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第2話 矢印を放て

真夏の庭はまるでひまわり畑さながらに、にょきにょきと2階のベランダに届きそうなほど伸びたひまわりで、周りが見えないくらいだ。
アリサはそのひまわりの間を歩いていた。
アリサがまだ幼かったころは、まだこれほどまでにひまわりの数は多くなかったし、背丈も高くなかったが、まだ小さかったアリサにとっては、今のひまわり畑と感覚にはそれほど違いはなかった。
そのころから、ひまわりの間を歩いたり、しゃがんでひまわりの花と、そのむこうに見える青空を見上げて眺めるのが好きだった。

なのにこの夏は毎日が目まぐるしくて、すっかりひまわりのことを忘れていた。セミの声もどこか遠くから聞こえてくる単なるBGMのようだったし、暑さも、突然、降り出す雨も、そのとき対処すべきものにすぎず、夏を味わう状態ではまったくなかった。

それが今朝、ひまわりの間を歩いている夢を見たのだ。
夢のなかでひまわりの間を歩いているうちに、どこかの部族の住居のようなテントを発見していた。入口の布はWelcome!というように開いていて、まるえアリサを招き入れようとしているかのように見えた。
なかに入ってみようと、そのテントに近づいていって、テントにあと数歩というところで

ジリリリリ!

目覚ましのベルが鳴って目が覚めた。
「あ~あ!」とアリサは思わず声が出た。あと少しでテントに入れたのに。なかはどんな風になっているんだろう?
普段だったらそこまで考えないのに、なぜか氣になるし、それだけでなく夢というにはあまりにリアルだったので、もしかしたら本当にテントがあるのかもしれないと、確かめてみたい氣持ちになったのだ。

ひまわりの葉っぱをかき分けるように進んでいったアリサは、心臓が飛び出しそうなほどびっくりした。少し踏み込んでいった先で、突然、目の前に今朝、夢で見たテントが現れたのだ。
円錐形で中に入ったら頭がつかえてしまいそうだった。
それでも夢で見たときと同じように、入口の布がめくれていて、なかに招いてくれているようだった。
アリサは一度、ふーっと息を吐き、それから大きく息を吸った。そして「よし!」と自分を励ますように声を出すと、かがんでテントのなかに入っていった。

テントのなかは外から見た感じとは違って、広々としていた。窓がないので外の光はまるで入ってきておらず、薄暗いなかでランタンの炎がところどころで揺らいでいた。少しずつ暗がりに慣れてきたのと、そのランタンの灯りのおかげで、テントのなかが見えるようになってきた。するとちょうど真正面のところにひとり、自分以外の人がいるのが見えた。同い年くらいの女の子に見える。その子はアリサ同様、このテントに来たのは初めてなのか、少し驚いているようにキョトンとしていて、身動きも取らずに突っ立っていた。

すると突然、彼女の近くのランタンの炎が大きくなり、ランタンからはみ出た炎が彼女を照らすと、うしろの壁面にニューッと大きな影が映った。そしてそれと同時に、その影が悪魔のような形になって目は鋭く、長く伸びた爪を見せびらかすようにして、不気味は笑みをたたえた。そしてその口がどんどん大きくなったと思うと、うしろからまるで本人を飲み込んでしまいそうなほどになった。

アリサは「あぶない!」と小さく叫んで、はっと息を飲んだ。その瞬間、どこからともなく矢が飛んできて、壁面の悪魔の影を射抜き、悪魔はまるで風船から空気が抜けたように、あっという間にシューッと縮んで元の何もない暗い壁に戻ってしまった。

ランタンの炎が小さくなってしまったので、よくよく目をこらしてさっきの女の子を探したけれど、その姿はなく、代わりに金色の長い髪の、スラッとした女の人が立っていた。
その人の手にはやはり金色のそれほど太くない棒が握られていて、その棒をひと振りすると、棒の先から小さいけれど眩しい無数の星が飛び散った。

