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『 ドラマチック 』
歩道を全力疾走する男が道路の向こう側へ大声で叫ぶ。
『……カオリ!!』
女は声に気が付かないまま角を曲がろうとしていた。
『カオリ!おい!・・・カオリ!』
男の声は行き交う車の走行音とクラクションにかき消される。
『クッソ……』
ようやくたどり着いた交差点。信号はなかなか青に変わってくれない。
両手を膝に当て激しく肩で息をする男。
永遠かと思うほど長く点灯する赤のランプ。次第に速度を落とす車。
つかの間の静寂。
男の目が、再び前を向く。
一瞬のスローモーション。
『サトシ……?』
横断歩道の先に立つ女は顔をゆがめて泣きじゃくる。
ゆっくりと歩み寄る二人。
『・・・気づくの、遅ぇよ。』
『・・・追いかけるのが、遅いんだよ…っ!』
( ♪ 主題歌イントロ )
「……ぃ、ゆーい、唯ちゃーん?」
美女とイケメンが横断歩道のど真ん中でオデコをコツンと合わせながらはにかんでハグをするキラキラした世界から私を引き戻したのは、空っぽのビール缶を振るあっくんの間抜けな顔だった。
「・・・なに。」
「え、怖、機嫌わる。ビールもう無かったっけ?って。」
「冷蔵庫見たの。」
「先に見ましたぁ~、だから聞いてるんですぅ~。」
「じゃぁ、もうないよ。あっくんが全部飲んだんでしょ。」
録画を消去してからグッと背を伸ばして立ち上がり、テーブルの上に食べ終えてから放置されたままの深皿を手にキッチンへ向かった。右半分だけに薄っすら残る焦げ茶色。今夜はハヤシライスだった。冷蔵庫はシンクの真裏にあるのに、なぜ同時に下げて水に漬けておくことが出来ないのか、いくら考えても分からない。
「えーー!!今週の俺飲み過ぎだろぉ~~」
月末で疲れていたらしいあっくんは月晩から “不肖、三浦 暁人(みうら あきと)!!ガソリン注入失礼します!!” とか言って木曜の今日まで毎日ビールを開けていた。
「唯ちゃん、コンビニ行かない?」
「やだよ。お風呂入ったし寒いもん。」
「・・・唯ちゃん、コンビニ、行かない?」
「しっつこいな、行・か・な・い。」
唇を尖らせてダウンを羽織るあっくんの「チェ~ッ」っというダサい文句に被せるように勢いよく水道のレバーを上げる。
「いるもん、ある?」
拗ねながらも出かける前にこうして確認してくれるあっくんは、ちゃんと優しい。
「・・・ないよ。」
本当はバニラアイスが食べたかった。カップのやつ。高いやつじゃなくて100円のやつ。でも、不機嫌オーラを纏ってしまった手前、今更引き下がれなかった。
りょっかーい、と玄関へ歩き出した彼の唇は尖るどころかすでに意味不明な鼻歌を奏でていて、バタンっと閉まった扉の音を聴きながらとてつもない敗北感で大きなため息が零れた。
「バーカバーカ」
口に出して言う文句は気持ちが良い。
ハヤシライスこびりついてんじゃん、バーカバーカ。
デカめの人参だけ残してるし、バーカバーカ。
絶対にビールとおつまみしか買ってこないんだろうな、バーカバーカ。
ていうかなんだよさっきのドラマ、バーカバーカ。
いい大人が街中を全力疾走とか有り得ないから、バーカバーカ。
あんな大声で自分の名前呼ばれたら恥ずかしいし、バーカバーカ。
横断歩道のど真ん中でオデココツン☆じゃねぇよ、バーカバーカ。
あのカップルは、その後どんな付き合い方をするんだろう。
最初の頃は毎週のようにいろいろデートとかして、日曜日は広い公園でバドミントンするのにお弁当とか作っちゃって、会えない夜には用事もないのに電話が掛かってきて。
「バーカ、バーカ」
