日常哀歌「神様への下剋上。羽のない天使」
※この記事は2007.11.02に書いたものを加筆修正したものになります。
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神様への下剋上。羽のない天使 -Scribble of child-
絵空事 ―― 大げさで現実にはあり得ないこと。誇張した表現。(大字泉より抜粋)
宗教とかいったものは世界各地に点在していて
そのどれもが“神”的なものを崇めて
主に自分の身の回り、そしてたまに周りの人々の幸運を祈る
もっとも至純とされる行為を施行する団体だ。
とまぁこんな書き方するくらいなので、私はまったくもって信じていない。
かつて高校のとき友達だった人が突然連絡を入れてきて、
久しぶりに会おうという話があるだろう。
そんな彼がニヤニヤした顔でする身の上話。
おちこぼれた生活から一転して恵まれたというサクセスストーリー。
・・・典型的な宗教勧誘。
どうやら入らないと二ヵ月後「君に生命の危険が訪れる」と言い放つ始末。
残念ながらあの再会から幾年、私はピンピンしている。
前述のとおり、友人“だった”男。もう連絡は取っていない。
バンドにも誘われていたが、きっとあれも嘘だろう。
こういった話は実際は多い。
皆さんもこういうのには気をつけてください
・・・じゃなくて。
私は必要以上に奇跡というものを信じない傾向にあるのだが、
それはけして後ろ向きな理由ではない。
人が生まれるって、それだけですごい素晴らしいことじゃない?
もうその時点でこんな奇跡が起こってるんだから、
それ以上無用に、生に対して高望みしないという意識。
だって、神様なんていない。
息も絶え絶えに空をめがけて伸ばした腕。
それを取ってくれるのは神でも悪魔でもない、身近な人間だけ。
いるかいないかもわかんないモノに委ねる希望なんて
私は持ち合わせていない。
現実は小説より奇なり、とはよく言ったもので、
生きていくうえで不運なことというのは、ほんとよく襲い掛かってくれる。
それは人を選ばず、時を選ばず、誰にでも平等にやってくる悲劇。
そう、それはきっと神様にとっては至上の喜劇。
掌で踊ってる私達を見て笑っているに違いない。
こうして神様に不信感を抱きながら娯楽を嗜んでいくと、
漫画小説音楽等の創作物に共感する瞬間が多々ある。
つまりは絵空事を考えるだけの思考の余裕がある者が生み出すものに
そういう傾向を見つけることができる。
神様には判らない言葉を僕ら話そう
こんな時代じゃ偽者だって綺麗に生きてゆけるよ
神様には聴こえない声で僕ら笑おう
みせつけてあげるからそこで指銜えてなよ
(峰倉かずや:漫画:WILD ADAPTER)
神様というのはきっと完全無欠に立派で公平な人格者で、
強い者にも弱い者にも、お金持ちにも貧乏人にも、
ただ平等に見守るだけで
決してどちらか一方をえこひいきして
手を差しのべるなんてことはしないのだ。
なんてありがたいんだろう。死んじゃえ。
(壁井ユカコ:小説:キーリ)
このあたりは心のバイブル。
邦楽で言うなら
「信じるものしか救わないセコイ神様拝むよりは
僕と一緒にいる方がキモチよくなれるから」(稲葉浩志)とか
「神様はいない だって祈ったもん 願いが届きますようにって
祈ったもん 祈ったもん」(矢井田瞳)とか。
ところで、天使ママという言葉を知っているだろうか。
もし神様なんて奴がいやがったら
きっとそいつは無能で不細工で腹黒に違いない
許さない・・・ 許せない・・・
楠桂:漫画:VITTER VIRGIN
子供を産みたくても産めなかった母、
生まれたくても生まれられなかった子供がいる。
ひいては、この世には生きたくても生きれなかった人がいるだろう。
別にその人たちの意思を背負えとは言わないけれど、言えないけれど、
せっかく何の因果か拾った生命。
せめてその光朽ちて消えるまで
なんとか自然に地面に落ちるまでは、持ち続けたいと思う。
傷は二度と癒えなくて、罪は時とともに深くなり、
この指は、この腕は、この胸は、
他人と自分の血で塗れてるけれど、、、
生きていてもいいはず。
生きていてもいいよね?
生きていてもいいから。
生きていて欲しいから。
その赤が流れを辞めるまで、その固体は人の物だから、
神様になんて委ねたりしたくない。
自分の命は親から授けられたもの。
それに最大の感謝は贈れども
母親にさえ委ねたくないこの命、
神が介入する余地なんてないよ。
神が定めた道を運命と呼ぶのなら
・・・私はその運命に全力で抗ってやる。
Afterword -20210924-
よく文章を生業とする方のお話で、
過去に自分が残した文章や言葉に救われることがあるというのを
聞いたことがありませんか?
今回のこれはまさしくそれで、元気だった頃の自分の言葉に
今また頑張らなきゃなという気持ちになってます。
あまり褒められた思考回路ではありませんが
「がんばれ」って人から言われると
反発したくない気落ちと応えられる自信の無さから
逃げ出したい衝動に駆られることも多々あります。
ただ自分から出てきた言葉なら、
責任取らなかっこ悪いなと思ってしまうのです。
あと鬱真っ最中ですが
昨晩20年来の友人と会って思ったこともあります。
次回はその辺りをしたためます。
最後まで長文お読みいただき誠にありがとうございました。 つっこみどころを残してあるはずなので 些細なことでもコメント残してくれると嬉しいです!