noteドラマ 「りんごとオレンジ」③
chapter.3 「 アジフライ 」
「私はね、私の家族はね……先祖代々、めちゃめちゃ巨人ファンなの……!!」
「………ほぇ?」
焼売をくわえた恭ちゃんが、素っ頓狂な声を出している。そりゃそうだ、気持ちは分かる。私だって阪神ファンと聴いた時、本当はそうやってリアクションしたかった。
「あっ、えっ、巨人ファン……。六花の家、みんな、先祖代々……。巨人ファンね……。」
恭ちゃんの言葉に詰まったリアルな反応が、とてもつらい。だから、その気持ちは痛いほど分かるんだってば。
「……びっくり、させたよね。はははっ。恭ちゃん阪神ファンっぽいなぁって、実は私、前から何となく気づいてて。言い出せなかったんだよね。」
「あ、そうだったんだ……。俺も別に隠してたつもりは全然ないんだけど、こういう話にならなかったからさ。え、なんで気づいたの?」
「んーいろいろあるけど……恭ちゃんさ、酔っ払うと鼻歌で六甲おろし歌う癖あること、自分で気づいてたりする?」
「嘘!マジで!?言ってよ!え、めちゃめちゃ恥ずかしい奴じゃん、俺。それ絶対会社の飲み会とかでもやってるやつだわ。マジか……六甲おろし……鼻歌……ださ……」
恭ちゃん、そこに落ち込むのか。今はそこじゃないんだけど、と思いながら勇気を出してもう少し切り込んでみる。
「鼻歌は……今度から注意するね。酔ってるときだから効果あるのかは分かんないけど……。
でさ、あのね、恭ちゃん。さっきも言ったけど、答え次第でどうこうなるって話じゃないから。
阪神ファンでも恭ちゃんは恭ちゃんだし、それで嫌いになるとかは全くないって私は思ってるんだけど……恭ちゃんは、今どう思った……?」
もそもそと焼売を飲み込む音が、静かなリビングに小さく聴こえる。ここにきて沈黙はきついよ、恭ちゃん。そして、ごくりとビールで流し込む音がした後、少しの間を置いてから恭ちゃんは私の目を見てゆっくり告げた。
「ちょっとだけ、考える時間が欲しい。
一週間後にもう一度話をしよう。」
それが、先週のことだった。
「…………で、今に至る。と?」
全てを黙って聴いてくれた妙ちゃんは、何故か眉間にシワを寄せて怒っていた。
「そう、なんだけど……妙ちゃん顔、怖いよ!」
「そりゃあんた!怖くもなるでしょうよ!え、言うよ?六花は言わないだろうから、あたしが代わりに言っちゃうよ?マっっジで吉井さん、ごめんだけど何考えてるのか分からないわ。
考える時間?は?一週間?は?考えるも何も!!あなたは阪神ファン、彼女は巨人ファン。それだけのことでしょうが!!それ以上に何を考える時間な訳!全然意味分からないんだけど、マジでほんと。」
ここまで一息で言い切ると、なくなりかけている苺フラペをずずーっと吸い込んだ勢いで、妙ちゃんは余計にむせていた。
「ちょっと妙ちゃん、大丈夫?まぁまぁ落ち着いて。私なら大丈夫だから、ね?」
「なんであたしが逆になだめられてるのよ。
はぁ……あんたって子は昔からほんっとにお人好しというか、ぼーっとしてるというか、のんびりしてるというか……。高橋先輩の御守りのときもそうだよ。気づいたら全然違う子が渡してたことになってたときだって、六花なんにも言わなかったじゃない。勇気がなくて自分の名前を書けなかった私が悪いんだーとか言って。あたしはずっと昔から、六花のそういう相手に伝わってない優しさがちょっと不憫だと思ってたのよ。」
「へへ……そんなこともあったね。いや、でもあれはやっぱりヘタレな私のせいだから。最後まですっごく迷ったのに、名前、どうしても書けなかったんだよね。敬遠どころか、不戦敗だよ。