「天使みたい」とアリサは心のなかで呟いたのだが、それがどうして聞こえたのか「はい、私は天使です」と、その女性が答えた。
「さっきの影はあの女の子の心のなかにあった恐怖が、形になったものです。怖れをそのままにしておくと、どんどん形を変えて思ってもみなかったような、本人も望んでいないものを引き寄せたりします。なので矢を放ちました。あれで今、ここには何も怖れるものなどないことに、氣づくことができたのです」
天使が話すことをアリサは黙って聞いていた。天使は続けた。
「そして怖れという陰のむこう側には、実は本当の望みや希望といった、素晴らしいものが隠れているんですよ。さっきはこのワンドでそれをスパークさせました。あなたもそうですし、誰しもが巨大な磁石なんです。それを忘れないでください」

「巨大な磁石?」とアリサはオウム返しに尋ねた。
どういう意味なのか理解ができなかったのだ。
「そう、磁石なんです。なんでも引き寄せます。たとえば、ほら、この玉を観てください」
天使はいつの間にかとても大きな青い玉を両手で抱えるように持っていた。深いブルーで、まるで地球を小型にしたような石の玉だ。
その玉を覗き込むと、いろいろな映像が見えた。

「この人は恋人にフラれて泣いています。なぜかわかりますか?」アリサは無言で首を横に振った。
「相手に嫌われまいと、自分の意見や本心を言わず、相手に合わせてばかりいたんです。それで、あなたがどういう人なのかわからないし、一緒にいても楽しくないと言われてしまいました」
「この人は何をしているの?」アリサはキッチンでエプロンをつけた男の人が、食器棚を覗き込んでいるところを指さした。
「ああ、この人は釣りにいって、ものすごくたくさん魚を釣ったんです。なにしろたくさん釣って、家族や友人を呼んで魚パーティーをするんだって、ワクワク張り切っていましたからね。もう釣る前からメニューまで考えていたくらい、たくさん釣るのを楽しみにしていました。そして本当にたくさん釣れたので、これから料理を作るんですよ。どの料理をどのお皿に盛りつけるか、決めているのでしょう」

一氣にそこまでしゃべって、息もついだかわからないくらいすぐに、天使はまた「そしてこの人は」と話し出した。
玉に映る場面が切り替わったのだ。
「そしてこの人は、何かあったときのためにってお金をためておいたら、この間、車を塀にぶつけてしまったんですよ。それを息子に“ほら、”こういうときのために、お金は貯めておくもんだ”って教えてるんです」
「それはよかったですね、貯めておいて」とアリサが言うと
「ただ、私たちからすると、何かあったときのために貯めていたお金だから、そういうことを呼んだってことなんです。もっと楽しい、旅行とかのために貯めていたら、みんなで旅行に行けたのに!」
そう天使は言って「ねっ、こんなふうにあなたたちは、みんな磁石なんですよ。どんなことも、いいことだろうが、そうじゃなかろうが、お構いなしで引き寄せちゃうんです」と続けた。
アリサは目をパチクリさせた。
「じゃあ、私たちの毎日のなかで起きることって、自分が引き寄せてるってこと?」
「そういうことになります。はっきり言えるのは、怖れは怖れを呼ぶ。その反対に愛は愛をもたらすということえす。あなたがどんな感情を今、感じているかが、あなた独自のバイブレーションとなって、次の現実を決定づけます」
「バイブレーション…」とアリサが呟くと、「そう、バイブレーションは宇宙へのオーダーのようなものです。だから、いつでも自分がどんな意図を放っているか、それがどんなバイブレーションなのかに、意識的になっているといいですよ」
天使はそう言って「このことを忘れないように」と言いながら、ワンドをまたひと振りした。

すると巨大な矢印が現れて、天使がその矢印にまたがるようにと指さした。
「今、見たい風景をイメージして」と天使に言われ、アリサが一度行ってみたいと思っていたハワイのビーチを思い浮かべると、あたりが急に明るくなって、アリサはハワイのビーチのパラソルの下で本を読んでいるのだった。

「こんなふうに、あなたたちはいつも意図の矢印の上にまたがっていて、どんなことも本心から望みさえすれば、その矢印が連れていってくれるということを忘れないでください」
天使の声がしたと思うと、アリサはいつの間にか庭のひまわりのなかにいて、小さな矢印を手にしていた。
「これはお守りにしよう。あとで鎖をつけて首からぶら下げることにするわ」
アリサはとてつもない贈り物をもらった氣持ちで、まだ夢うつつな感じでひまわり畑を出ると、空を見上げた。
青い空にくっきりとした矢印型の雲が浮かんでいるのが見えた。

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