ラブストーリーを描いたドラマはいつも大体、くっついたところで終わる。ふたりの気持ちが最高潮なところ、まぁそりゃそうだ、ドラマだもん見せ場が必要だし。でも、本当はそこからがしんどいんだよ、と思う。
歩道を激走しないし、元カノとバッタリ会わないし、雨の中ずぶ濡れで立ち尽くさないし、急に両親は登場しないし、変装して追いかけないし、エレベーターは止まらないし、空港までタクシーは飛ばさないし、喫茶店で謎の女からいきなり喧嘩も売られないし身も引かない。
現実は、もっとシビアに切実にしんどいことだらけだ。
一向に合わないクーラーの適温。テレビの音量。お風呂に入るタイミング。洗濯の頻度。出かけたい気分と家でダラダラしたい気分。仕事終わりに作る”簡単な”ご飯の連続。朝はそもそも食べる?食べない?和?洋?お米は硬め?柔らかめ?今日は疲れてるからシたくない、を傷つけずに述べよ。
出会いは合コン。偶然2人だけが同い年で話が弾んで、あっけらかんとして常にご機嫌っぽいところがイイなと思った。なんとなくラインが続いて、飲みに行って映画を観てちょっと遠出して、付き合う?と言われたのでいいよと言った。
そこから5年、その内同棲して1年半。
あっくんは私と結婚するつもりなのだろうか。
私はあっくんと結婚したいのだろうか。
近づく三十路、近づく2年契約。
『マンションの更新、どうする?』
口に出せない質問が胸に残って、気持ち悪い。
茶色の残骸をようやく剥がしたたっぷりの泡が、ジュボボボっと排水溝に吸い込まれていった。
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「そんで?あっくんからのお土産は?」
ランチタイムど真ん中の混んだアジアン料理店、金曜のお昼は毎週恒例・たけおちゃんの日。
「・・・ふぁ(あ)ったと思う?」
調子に乗って一口で頬張り過ぎた生春巻きをどうにか咀嚼しながらたけおちゃんをジロっと一瞥。潤んだタレ目。バシバシの天然睫毛。どこのマスカラですか?PLAZAで買えますか?チワワみたいな顔しよって。腹立つ。
「ビール、チー鱈、あとめちゃめちゃムカついたのがカロリー30%オフの増量ゼリー、あ、もちろん自分用のみ。」
ぶわぁはっ、とフォーを吹き出しかけてむせまくるたけおちゃんはやめろよ〜と紙ナプキンを数枚取った。やめろよも何も、事実だから仕方ない。
「カロリー30%オフの増量はオモロい。笑」
「オモロいより苛立ちだわ。いやいやどっちだよって。てか毎晩のように晩酌しといて突然カロリー気にすんなよって。」
「唯からいつも話聞いてるだけなのに、俺もう高校時代から知ってるツレばりのあっくんエピソード溜まったわ。直接会ったことも喋ったこともないのにな。」
たけおちゃんは、私の貴重な同期で戦友だ。
入社当時80人近くいた同期は、たった1年で半数に減り、そこから1年ごとにまた減り、6年経った今では両手で事足りる程の人数になってしまった。『宮武 修(みやたけ おさむ)』の真ん中3文字を取って、たけおちゃん。そう名付けたリーダー的存在の男も、とっくに辞めた。入れ替わりの激しいベンチャー企業なんてこんなものだ、と諦めつつ、それでもゲロを吐きそうな失敗も息が絶えそうな激務もなんとか乗り越えられたのは、この人がいたからだと心底思っている。
あっくんと出逢うよりも前から、一緒にいた人。
なぜか同期の中で私にだけ、心を開いた人。
「・・・こないださ、病院行ったのね?」
私は、今から2人の男を確かめようとしている。
「おん。え、なに、どっか悪いの?」
そう言ってくれると、思った。
グッと堪えたのは、失笑が半分、溜息が半分。
「ははっ違う違う。ごめんね変な言い方して。眼科。コンタクトの定期検診で。」