でも、今回は違うの。最後はちゃんと勇気出してマウンドから真っ直ぐボール投げたから。後は恭ちゃんが打ってくれるのか、見逃すのか。もう委ねるしかないんだよね。」
・・・
そうきっぱりと言い切って、風に揺れる六花の柔らかい髪を眺めながら、10年経つと強くなるものだな、と思った。
威勢だけ良くて本音は隠したままの弱いあたしなんかより、もしかしたら六花はずっと強かったのかもしれない。
「委ねる、か。まぁそこで無理やり問い詰めないところが、六花らしいんだけど。それで?その一週間後っていうのが、今日の晩なのね?」
「……うぅっ、そうなの、そうなんだよ……。どうしよう、妙ちゃん。見栄張っちゃったけど、やっぱりいざとなったら怖くなってきたよぉ。別れようとか言われたらどうしよう!巨人ファンだからフラれるの??そんなの嫌だぁ……。」
見事なハの字眉毛で眼をうるうるさせている六花を見て、前言撤回!と笑ってしまった。10年経とうが、やっぱり六花は六花だ。
「だぁいじょうぶ。万が一吉井さんがそんな理由で六花のことフった日には、あたしが1発、いや2、3発は喰らわせにいくから!そのために自粛中筋トレに励んでたようなもんよ!」
「妙ちゃん〜〜!すっごく嬉しいけどフラれる前提なのはやだよ……。」
「ごめんごめん、冗談よ。吉井さん、ちゃんと六花のこと好きだと思うし、そんなことで人生の判断を誤る人じゃないと思うよ。あたしも一緒に信じてるから、今日はもう早く帰って美味しいものでも作って待ってなさい!このままじゃ、そわそわして買い物どころじゃないでしょ?」
「妙ちゃん……今日ずっと私が心ここにあらずなこと、気づいてたの……?」
「ピンとくるものがないだけかと思ってたけど、なんとなくいつもより多めにぼーっとしてるなぁとはね。いいのよ、買い物なんてこれからはいつでもできるんだし。今日のあたしの一番の目的は、自粛明けに六花と顔を見て話すことだったから。万事達成よ。」
そう笑った妙ちゃんに背中を押されるように、そのままスーパーに寄って家路についた。今日は恭ちゃんも私も大好きな、アジフライにしようと決めた。待ち構えているのが嬉しい結末でも、悲しい結末だったとしても、どうせなら一緒に美味しいご飯を食べたい。その方が、どちらにせよ思い出した時に幸せな記憶になる気がしたのだ。
妙ちゃんには別れ際、ごめんねの代わりにありがとうを沢山伝えた。お互いの考えていることがいちいち言葉にしなくても伝わるのは、とてもとても有り難いことだ。そういえば妙ちゃんの話を聞きそびれたと連絡したら、私たちの今晩の結果と一緒に話そうと返事が来た。
・・・
恭ちゃんから、帰宅時間の目処が知らされる。アジフライは揚げたてがいい。熱々のうちに食べられるように計算して、ご飯のタイマーをセットする。そういえば焼売も熱そうに食べてたな、と子供みたいな恭ちゃんを思い出す。
……まだ、泣くには早い。私のマウンドは、続いてるんだ。
ピーっと炊飯器が鳴った頃、玄関のドアが開いた。手洗いうがいをする音が聴こえる。六甲おろしではなく、ハッピーバースデーを小さく口ずさんでいる。
『ねぇねぇ恭ちゃん。この歌を2回歌い切るまでの時間で、手を洗うといいんだって。』
『最初は子供向けだと思ってたけど、もう知らないうちに癖になってきたよね。』
ふたりで過ごしたステイホームは、なんだか新婚ごっこのようで。大変なことも多かったけれど、一緒にいられてすごく楽しかったよ、恭ちゃん。
「………ただいま。」
