めっちゃ族と、ふーん族
めっちゃ族と、ふーん族とは、心屋仁之助さんがブログなどでシェアしていた、
人のタイプの区分けである。
これは、私と友人間の気付きの話。
昨日、久しぶりに友人とズームで話した。
占い師仲間で、タロットを学びあった仲である。
私はタロットに興味が向かなくなって、一年以上タロットを触っていなかった。
でも10月頃から「またやりたい!」欲が出てきて、メルマガ読者さん限定で、占いを始めた。
すごく久しぶりだったけど、相談者さんとのやりとりは、ほんまに面白くて、
何度も時間を忘れた。
気づくとてっぺん越えてて、はよ寝な!と焦ったりもして。
友人は友人で、近況がまた変わっていて、私と体験していることは、全然違うのだけど、
共通していることがあった。
それは、いつも自分自身でいられるか。ってこと。
自分がこうしたい、の気持ちに沿って、選択できるか?
いつも、毎瞬、試される。
他人が入ってくるとぶれちゃって、どうしたいか?よりも、
どうしたら正しいか?を探してしまう。
正しいことを探していることに気づかないまま、あの人のために!と動いたら、
それはいつの間にか、◯◯さんのせいになってしまう。
自分が選んだことなのに。
そういう毎瞬、の選択の度に、私はどうしたいか問いを立て、
私はこうしたい、と決めていく。
その友人も、タロット占いに申し込んでくれた。
私が書いた回答を読んで、気付きがあったと教えてくれた。
そこから出てきた答えは、
「私、ふーん族やん!」てこと。
その気付きを聞きながら、私は思った。
「私、めっちゃ族やわ!!」
めっちゃ族とは、何か、何かしらのことに熱い。
リアクションでかい。
表現がストレート。
何かにつけ、めっちゃとめちゃめちゃ言う。笑
ふーん族とは、基本外から拝見スタンス。
表現が、notストレートで変化球。
めっちゃに比べて静か。
よけいなことは言わない。
こんな感じで私は把握している。
私は、めっちゃ族。
友人は、ふーん族。
最近とみに、昔出来ていたことが出来なくなってると感じることがある。
例えば、ふーん族(当時は知らなかったけど)の人と話していて、
変化球な返しがあったとしても、
前はなんとなく、言いたいことがつかめていたような気がする。
察する、というのか。こんな感じなのかなーって。
けど今は、
言ってることが全く分からない…のである。
それは…どゆこと?!となる。
ふーん族の友人は、ふーん族の彼氏の発言を、雰囲気で察知している。
友人の解説がないと、
私はその彼氏さんの言いたかったであろう真意が、まじで謎、…と思ってることに昨日気づいた。
私は、リアクションも言葉も、ストレートでないと、分からない。
変化球を投げられても、全く気づけない。
それは、どういう意味?と聞いてしまうし、私はお付き合いをするなら、
言葉で説明ができる、分かりやすい人がいいと思ってた。
それは私が、めっちゃ族だから。
そして、何か違う方向に頑張ってた昔の私が、
一生懸命ふーん族の人を理解しようと努力しまくったけれど、
(そして頑張って、少し分かるときもあったけど)
もう自分で生きると決めた今、
やらなくていい(やれなくていい)ことは、
どんどん削ぎ落とされていくんだなーと腑に落ちた気がする。
分からないときは、分からないですと素直に言えばいい。
そして教えてもらえばいい。
私はめっちゃ族。
分からないのに、分かったふりするのやめよう。
それは相手に失礼だ。
ふーん族の表現は、謎なことが多々あります。
できれば言葉で説明が欲しいですし、
希望は、ストレートが一番分かりやすいです。
そう、できること、できないこと。
人によって違うのだ。
違うから助け合えるし、違うから、個性が分かる。
一ヶ月後、風の時代が始まるそうだ。
占星術知らんけど、色々と読むのは楽しい。
個性をどんどん表す時代。
めっちゃ族的には、めちゃめちゃ楽しみです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?