見出し画像

noteドラマ 「りんごとオレンジ」①



chapter.1 「 ひみつ 」





ーーーー愛したひとには、秘密があった。



「………ひみつ、か。」
話題の映画広告を眺めながら、六花(りっか)は小さくひとりごちた。そう描かれたポスターの真ん中で今大人気の若手俳優が深刻そうな眼差しをこちらに向けている。汚れた服装をしていても、彫りの深い整った顔立ちが眩しい。シリアスな顔も様になるものだ。その甘いマスクに隠されているのは、一体どんな秘密なんだろうか。


「りっかー!どうしたの、ぼーっとしちゃって。何見てたの?」
大きめのショップバックを肩から下げて、高揚した面持ちの妙(たえ)ちゃんが小走りでやってきた。長らく鏡の前で迷っていたワンピースを買ったんだな、と思った。何度も試着をしたんだろう、静電気でつむじあたりが少し逆立っている。腰まであった長い髪をばっさりと顎のラインまで潔く切った妙ちゃんに、涼しげな麻素材のそれはよく似合っていた。(失恋ではなく、ただの気分転換なのだと言っていた。)


「これ。よくCMで流れてるから気になって。」
「あー!コウイチが主演のやつだよね!やっぱかっこいい〜〜あたしも観たいと思ってた!始まったら六花一緒に観に行く?」
「いいね、行こう行こう。ていうかなんか疲れてきたかも。そろそろお茶しない?」
「えっもう?まだ買い始めたばっかじゃん。六花は本当に足腰が弱いんだから。すぐお茶したがるの、おばさんの証拠だよ!」

呆れてそう言いつつも、席空いてる時間だといいけど、とすぐにスタバを目指して歩き出してくれる妙ちゃんはいつも優しい。さっき自分が服を買うまで悩んでいる間、私を待たせたことを気にしてくれているのだ。あえて口にして待たせてごめん、とは言わない。高校時代からの親友で、社会人になった今もずっと続いている貴重な関係だ。15歳で出会ってからもう10年経った。お互いの考えていることがいちいち言葉にしなくても伝わるのは、とても楽だ。


・・・


「苺のフラペチーノまだあるかなぁ〜〜」
鼻歌まじりに妙ちゃんが呟く。ワンピースは散々悩んでいたけれど、妙ちゃんは基本的に切り替えが早い。頭が良くて、サバサバしていて、昔からみんなの姉御的存在だった。性格のまるで違う私が妙ちゃんと未だに仲良くしていることを、不思議がる同級生も多い。私もなぜここまで仲良くなったのかはよく分からない。

妙ちゃんといると居心地がいい、という一言に尽きる。ふたりっきりでいると、無言でも嫌な感じがしない人と、この間を埋める為に何か喋らなくてはと考えてしまう人がいる。人見知りで慣れるまではあまり口数が多くない私にとって、手探りで会話を探すことはひどく苦痛な行為だ。いい天気ですね、最近どうですか。それ以外の糸口なんて一体他に何があるんだろう、と続かない会話にいつも落ち込んでしまう。
その点、妙ちゃんは出逢ったときから圧倒的に前者だった。私は妙ちゃんの隣でなら、いつも堂々とのんびりしていられた。

画像1


「最近どうなの。」
いい風だ。テラス席が空いていて良かった。念願の苺フラペをすすり上げながら、斜め横でぼんやりと座っている六花に問いかけてみる。粒々が大きくて美味しい。期間限定じゃなくて年中飲めたらいいのに、と思った。そういえば去年もこれを飲みながら確かそんなこと言ってたっけ、と薄い記憶がふと蘇る。どうせあたしはきっと来年も同じことを言うんだろう。大したことない感情など、その程度のものだ。それにしても昔から六花はいつ見ても本当によくぼーっとしてる。

「んーー。普通、かなぁ。毎回毎回、面白みがなくて悪いんだけど。」
最近どう、のどうって何が。なんて野暮なことは聞かずに、前回尋ねたときと同じようなことを言って六花は薄く笑った。出会って10年が経つ。お互いの考えていることがいちいち言葉にしなくても伝わるのは、とてもスムーズだ。


・・・


「六花と吉井さんってさ、夏で3年?だっけ。」
「そうだね、8月で付き合って丸3年だね。」
「もう一緒に住んでるみたいなものでしょ。同棲すればいいのに。え、吉井さんってさ、28?学年で言うとうちらの3個上?だったよね?……だめだ、早生まれがややこしくて何回聞いても全然覚えらんない。」
「妙ちゃん毎回それ言うんだから。こないだの2月で28で、つぎの2月で29。学年だと3つ上だよ。1年浪人してるから社会人は2つ上になるけど。」
「あーもう、それ余計にややこしいよね。どうにかしてほしい。」
「どうにもなんないよ。とにかく3歳差。吉井さんもアラサーだよ。」
「辛い響きだねぇ。男の人もアラサーとか気にするもんなの?」
「うーん、どうなんだろ。お風呂上がりに額の後退具合はめちゃくちゃチェックしてるけどね。女の人ほど話題にはしないんじゃない。」
「えっ吉井さん、もしやハゲ家系?あんなに毛量多いのに。」
「毛量の多さと生え際の後退は別物なんだ、ってこないだ言ってた。よく分かんないけど。」
「前からくるハゲは辛いよね。いや、てっぺんも辛いけど。ハゲてきたなら、いっそ思い切って坊主にしてほしいもん。お洒落坊主。」
「えぇぇ、坊主かぁ。なんか坊主にしてるイメージあんまりないなぁ。」
「え、でも吉井さん確か野球部だったんでしょ?高校時代。一応甲子園目指してたんだーって、前みんなで飲んだ時に言ってなかったっけ。」
「………あぁ、そうそう。写真でしか見たことないけど、あれは見事な五厘だった。」
「頭の形が綺麗なひとは似合うんだよね!って、何の話から今坊主トークしてるんだっけ。」
「吉井さんもアラサーだよ、生え際の後退具合気にしてるよ、って話。」
「そうそう、そうだった。アラサーから坊主になんてよく飛んだよね。ところで、結婚は?向こうの年齢的にも話出てたりとかしないの?」