どことなく神妙な面持ちで、恭ちゃんがリビングに入ってきた。
「おかえり!今日はね、アジフライだよ!」
明るく応えた私の肩に大きな手を置いて、ゆっくりと椅子に誘導した。あぁ、一週間前の続きが始まるんだな、と思った。
「あの、さ。ご飯の前にまず、いいかな。」
こくんと頷いた。緊張して声が出せなかった。
「俺、一週間欲しいって言ったじゃん。まずは待たせてごめん、待ってくれてありがとう。
でさ、時間をくれって言っておいてなんなんだけど、俺はまず何を考えたいのか、から考えたんだよね。あの時六花に対して即答できなかったのは、どうしてだったんだろうって。」
また頷くしかできなかった。けれど、眼はしっかりと恭ちゃんを見ている。
「俺の中で、六花が巨人ファンだったことがショックじゃなかった、といえば嘘になるんだよ。まぁ、長いこと関東に住んでるのに阪神ファンな俺の方が全然少数派なんだけど。何となく、六花とはこう、考え方とか笑いのツボとかが似てるなって思ってたから。野球好きって聞いて、勝手に期待しちゃったんだよね。一緒に阪神応援できるなぁ、とか。」
大きく頷いた。同じ気持ちだ、と思った。
「でもさ、じゃぁ実は巨人ファンだったって聞いて、それで六花のこと嫌いだとか、もう別れるとか、そんなことはマジで1ミリも思い浮かばなかった訳。ほんとに、ただただ俺がダサくて動揺しただけだったんだ。それは信じてほしい。」
何度も頷いた。……やっと声が出せそうだった。
「じゃぁ何でこんなに動揺したかっていうと、このステイホーム中初めて六花とこんなに一緒にいて、俺、めちゃくちゃ楽しかったんだよ。飯もすげー美味くて、ビールも進むし、横で六花笑ってるし、ビールもやっぱり進むし。
で、こうやってこれからも毎日過ごしたいなって思ってたところに、いきなり初めてデカい価値観の違いがブッ込まれて。俺はこれから、全く違う環境で育った人間と生きていく中で、何かあるたびに意見が食い違ったりして、それでもちゃんとふたりで話し合って分かり合っていけるのかなって、なんか改めてちゃんと考えたんだ。」
頷きの代わりに、もう涙が止まらなかった。
「だから俺、六花のご実家行ってきたんだよ。」
「………ほぇ?」
久々に発した声は、いつか聴いたばかりの素っ頓狂な音だった。
「だから!スーツ着て、ご実家に行って、お父さんとお母さんとお兄さんに挨拶して。で、筧家の皆さんに六花と巨人の話聞いてきたんだよ。」
「嘘でしょ……実家から連絡きてないよ……」
「俺が六花にはまだ言わないでくれって言ったんだよ。ちゃんと説明もした、俺は阪神ファンですって。けしからんって、お父さんとお兄ちゃんは最初ちょっと怒ってたけど、お母さんがまぁまぁってなだめてくれてさ。六花のアルバム見ながら、メガホン握ってるやつとか見て。お父さんが六花の歴史と巨人の歴史、同じ熱量でめちゃくちゃ語ってくれたよ。」
「……信じらんない。恥ずかしすぎる!」
「で、ちゃんと認めてもらったよ。新しい息子は阪神ファンでも許してやるって。
その代わり、六花は永遠に巨人ファンだからこの先も覚悟しとけよって。」
「息子………?」
「そう。遅くなったけど……結婚しよう。俺はやっぱり、六花と家族になりたい!価値観の違いは、認め合って分け合って、お互い尊重できるような家族になりたい。テレビ中継は、ホームゲーム優先で観よう。ちゃんと応援して野次らないって約束しよう。年に1回ずつそれぞれのホームで観戦して、その日は相手側のファンになろう。もし子供が生まれたら子供の興味ある方に委ねることにして、姑息なスカウト行為は禁止だからな!
