだけど、なんでそこまでサポートができたの?
父:自分も部活をしていたから、その気持ちが分かるし、親としては協力したいと思ったわけさー
母:自分は誰かのために、何かやるっていうのは全く苦痛にならない人だから、平気だったよ!
父&母:というか、親だったら子供のやりたいことは、どうにかして協力するもんじゃないか?それが普通じゃないか?
私:それは違うねー。もしそうだったら、世の中のDVとかそういう問題は起きてないと思う。お父とお母だからだよ、これは間違いない。
父:そうか。これは親としては当たり前だと思っていた。親は子供の夢とかやりたいことの実現のためであれば、手伝うのが当たり前だと思う。子供の意志や気持ちは大切にしたいと思うわけさー、自分は。そういうのが親の思いやりで愛情。だから、君へのサポートは全て愛情なわけさー(笑)
幸せか(笑笑)??
私:本当にありがとう。あの高校に行けて、いい友達に出会えて、好きなサッカーを思いっきりやらせてくれたことは本当に感謝。今だから思うんだけど、もっともっと頑張っておけばよかったな…お父とお母のその気持ちを知っていたら、もっと頑張っていたかもしれない(言い訳)。。試合に出ている姿を見せられなかったね…
父:レベルの高いところだったから、仕方ないと思う。
私:もう一つ。なんで留学することを賛成してくれて、留学中も色々サポートしてくれたの?
父:これも君の気持ちが伝わってきたからさー。しかも彼女と別れてまでの決断だろ(ニヤニヤ)
あとは、自分も海外に行きたいと思っていたけど、それができなかったから、ある意味それを託したという面もあるかなぁ…
しっかりと自分が決めた期間で卒業できたことは、素晴らしい!
さすがmy son!
※父は英語が堪能なので、英語での会話も珍しくないです。
私:そっかぁ…ちなみにお父の学生時代や子供の頃、おじぃはこんな感じの協力をしてくれたの?
父:部活はさせてくれてはいたけど、、、あまりいい環境ではなかったのは、わかっているだろ?
・・・父の過去の話・・・
母:お父さんは、お義母さんのいいDNAをたくさん受け継いでいると思う。他の兄弟とは全然違うのは、私が1番感じている。
私:オレはどっちのDNAが多いのかな(笑)
◆◆◆
できるだけ、その時を再現したかったので、会話口調且つ沖縄特有の語尾も残しております(笑)
こんな感じで、3時間くらい原体験ワーク?のような話をしていました。父親の原体験も少しだけ垣間見ることができましたが、ここでは詳細は割愛しますね。本人のプライバシーもあるので。。
今回の対話を通して、私が親からもらったものが見えてきました。
私が親からもらったもの
結論から言うと、以下のことだと感じてます。
父からは
・気持ちや意志を大切にする
・思いやりを持って支える
・人の夢を応援、実現させたい
母からは
・人ために惜しみなく愛情を注ぐ
ということです。
父親は、私の意志や気持ちを1番に考え、高校時代と留学のサポートをしてくれました。もちろん、幼少期まで遡るとそれ以外にもそうしてくれたことが、たくさんあります。
なぜそこまでできたか?それは、父の原体験からくる「思いやりを持って支える」「人の夢や、やりたいことは実現させる」という価値観がありました。
母が、なぜそこまで愛情を注げるのか。明確な原体験まで聴くことはできませんでした。ただ、この価値観レベルの言葉を聴くだけで、これまでのことや私以外の方々に対して今やっていることも含め、全て説明がつくと思い、腹落ちしました。
前編のまとめ
これまで両親からは、大事なことをもらいました。私としては、とてもありがく、感謝の気持ちでいっぱいなのですが、両親からすると「当たり前のこと」だったようです。
でも、そうではなく“うちの両親だからこそ”与えることができたものだったんですね。
この点については、Twitterにもつぶやきました(引用RTですが)。
ツイートしたように、私は人の意志や覚悟などの気持ちに、私自身が動かされます。何か協力したい。これが原動力になります。
これって父親からもらったものなんですね。
本当は、もっと書きたいことがあります。このnoteを書き始めた時は、今回のこの一つの記事に全てを書きたいと思っていたのですが、長くなりすぎたということもありますし、最後の部分がうまくまとめきれなかったので、急遽ですが、前編後編の形式を取ることにしました(笑)
後編もお楽しみに♪
(読んでくれている人、そんないないかw)
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