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7.23 第2回ひだまり礼拝、無事に終わりました
鬼暑い日にもかかわらずお集まりくださり、ありがとうございました!
ご協力・宣伝・応援いただいた方々にも感謝です!
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おかげさまで、またとてもいい感じの礼拝が持てました。
全員で16人、当事者は6人くらい。
前回に引き続き文楽舎さんが駆けつけてくれました。(未成年の虐待生存者の参加者がいないのに恐縮です)
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【福音書:マタイ7:24-27】
「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった」
↑「だからイエスさまを信じて岩の上に家を建てましょう」って話だな、と思ったでしょ?(・∀・)
ところが渡邊さゆり先生(駒込平和教会)のメッセージは一筋縄ではなかったです。
【メッセージ「そんなに強くなくとも」】(ダイジェスト)
イエスは、みんなに「賢い人になれ」という意味で言ったのでしょうか?
子どもたちにこの話をしたときに、「この倒れた家の人はどうなるの?」「神さまは助けてくれなかったの?」と言われました。それを聞いて、私も「イエスの言葉を聞いてその通りにできるだろうか?」と思いました。
そうではなくて、イエスは「砂の上に家を建てる人」たちと一緒にいるのではないか?
「砂」とはサンゴ礁のような感じがします。周りから包まれるような柔らかい所。柔らかくて基地を建てる杭も打てない。いのちを育む揺籃のような。
当時、岩の上に家を建てられた人は権力や地位を持っている人。そういう人が神殿を建てたりしていました。その神殿を実際に建設していた人たちが住んでいたのは砂の上でした。
マタイが「○○のようだ」と言うときは、皮肉が込められているパターンが多いように思います。
字義通りに読むと、イエスは「自分の言う通りにしっかりやれ」と言っているようにも聞こえるけど。じつは「そんな風にうまくできない人たちと私は一緒にいますよ」ということの表れがこの個所ではないかと。
私はどちらかというとこの砂粒みたいなものだなよなあ、と。一人ひとりはすごく無力で、小さい砂粒みたいなもので。
でも、そういう人たちと一緒にイエスはいようとしたのです。
私も砂の民です。人間関係の土台がグズグズのマヨネーズ層……。
それでもこんな私とイエスさまがいてくれるとしたら、ありがたいことです。
渡邊さゆり先生はマイノリティ宣教センターの共同主事と、アトゥトゥミャンマーの共同代表を務めておられます。
陣内大蔵先生作の『♪キリストの風よ』は定番賛美歌に。
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関西から2件「こちら方面ではやらないのですか?」とお問い合わせがありました。
ぜひそちらでやってください! 協力しまっせ!(・∀・)v
全国各地で「虐待生存者のための礼拝/ミサ」が行われるようになればいいなあ!
そうしたらもう誰からも「親を許せ」なんて言われなくなるでしょう。
次回は秋でしょうか?
また日時が決まり次第お知らせします。
また集まりましょう! 集まってラクになっていきましょう♪(・∀・)/
※渡邊さゆり先生が、ご自身のnoteで紹介してくださりました。感謝!