俺、この先どんな不安な世の中だったとしても、りっちゃんと生きていきたいよ。」
「………………っていうプロポーズだったの!!!もう私ほんっっとにこの世で一番幸せだった……。
あ、ねぇちょっと妙ちゃん!聞いてる??フリーズ?回線悪い?おーーーい!」
画面の向こうには、目尻が溶けてしまいそうな六花が映っている。あの時のハの字眉毛はどこにいったんだ。
「あんたね、それもう3・回・目!あたし今、3回同じ話聞いたから!もう飽きたわ!!」
「えっ、私また妙ちゃんに同じ話しちゃってた…?ごめんごめん!」
「こいつ!全然ごめんって思ってない癖に!」
お互いの考えていることがいちいち言葉にしなくても伝わるのは、時に面倒だったりもするのだ。
「は〜〜ほんとに幸せな晩ご飯で、ビールも進んじゃって、久々にこんなに酔っ払ったよ〜〜。」
「結局、何作ったの?」
「今日はねぇ、恭ちゃんも私も大好きな、アジフライ!!」
「いろいろ余計だけど、まぁアジフライは美味しいよね。そういえば六花ってさ、アジフライは醤油派?ソース派?」
ふっふっふ、と画面の向こうの六花がまた目尻を溶けさせながらにやけている。
「あのね、聞いてくれる?アジフライといえば、世間ではさ、醤油派?ソース派?っていうのがよく聞かれる一般的な質問じゃない?
それがね、恭ちゃんと私は違うんだよ。私たち、アジフライにはポン酢派なんだよね!!」
「ポン酢!?信じらんない。アジフライには絶対醤油!!これは譲れない!」
「ふふ、みんなそう言うよねぇ。昔ね、取引先との飲み会で恭ちゃんと初めて出逢ったときにさ、お料理にアジフライが出たんだよね。で、醤油派ソース派論争で盛り上がってる中、私はポン酢派なんて少数派すぎてとてもじゃないけど言い出せなかったの。
そしたらね!恭ちゃんが、俺はポン酢派なんだよなぁ〜って!ぼそっと呟いたの!!それが実は、仲良くなるきっかけだったんだよねぇ。」
「え、なに。あんたたち、アジフライ婚なの?」
「ちょっとダサッッ!!やだよぉーーアジフライ婚!それはダサすぎるって!」
とかなんとか嫌がりながらも、六花は酔いも手伝ってか爆笑している。あーあこれはもうそろそろお開きだな。
「妙ちゃん妙ちゃん。だからね、価値観の違いはいろいろあると思うの。それは違う人間だからしょうがないんだよね。押しつけも否定もできないって妙ちゃん言ってくれたじゃない?
それでもね、私は恭ちゃんと阪神ファンと巨人ファンが割れちゃったっていうことよりも、アジフライにポン酢っていうすっごくマニアックな価値観が合ったことの方が、ずっとずーっと嬉しかったんだよ。
あぁ、きっとこの人と一緒に生きていけるなぁって思ったんだよね。」
そう言うと、嬉しそうにへにゃっと笑って六花はうつらうつらとし始めた。大丈夫、あたしの涙は見られていないようだ。そっと目尻を拭ってから画面越しに吉井さんに助けを呼ぶ。
「ごめんね、妙ちゃん。なんか迷惑かけたみたいで、ほんとありがとう。これからも良ければ夫婦共々で仲良くしてね。」
「いえいえ、六花が幸せそうで良かったです。アジフライ婚おめでとうございまぁす。じゃ、おやすみなさい!」
吉井さんに寝落ちしかけている六花を託して画面を切ろうとしたとき、まだ繋がったままの向こうの画面から何やらふたりが歌っているらしいヘタクソな鼻歌が聴こえてきた。まったく夜中に近所迷惑な新婚だ。これ、なんの歌……?面白くてしばらく聴いてみるけれど、何だか分からない。
ろーっこぉーろーしにぃー、と六花の声が聴こえる。吉井さんがなぜか喜んでいる。
よく分からないけれどその愉快な歌さえも、アジフライ婚で結ばれた若きふたりの未来を明るく祝福しているような気がした。
これにて、六花編、完!
次からは妙ちゃん編です。