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シラスについて考える
前回、シラスとウシハクについて書きました。
今回、個人的にシラスについて整理しようと思い、書いています。
シラスというのは日本古来の統治方法のことでした。
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(図の引用:昔の日本の農家には名字がなかったのか?)
小名木善行さんの記事はこちら。
ここから、シラスの部分を引用します。
この「知らさむ国」の「知らさむ」が、「シラス」です。
「シラス」は、古い日本の言葉で、「シラス、シロシメス」などと活用されています。
「シラス」は、「シメラフ」とも活用され、これを漢字で書くと「統(し)めらふ」、つまり「統(す)めらみこと、いやさか」の「統(す)める」となります。
どういう意味かというと、これは「知らしめる」で、いま風にいうと、何かをやろうとするときの情報の共有化です。
つまり「知らせ」を聞いたみんなが情報を共有化し、互いに必要な役割を定め、みんなで一致団結、協力して国造りをする。
そのときの中心核が「シメラフ」御存在となります。
情報は、共有化しただけでは、何も生みません。
そこに協力と共同があって、はじめて、具体的な動きとなります。
つまり特定の権威のもとに、みんなが集い、そこで情報を共有化して、みんなで、何事かを行う。
これが「シラス」における統治手法です。
(中略)
これに対して「シラス」は、まずはみんなで「新田を開墾しよう」という問題意識を共有化します。
そのために、それぞれがどこを担当するかみんなで話し合って決め、決まった事をみんなで一致団結し、協力し共同して、これを実現します。
(中略)
その「シラス」は、漢字で書いたら「統らす」です。
この統治の中心にあるのが、万世一系の天皇の御存在です。
天皇の御存在がなければ、「シラス」国つくりができないからです。
(中略)
なぜなら、民族というものは、歴史伝統文化によって育まれた価値観を共有する人たちの集団です。
ということは「シラス」ためには、その歴史的な伝統文化の中心核として、歴史伝統文化の中心核となりえる存在が必要だからです。
その中心核が、わたしたちの国では、天皇の御存在です。
万民が天皇の民となるということは、政治権力者も、その天皇の民のひとりです。
その政治権力者が統治する民は、天皇の民です。
したがって、誰もが権力者の私有民にはなりえません。
誰もが、あくまで天皇の民であることによって、権力者の私有民であることを否定されるのです。
そして私有民でないということは、民衆のひとりひとりが自立した民であるということです。
ひとりひとりが、人間として扱われる。
人としての尊厳が守られる。
それが「すめらみこと」のおわす、日本のカタチです。
(中略)
大国主神が国譲りをした時代というのは、はるか太古の昔のことです。
日本を建国された神武天皇よりも昔の時代です。
そんな太古の昔から、わたしたちの国、日本は、「しらす」国を目指してきたわけです。
そしてこのことを、統治のために明確に様式化されたのが、7世紀の大化の改新です。
依頼、わたしたちの国は、ずっと、天皇という権威(その権威のことを「国体」といいます)と、統治のための政治組織(これを「政体」といいます)という、二本立ての国づくりをしてきました。
(中略)
けれどもわたしたちの国では、天皇は政治を行わず、つねに政治に統治をするための権威を授けるという、政治より上位のお立場であらせられました。
そしてわたしたちは、天皇の民であることによって、政治権力者から理不尽な収奪や簒奪や暴力的支配をされずにすごすことができるという、国に生まれました。
これは、何度も書いている事ですが、まさに人類理想の究極の民主主義といえるものです。
(中略)
そしてわたしたち日本人は、その民主主義の中の最高の民主主義を、歴史的伝統的文化的にはるか古代から築き上げてきた民族なのです。
(引用:シラスとウシハク)
この中で、特に重要と感じた部分をまとめます。
・「知らせ」を聞いたみんなが情報を共有化し、互いに必要な役割を定め、みんなで一致団結、協力して国造りをする
・特定の権威のもとに、みんなが集い、そこで情報を共有化して、みんなで、何事かを行う
・それぞれがどこを担当するかみんなで話し合って決め、決まった事をみんなで一致団結し、協力し共同して、これを実現
・政治権力者も、その天皇の民のひとり
・民衆のひとりひとりが自立した民である
・わたしたちの国は、ずっと、天皇という権威(その権威のことを「国体」といいます)と、統治のための政治組織(これを「政体」といいます)という、二本立ての国づくりをしてきました
今はウシハクが入り込んできてるから、政体から民に「知らせ」が届いていませんが、、
みんなが情報を共有化して、互いに必要な役割を定め、みんなで一致団結、協力して国造りをする。
つまり、民衆の一人一人が自立して、勉強して、情報を共有化して、必要な役割を通じて、国造りに参加する。
それがシラス統治である日本の民のやるべきことなんじゃないかと。
今回、シラスについて整理してみて、そんなことを思いました。
日本書紀には「日本は豈国(あにくに)」=「よろこびあふれる楽しい国」とあるそうです。
(私達の先祖たちは「よろこびあふれる楽しい国」を希求してきた)
一人一人が、それぞれの役割を通じて、そんな「よろこびあふれる楽しい国」造りに参加していきたいものです。
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![Hide|ヒーラー/カウンセラー](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/76163050/profile_0a78dec3eb07c46f9bc356cac0239074.jpeg?width=600&crop=1:1,smart)