「なん、ビビらすなや。俺ら毎年健康診断オールA仲間なんだから。ま、唯の微妙な増量傾向を除けば、だけど。よっ!28歳、食べ盛り!」
「うっさいな!だから今日もエビの揚げ物じゃなくて生春巻きにしてんじゃん!」
水曜日、同じことをあっくんに言った。
毎週欠かさず観てるバラエティ番組の途中で声を掛けた私もきっと良くなかった。それは自分でも分かってる。
けれど、視線をテレビ画面から一切離すことのないまま「うん、それで?」という空返事が返ってきた時、堪えたのは不覚にも溢れてしまいそうな涙だった。
「……待合室ってさぁ、大体10人弱ぐらい座れるでしょ?そこに座る人は毎回違ってるはずなのに、なんでいつも絶対1人はちょっとユニークな人がいるんだろうね。」
あっくんの返事は「なんだその話。」で、今まさにそれを伝えてみたたけおちゃんの返事は、
「あー、分かる。社会の縮図じゃない?通勤電車とかも割とそうじゃん。」
だった。
ハイ、0 対 10000 でたけおちゃんの勝ち。圧勝。
「たけおちゃんってさ、マジで最高だよね。」
デザートの杏仁豆腐をやたら小さなスプーンでなんとか掬い上げながら、は?ここワリカンだよ?と目の前のチワワが笑う。可愛いなと思う。きっと可愛いなんて思っちゃいけないけど、可愛いものは可愛い以外で片付けられないんだもの。
「・・・唯。今日、飲み行く?」
なんかあった?どうした?話聞こうか?
この6年、それら全てを救ってきてくれた一言。
「んーーー、笑 今日はね、やめとく。」
華金の夜、心を許し合った男、あと数滴何かが落とされれば表面張力が決壊するギリギリの状態。
きっと、多分、抱かれてしまいそうで怖かった。
ごめん、ごめんね、たけおちゃん。
自分で試したくせにごめん。変なところだけ勘がよくてごめん。やっぱり応えられなくてごめん。
たけおちゃんから向けられる優しさが特別だってことに、私はもう随分前から気が付いていた。そしてきっと、たけおちゃんもそんな私の状態に恐らくずうっと気が付いている。
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あっくんは2日連続のハヤシライスを嫌がるから、オムハヤシチーズドリアにリメイクしつつ唐揚げも用意することにした。明日は休みだからニンニクもマシマシ。30%オフの微々たる努力なんて一瞬で塵になる特大脂質コラボでバーカバーカのひとつを相殺してやろうと意気込みながら、片栗粉をはたいてゆく。
「たらいまーー、えっ!うぉっ!唐揚げじゃん!なに、テレパシー?」
「は?変なスタンプ以外は一切届いてませんけど。」
あっくんが使うラインのスタンプはいつも奇妙で、今日は「つかレタス」と喋るレタスが「今から帰る」の意をもって送られてきた。
どこに課金してんだよ、と思うけど、その飽きのこないシュールなバリエーションを楽しみにしてしまっている自分自身がいるのもまた、事実なのだった。
「俺さー、今日の昼社食で唐揚げ食いて〜〜って思ったんだけど、やめて八宝菜にしたんだよ。ちょっと腹出てきたから。ね、唯は気づいてた?俺の腹、出てんの。」
リビングでコートからスーツからシャツから靴下から全部を脱ぎ散らかしながら、パンイチになって軽度のキューピーみたいな身体を見せてくる。
「ちょ、もー!洗面所で脱ぎなって!」
「やっぱ完全に晩酌のせいだよな?でもさー、あれ俺のガソリンだからさー。」
「今週何回も聞いたよ、それ。」
「昨日も結局行っちゃったから我慢しようと思ったけど、唐揚げなら話が別だわ。な、唯ちゃん、コンビニ行こ!」
バカなの?という目で白粉を纏い終えた唐揚げの山から視線を上げれば、キューピーは既に部屋着のスウェットに包まれていて準備万端だった。
