【歌詞解釈】小松未歩の『砂のしろ』は自分だけが本気の身分違いの恋
隔月恒例、考察という域を超えて妄想をお届けするシリーズの第16弾。
小松未歩の1曲だけで1時間話すという企画の一環として執筆する、
下書きというかカンペとなります。
開催は今週7/28。
興味のある方は是非覗きに来てくださいませ!
小松未歩の夏の憂鬱
編曲者の妙か少々GARNET CROWの香りもするジプシーな一曲。
歌詞も夏っぽいワード満載で、されど決して明るくはない曲調で、
個人的にはこのテイストはラルクの『夏の憂鬱』を思い出してしまいます。
当然これは大好きといわざるを得ません。
ただ、歌詞の解釈という意味ではあまり想像の余地は少ないかなとも。
具体的な言葉が使われていますし
主人公がその場から動かないので場面も動きません。
そのぶん心の機微が敏感な印象がありますね。
では早速行ってみましょう。
年の差恋愛が行き着いたカタチ
まずこの曲のカップリングですが
『いつかはダイアの恋』も『sha la la...』も
主人公が幼いような印象を受けます。
もしくは相手がとても年上で引っ張ってもらう感じ。
「小松未歩はカップリングも表題曲に紐づいてる説」を私は提唱してるので
『砂のしろ』もそこに準じてるんじゃないかなぁと思っています。
いきなり渦中です。
何か含むことのあるあなたの態度に何となく察していたこと。
それはこの恋路が長くは続かないこと。
世間的に見ても逆風にさらされる状況だということも
理解していると言いたげです。
「今度」が必ずしも確約されているわけではない意味ありげな関係。
不釣り合いの天秤。
何かの要因ですぐ壊れてしまうお付き合いというのは
そんなに選択肢は多くはありません。
私を不安にさせないためについていた何らかの取り繕い。
その綻びを見ないふりはできなかった。
具体的には……なんでしょうね。
私の片思いを何となく察してはいたけど気付かないふりをしていたとか
そんな感じでしょうか。
私の恋心に応えることはできないという真実より
慕ってくれてありがとうという噓のほうが優しかったのかもしれません。
砂の城というものは脆く儚い建造物の例え。
けして叶うことのない恋心がその現実に直面してしまった瞬間に
泣き崩れてしまう私がいる。
その涙が堅牢だったはずの決意を瓦解させてしまう波だとも知らずに。
いろんなイベントごとに浮足立つ世間。
私たちだけはそれに混ざりながらも何かの拍子で壊れてしまう関係。
そんな心配がないみんなが羨ましい。
私たちが築き上げたこれまでの関係を試すかのように、
二人の距離を近づける舞台装置を象っていく。
機会仕掛けのシーサイドストーリー。
ねぇ、ほんとはどうしたいの?どうしてほしい?
これまでのしがらみを一回捨てて、教えてほしい。
もしも私たちの関係が禁断の果実でも。
あなたが望むのならそれに溺れてもいい。
そう思えるほど、愛しい人。
毒を食らわば皿まで。
そのためなら、私の将来だって全て捧げる覚悟はできるくらいの。
私の夢を踏み台にしてくれてもかまわない。
なんてね。わかってる。あなたはそんなことは望んでいないと。
情熱だけ宙に浮いてふわふわ漂っている。
私だけが、あなたとの居心地の良さに溺れているの。
その温度差が、あなたの答えだと
もうどこかで悟ってしまっている自分に気付いてる。
あなたとの邂逅のたびに築いた恋心が削られていく。
それは痛みを伴い涙となり、まさに砂の城を抉る波だ。
少しずつ、生きる情熱が奪われていく。
季節を変える空模様が、足元で変わり果てた砂の城の残骸を示すけど
あなたのへの恋心はまとわりついて離れない。
今はまだ、とどめを刺さないあなたの優しさに浸っていたい。
今はまだ――
Afterword
「涙」と「波だ」、「気付いた」と「築いた」の
異口同音を言いたいだけの詩的表現となりました笑
教師と学生のような、
言ってしまえばプロデューサーとアーティストのような
そんな関係性だと思ってもらえればと思います。
勝手に好きになって勝手にあきらめたのが、この歌詞の解釈となります。
不倫とかじゃなく身分違いの恋ですね。
愛だからといって恋にはしない私の脳みそですが
これに関しては「恋」って言っちゃってますからね。
そんな感じで。
影響されないようにまだスピーカー記事は読んでません苦笑
書き終わったのであとでお邪魔します。
……最近忙しくてここ何か月か見に行けてないんで
そのうちコメントテロすると思います笑
また次回更新した際はよしなに。
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