本当に欲しいものは4番目



25歳の冬、きっと結婚するんだろうなと思っていたひとと別れた。


学生時代からの知り合いだったし、3年近く付き合っていたし、向こうのお母さんとも仲良しだったし、別れる理由なんてなかったはずなのに。



けれど、それはいつだって突然にやってくる。


別れる理由はなかったけれど、このまま付き合い続ける理由もない、という心臓を鷲掴みにしてそのまま遠くへぶん投げられるような最後の一言はわたしをひどく疲れさせた。


そして同時に、まさにこれから「アラサー」へと突入しようという齢のわたしを追い詰めた。


周りの友人たちが次々に婚約をして、ご祝儀3万円を包む回数も増えて、トントン拍子に身籠る友人も出てきて、大好きで仕方ないはずの仕事にも疲れ始めて。


彼のことがただ好きだから一緒にいたと思っていたけれど、もしかして、このまま結婚できそうだから一緒にいたのだろうか。


分からなくなった。虚しくなった。

とにかくこの喪失を掻き消すように、はやく「あたらしいきらきら」と出会わなければ。


わたしの、しあわせ探しの旅が始まった。




だけど、それが安易なものではないことだと気付いたのはすぐのこと。


あれ? 好きってなんだっけ?

恋って、どうやって始めたらいいんだっけ?


知り合って、自己紹介して、連絡先を交換して、LINEをして、2人で行くご飯の日にちを決めて、仕事終わりに待ち合わせをして、2軒目行く?行かない?の攻防を繰り広げて、次は休みの日にデートをしてみて、いい雰囲気になってきて、告白されるのか?こっちからするのか?の心理戦をまた繰り広げて、、、、


この中・長期フローを、日々働きながら同時進行させる難易度ったらない。

かといって、一晩の短期フローで決められるほど勢いも勇気もない。



だけど、とにもかくにも動かねば。
その意思だけは強固だったから。


合コン、婚活パーティー、友人の結婚式の2次会、会社の飲み会、飲み屋街のナンパ。


地引き網漁、と当時名付けられていたわたしの婚活は「質より量」を求めるものだった。


会って、会って、会って、会った。


それでも、会えば会うほど分からなくなった。


わたしは彼氏が欲しいのだろうか。
とにかく結婚がしたいのだろうか。


「しあわせ探し」をしているつもりなのに、気づけばまた「安牌探し」の旅になってるんじゃ?


なんだその絵に描いたような本末転倒は。

あぁ、つかれた。疲れ果てた。



しばし休憩しようと思って地引き網を引き上げながら振り返ってみると、多くの出逢いの種は実を結ばなかったけれど気づきもあった。


いろんな人に会って「好きになれるひと」の条件が3つ定まってきたのだ。


1.楽しそうに仕事をしてるひと
2.家族を大事にしてるひと
3.男気があるひと


清潔感とか、顔の雰囲気とか、表面で判断できることは前提としたときに、そういえばこの3つがいつも残っていた。

がむしゃらに会って会ってを繰り返しただけで収穫が何もないと虚しくなっていたけれど、自分にとってこれは譲れないものかも?という軸が見えたことで前向きになれた気がした。



そういや、就活もこんな感じだった。


自分にはどの会社が合うのか分からないまま合同説明会やら面接やら受けまくって、でもピンときてるのかどうかも分からなくて。

疲れながらも頑張って続けていると、なんとなくやりたいことと合う会社が見えてきて。



あの時と、同じ気持ちだ。

婚活には期限もないから、またぼちぼちでも頑張ろうかなぁと思った矢先のこと。


高校時代からの友人夫婦から、紹介したいひとがいる!と連絡がきた。なにやらわたしが求めるその条件にぴったり当てはまる人物らしい。


まぁとにかく会うだけでも、なんて勧められてあれよあれよと話は進んでゆく。

信頼するふたりからそんな話を聞いて、期待するなと言う方が難しい。



そして、当日。


とても仕事が楽しそうで。
家族を大事にしていて。
男気まであるひとで。


ぴったりだ、まさにぴったりだった。




なのに、わたしは。

2軒目の攻防をやんわりとかわしたあと、独りで帰りの電車に揺られていたのだ。



なぜなのか。

なにが駄目だったのか。


すごく自信のあった選考の最終面接であっさり落とされたような。

いや、そんなところより遥かに前段階でエントリーシートにすら引っ掛からなかったような。




ガタゴトという電車の横揺れが、ぼーっとした頭にじんわりと響いた。


いいひとだった。
すごく、いいひとだったのに。


わたしは、わがままなのだろうか?

だけどここでわがままにならなきゃ、きっとこの先に後悔することも分かっていた。



「好きになれるひと」と「好きになるひと」は、全然ちがった。


本当に欲しかったものは4番目。

楽しそうに仕事をしていても、家族を大事にしていても、男気があっても。


4番目の、言葉では言い表せない「あたらしいきらきら」を感じることができなければ。

どれだけ理想の条件が揃ったとしても、意味なんてなかったのだ。





しあわせ探しの旅は、あれからずっと休憩中。


そもそも、しあわせなんて探して見つかるものでもないのかも知れない。

種を蒔いて育んだり、時には形を変えたり。
なにが正解かだなんてきっと誰にも分からない。



だから、今はまだ、

「自分をしあわせにできないひとは、誰もしあわせにできないのよ。」

母がずっと言っていた、このお守りを大切に。
すこやかに穏やかに自分と向き合っていよう。



そして、いつかの未来で「本当に欲しかった4番目」を見つけられるときがきたら。

きっとしあわせな顔をしたわたしに、その正体の話を訊いてみたい。




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