「バカなの?」
「いいじゃぁーん!まだ揚げてないし、今日は風呂も入る前っしょ?行こ!な?」
このマンションに越してきた夜、ダブルベッドを組み立てて力尽きた私達にキッチン用品が詰め込まれた段ボールを開ける気力などあるはずもなく、今日と同じように部屋着のままコンビニに向かった。
「駅近にコンビニ近、やっぱここにして正解だったな!俺、唯ちゃんとの新生活、超楽しみ!」
眉間に皺を寄せてウンウン唸りながら難解な英語が並ぶ説明書を眺めていたあっくんは、先ほどまでの疲れを感じさせないピカピカの笑顔でそう言って手を繋いだ。やっぱりこの人のあっけらかんとしたところが好きだな、とゴツゴツした右手をきゅっと握り返した。
あれから1年半。分厚い手袋に包まれた私の左手の代わりにビールとバニラアイス(2つ)が入ったエコバッグを握って少し前を歩くあっくんが、あの夜と変わらない笑顔で「そういやさ、」とこちらを振り向く。
「引っ越してきた日の晩もこーやって一緒にコンビニ行ったな!」
テレパシーじゃん、と返せないのは、照れか、あるいは。
「・・・そう、だっけ。あの日は組み立てベッドの説明書が死ぬほど大変だった記憶しかないな。笑」
「あーーー!ネジの穴とネジの数がなぜか一致しないやつね。笑」
つめたい夜風が、強く吹いた。
家を出る前にあっくんに無理矢理着せられたダウンはブカブカで、でもぬくぬくで、いつもの匂いがして、まるで背中からあっくんが覆い被さってるみたいだ。あっくんは、年中やたらと体温が高くて異様なほどに暑がりだった。
「てか、今思ったけど、あっくんこのダウン着るの珍しいね。これ出すの雪の日くらいじゃん?」
“俺が寒いって言ったらそれは確実に寒い日だから、唯ちゃんも寒がることに自信持っていいよ”
年中末端冷え性な私が異様なほどに寒がる姿を見て、この5年間耳にタコができるほど言われ続けたこと。自信ってなんだよいつも本気だよ、と返しながら熱いあっくんの首筋に触れて指先を温め続けたこと。
私たちが繰り返してきた、5周分の春と夏と秋と冬。
「あ゛ーーーーーーーー、まじか?今か?」
突然、あっくんが頭をワシャワシャ掻きながら叫んで立ち止まった。
「何!?ちょっと近所迷惑だから!静かにして!」
「いや、あのさ!・・・ごめん、いや、その、」
はーーーっ、と諦めのような決心のような息を深く吐いて、あっくんの力強い目がジッと私を見つめる。
・・・あっ、お察し。
これは別れ話だ。
マンションの更新前に済ませるやつか、だから突然引っ越しの思い出振り返りパターンね、ハイハイなるほど、謎は全て解けましたよ、じっちゃんの名にかけて、変なところだけ勘がよくてごめんなさいね。
あれだけバーカバーカと叫び散らかしていたのに、いざこういう状況になると途端に脳内がぐしゃぐしゃになって狼狽える自分に驚いた。
でも、とにかく今は聞かなければ。
こちらも息を深く深く吐いて、ジッとあっくんを見つめ返す。
「寒いけどちょっと手袋外して、右手、ポケットに突っ込んでくんない?」
言われるがままダウンの右ポケットに手を入れると冷たい指先がコツン、と何かにぶつかった。恐る恐る取り出すと、それは手のひらに収まる、ちいさなちいさな赤い箱だった。
「唯、唯ちゃん。塚本 唯さん。」
「・・・っ、」
「俺と、結婚してください。幸せにします。」
ドラマではきっと、ここでいい感じのイントロが流れ始めるだろう。
私はその時何故だか、唐揚げの下味に生姜を入れ忘れたことをぼんやりと思い出していた。
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