画像2


リモートでは顔を見ていたけれど、ほぼ半年ぶりにちゃんと会ったショートボブの妙ちゃんは、やっぱり今日もサバサバしている。久々に実家に顔を出すと、決まって母親に聞かれる同じ質問にはあれほどうんざりするのに、妙ちゃんに聞かれるとまるでそう思わないのは何故なんだろう。
「明日の天気は晴れ?」そう聞かれているのとまったく同じ気持ちになるから不思議だ。きっと、妙ちゃんもそう思って聞いてくれているからじゃないかと思う。一方で母親のそれには、いつも隠し切れていない強い圧が見えてしまっている。

「ところで、(長く付き合っている、会社の取引先で出会った年上、ご両親は田舎にいる次男坊、お酒は飲むけどタバコもギャンブルもしない。そんな好条件な人とあなたはこのまま)結婚しないの?」と、聞こえるのだ。母親は至って素知らぬ顔で聞いているらしいが、私にはその頭の中に溢れかえっているカッコの中まで全てが聞こえている。21歳で父と結婚して家庭に入った母にとって、26歳になって彼氏がいるにも関わらず会社で働き続けている適齢期の娘というものを未だに理解できないんだろう。仕方がないことだと思う。時代が昭和から平成、そして平成から令和に日付ひとつで移り変わったように、人の価値観はそう簡単にはアップデートできないのだ。

・・・


「うーん……。まぁ一応、出てるっちゃ出てるんだけどね……。」
やたらと歯切れ悪く、六花がぼそっと呟いた。
「えっ、そうなの。にしても、六花の顔がおめでとうにはまだ程遠そうなんだけど。結婚迷ってるの?何か吉井さんの嫌なところでもあるの?」
「嫌なところ、はないんだよね。まぁ、もちろん全くないこともないよ。暑がりすぎて冷房と暖房の温度合わないし、ドライヤーのコード巻かないでって言ってるのにいつも巻いちゃうし。」
「何それ、ちっちゃい話じゃん。でも積み重なると確かにいらっとはするけどね。えっ、まさか悩んでるポイントってそれ?」
「いやいや!さすがに違うよ。それはいらっとしながらも全然我慢できる範囲だし。それじゃないんだけどさ……。」
「えー、なに。気になる!六花が言いたくないことならいいけど、何か深刻系?やばい過去でも隠されてた…?」
珍しかった。口数の少ない六花だけど、相談ごとをあたしに持ちかけてくれることもしょっちゅうだったから。こんなにも口ごもるのはもしかしてかなり言いにくいことなのかと、一瞬踏み込むことを躊躇った。


「……深刻、ではないんだけど私にとっては深刻、っていうか。隠されてた、っていうかどっちかと言えば私が隠してた、っていうか……。」
「だーーっなんなのよ、さっきから行ったり来たりで。六花の秘密?なんかあった?高2のとき、野球部の高橋先輩の下駄箱に内緒で合格祈願の御守り入れたこと?」
「やっだ!懐かしいやめてよ黒歴史!!………でもあれは今思い出しても青春だったね、ほんと。」
「六花、マネージャーでもないのに毎日部活見てたもんね。って、あ!だめだこれ。さっきのアラサー坊主の流れじゃん、戻さなきゃ。で、六花の隠してたことって何だったの?」
それから少しだけ迷ったように目線を左右に揺らしたあと、六花は膝の上で両手を握りしめながら先程よりも小さな声で話しかけてきた。


「…………妙ちゃん。笑わない?」
「あんたそれは、どうぞ笑ってくださいの前フリでしょうが。」
「違うよ!フリじゃなくて本気!……やっぱり言うのやめようかな。絶対妙ちゃん笑うもん。」
「分かった、分かった。笑わないから言ってみて。話したらすっきりするかもよ。」
「……約束だよ?あのね、さっき吉井さんが高校時代に野球部だったって話したじゃない?」
「え、まさかここにきて坊主の流れに戻すの?」
「違うから!もう最後まで聞いて!……でさ、ちょうど高橋先輩の話してくれたけど、高校の時私ずっと野球部の部活見てたじゃない?」
「うん……え、なに。それ繋がるの?なんか怖いんだけど……。」
「繋がる、っちゃ繋がるというか。とりあえずね、吉井さんも私も、お互い野球が好きなのよ!私が今までスポーツの話とかあんまりしなかったから、一緒に住むようになって吉井さんはそのこと初めて知ったんだけど。」
「へぇー、あたしも知らなかった。確かに六花ってあんまりスポーツ得意じゃないし、高橋先輩が好きだからあの時野球部見てたのかと思ってた!え、でもいいじゃん、趣味が同じって。ふたりで野球観に行ったりとかできるじゃん。」
「………うん。できる、んだけど。できるのはできるんだけどね。」
「え?一体それの何が問題なの?」
「………絶対笑わないでね、妙ちゃん。あのね、結婚に悩んでるのはね……。」




「吉井さん、阪神ファンだったの…………!」




「………ほぇ?」




                  続く

いいなと思ったら応援しよう!

左頬にほくろ
価値を感じてくださったら大変嬉しいです。お気持ちを糧に、たいせつに使わせていただきます。