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ざっくり戦後日本ポピュラー音楽史①
音楽が好きだ。洋楽も邦楽もどちらも好きだが、今回は僕が大好きで影響を受けてきた日本のポピュラー音楽の歴史をざっくりと振り返ってみようと思う。
進駐軍とジャズ
第二次世界大戦後、公式に日本ではじめて流れた音楽は8月23日NHKラジオで流された箏曲「六段」や「千鳥」だったという。
その後、占領軍のためのWVTR(後のFEN)が9月23日に放送開始。戦中、娯楽を抑圧されてきた日本国内では主に軍歌などしか聴くことが許されなかったため、ラジオから流れるジャズ(日本では戦前からダンス音楽一般をジャズと呼んでいたためここでも同じ意味)などのアメリカの明るく陽気な音楽に敗戦で打ちのめされた国民は希望を見出した、というのはよく聞く話だ。
戦争が終わるまで我々の国にジャズがなかったのかといえばそうではない。東洋のジャズの聖地であった上海租界に行く者もいたし、戦後も作曲家として日本の音楽を支えた者もいた。
戦中ジャズは敵性音楽として禁止されたが、唯一演奏が許されたNHKの謀略放送で演奏する者もいたし、満州など外地へ出ていくことで演奏の場を求めた者たちもいた。
そんな日本人ジャズメンが戦後活躍したのが進駐軍のクラブだ。
1952年4月の講和条約発効まで、日本各地に多くの占領軍用のクラブがあった。そこでは毎晩のように日本人ジャズメンによる演奏が繰り広げられた。ラテン、ハワイアン、ウエスタンなど演奏曲目は多様で、ここで磨かれた腕と感性が後の華やかな芸能界へと結びついていく。
ここまで書いてきたのはあくまでも都市部の話であり、農村など地方(田舎)での状況は全く違うものであったろうことは想像に難くない。実際に農村部でよく聴かれていたのは浪曲だった。「ジャズが日本国民を解放した」という説は都会者の言葉に過ぎないともいえる。
ヒット曲
戦後初のヒット曲「リンゴの唄」(作詞・サトウハチロー、作曲・万城目正、編曲・仁木他喜雄)が挿入歌となった映画『そよかぜ』が公開されたのが1945年10月11日。主演の並木路子と霧島昇による歌(後に並木のソロ歌唱に)は12月10日からラジオで再三流され、多くの国民の耳に届いた。
翌年1月に発売されたこの曲を表現する際、多くの本で明るくウキウキとした歌声とメロディと表現されるが、個人的には子供時代テレビ等で流れると怖かった記憶がある。それは電子楽器によるクリアなバンドサウンドなどに慣れた子供には当時の音源が歌声にしろ演奏にしろいかにも古めかしく、音もざらついていたためだろうと思う。
その後、NHK朝の連続テレビ小説『ブギウギ』でも取り上げられた笠置シヅ子の「東京ブギウギ」(作詞・鈴木勝、作曲・服部良一)が1948年1月に発売、48年6月には戦前から活躍し、ヨナ抜き短音階と洋楽的リズムの折衷により生まれた古賀メロディーで有名で現在の演歌の祖ともいわれる古賀政男作曲の「湯の町エレジー」(歌・近江俊郎、作詞・野村俊夫)も発売されヒットした。古賀と服部の二人は戦争を挟んで日本のポピュラー音楽に多大な功績を残した偉大な作曲家だ。
他にも、48年10月に「憧れのハワイ航路」(歌・岡晴夫、作詞・石本美由起、作曲・江口夜詩)が発売し50年には映画化、49年3月には映画『青い山脈』の主題歌「青い山脈」(作詞・西條八十、作曲・服部良一)が戦前からの人気歌手藤山一郎と奈良光枝の歌によって発売されるなどいくつかのヒット曲が生まれた。
そして1949年8月10日には戦後の歌謡界に燦然と輝くスター美空ひばりのデビュー曲「河童ブギウギ」(作詞・藤浦洸、作/編曲・浅井挙曄)が発売される(A面霧島昇「楽しいささやき」)。
この頃生まれた異国情緒溢れる曲たちは、恐らくこの後の少女漫画に繋がっているだろうというのは個人的見解だ。
うたごえ運動
戦中の国粋主義的なイデオロギーに対する反動として共産党を中心とした左翼的な『うたごえ運動』がはじまるのが1947年。「関西勤労者音楽協議会」(労音)の発足が1949年で、この組織の活動から「見上げてごらん夜の星を」が生まれ、後に爆発する関西フォークのムーブメントにも関連している。
50年代には「うたごえ喫茶」と呼ばれる客全員でロシア民謡や労働歌、反戦歌などを歌う喫茶店が展開され、そこからも多くの歌手がメジャーシーンに現れることになった。僕が子供の頃には親世代を通じてその残滓のようなものが少しだけあったような気がする。
まとめ
こうして見ていくと、後の日本のポピュラー音楽に繋がるすべてが戦後すぐに表出していることがわかる。
ジャズがなければロックやヒップホップの受容ももう少し違っただろうし、古賀政男のメロディーは演歌というジャンルを生んだ。うたごえ運動はフォークソングを広め、数々の映画(現在でいうとアニメが大きい)とその主題歌が現在に至るまでセットでヒットしてきた。
次はまたいつか50年代について書きたいと思う。