お盆に実家の青森県三戸町へ帰ってました-2024-
昨年に引き続き、行きの高速バスで一泊・実家で一泊二日・帰りの高速バスで一泊、計三泊四日でお盆はまるまる里帰りへ費やしてきました。
二年連続ではありますが、上京して22年。4回目の帰省。
成人式と祖母の葬式で帰った以外は、この二年しかお盆に帰るということをしておらず、無事昨年から引き続き帰れましたが
こうしてこれからは毎年帰ろうかなと画策しているところであります。
もちろん帰る目的はお墓参りですが、
やはり母の容態を考えるとなるべく会っておかないと後悔する、という思いが年々強くなっていきます。
現在進行形で特にこれといった大病を患っているというわけではないのですが、祖母の他界以降、確実に見た目も弱っていってるし、
会話が少しずつ成り立たなくなってると感じることから
まともに話せる状態で会えるのも時間の問題……かもしれないのです。
今回、父とその話をするのが一番の目標でした。
シリアスな話題なので気恥ずかしい気持ちもありましたが
早速その機会が訪れます。
バスが八戸へ到着し、車で迎えに来てもらっていた両親と合流。
そのまま恒例になった温泉へ直行。
2時間後に待合室で落ち合おうと男女で別れたのですが、
上がってしばらく経っても母が現れません。
「また時間を忘れてんじゃねぇかな」と父。
最近物忘れが激しくなってることを仄めかします。
何もなかったら3時間ほどで上がってくるはず、と聞いたので
ついでにいい機会だと思って「そういえばさ……」と上記の思いを吐露してみました。
どうやら父も最近感じてたらしく、「おまえもそう思うか……」と同意されました。
同じ話題を何回もする、何でもないことに怒りやすくなっている、
思い込んだら聞かない、耳が遠くなっている、等
老化が著しいことを教えてくれました。
まさに電話越しに私が感じていたことと一致。
だんだん話が通じなくなっているというのが共通認識でした。
人ぞれぞれのスピードがあるとはいえ、老化は止められるものではありません。
現に父はまだまだ元気そうです。
言動もしっかりしていますし、もう年金生活だから働く必要ないのに
また新しく葬儀の際の送迎バスの運転を始めたそうです。
母以外の人と交流する機会を自ら設けているのです。賢いなぁ。
母は、完全に父以外の会話相手が居ません。
昔から近所と交流もしようとしない人なので、塞ぎ込みがちなんですよね。
施設にも絶対に入らないと頑なです。
私とは電話で喋ってますが、弟とはある出来事をきっかけに絶縁状態。
2年前に第二子が誕生したのに会えないことを父が嘆いてました。
「お父さんは会いたいよね……」と同情。苦笑するしかありません。
これに関しては弟が何とか折れてくれることを祈るのみです。
ひとまず、父と話し合えたので一安心。
自分は身軽(独り身)なので、何かあったら絶対に駆け付けるから!という意思を示しておきました。
そのあとはお墓参りに西へ東へ。
ゆっくりと悼んできました。
実家に帰ってきてからは父は一人黙々とつまみを料理し
母は買ってきたものを盛り付けて家族飲み会。
6時間くらいずっと他愛ない会話で盛り上がりました。
意味はないけれど絶対に無駄ではない時間。
あと何回こうして三人で笑い合えるのかな。
弟よ、なんでこの場にいないのかな。
まぁ家族持ってるから仕方ないか。
いたら喧嘩になるんだろうし。苦笑。
次の日は故郷・三戸町をぐるっとドライブ。
した後は高校野球を見ながらくつろぎ、帰る時間に。
――以下前回と同文。
様々な家庭環境があると思います。
年を経るごとにいろんな人の家庭や事情を知る機会が訪れるわけですが
それらを訊くとうちは随分と恵まれているなぁと感じるのです。
ちゃんと両親が健在で関係性も悪くない。
確かに金銭面とか田舎という環境とかで裕福とは無縁だったけど
こうして五体満足で生きてるだけでとりあえずは幸せでしょう。
結婚しないという親不孝はしています。
胸を張って何かを成したということもありません。
そのあたりの成功体験はすべて弟が果たしてくれているので
あとは私が元気で生きることでしょう。
両親との死別は、遠くない将来、必ず来ます。
それまで、何かをしてあげるということはできないかもしれないけど
私が笑顔で会いに来ることでも何か一つ、
伝えられてるものがあるかもという感覚はあります。
お父さん、お母さん、これからも私は元気で生きていきますよ。
その姿を、なるべく長く見守ってください。
貴方の愛する息子より。
Afterword
というわけで二年連続で里帰りができました。
去年とは違って今年はもう最初から帰る気満々だったので
いろいろ準備満タンで最初からお盆は休み申請してました。
……台風のおかげでその必要なく休めたとは思いますが。
その台風のせいで帰りの東京が心配でしたけどね。
その不安通り帰路は雨風が強かったのですがピークは避けられました。
来年も「楽しい帰省でした!」と言えることを祈りつつ、
母の健康を願います。
帰る間際に手を握って「お母さんも、元気でね」と言った言葉以上の何かが、伝わっていますように。
お父さんもどうか希望を失いませんように。
……一緒に住めれば後悔はないんでしょうが、やっぱり田舎の暮らしでは私の欲望は何も叶わんのよ。満たされるエンタメが何もないの!苦笑。
昔の同級生が居たらまた違うんだろうけどなぁ。
誰もいないんだよなぁ。そのくらいド田舎なのです。
それではまた来年。
来月引っ越すらしいのでまた新居の実家からお送りいたします。ではでは。
最後まで長文お読みいただき誠にありがとうございました。 つっこみどころを残してあるはずなので 些細なことでもコメント残してくれると嬉しいです!