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今夜も白い壁じゃなくて、顔を見て眠りにつきたかった



この世でいちばん哀しい光景は、眠りにつく前に見る目の前の白い壁だ。


桜の季節に初めて一人暮らしをした部屋は、お世辞にも広いとは言えないワンルーム。バストイレ別ということだけが自慢な、けれどすきなものだけを集めた小さなそのお城は、雪の降る頃にいつしか二人暮らしに変わっていた。


狭い、ということは近い、ということで。
気配につつまれた濃密な8.5畳は、どこにいてもふたりがいて、どこにもいけないほどふたりしかいなかった。


炊くお米の量が増えて、洗濯の回数が増えて、帰ったときに自分で電気を点けることが減った。

テレビを観て笑って泣くことはできても、今日起こった悔しくてむかつく話をぶつけることは一人ではできなかったから、日々の些細なやり取りがなんだかとてもうれしかった。

たまに一人になったときには、あまりにも静かな家に驚いた。「不在は、存在をより色濃くさせる」といつか誰かが言っていたけれど、その通りだと思った。だから決して寂しがることはなく、そのことを教えてくれる不在までもを、わたしは愛した。


「いとおしい」という気持ちは言葉でも態度でも表現できるのに、触れ合うという行為が持つ表現力に勝るものが他に中々見つからない。

もう言葉では到底伝えきれないほど溢れたとき、それは言葉以上に雄弁になる。
だから、触れたいと願った。それだけだった。


背中合わせで眠るシングルベッドには、身体も心もまるで逃げ場がない。そこに自分以外の体温があることが、この期に及んでもまだしあわせだと感じてしまうことさえも虚しかった。

24度では寒すぎると何度も言ったのに、それでも寝汗をかいている隣でタオルケットに包まれながら、静かに夜が更けていった。

抱きしめてほしいと言えなかったのは寝汗をかくほど暑そうだったからではなく、伸ばした手を拒まれてしまったときのことを思うとどうしようもなく怖かったからだった。


長い睫毛を数えながら眠ることが、すきだった。

同じシャンプーの匂いを嗅ぎながら眠ることが、すきだった。

寝息がおでこに当たるくすぐったさを感じながら眠ることが、だいすきだった。

いつから私が眠りにつく前の景色は、白い壁になってしまったのだろう。
目の前に、鼻先に触れそうな距離に。睫毛も、匂いも、寝息もない。硬くてつめたい壁だけがそこにある。

向かい合うことができないのならせめて同じ方向を見ていたかったけれど、それさえも許されないような気がして。
壁を見つめてそっと眠りにつくことだけが、私にできる唯一の愛情表現だった。



つけただけのテレビから、音の無い私たちの間を甘く切ない曲が流れてゆく。

明けない夜はないよ、なんて歌わないでほしい。
夜が明けたところで、何も解決してくれない。

二人でいることがひとりよりも寂しいだなんて、誰も教えてはくれなかった。


ここは濃密な8.5畳の小さなお城。
存在が、不在をより色濃くさせていた。



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