気づけるに決まってる
私はハッピーちゃんが好きで、このブログでも、ハッピーちゃんのHTLを復習していることを書いている。
けれど、ここ10日ほどは、あまり復習動画を見ていなかった。
次々上がる動画に、全然追いついていなくて、どうしようどうしようと思いながら過ごしていた。
どこまで聞き終わったか、目で確認できるのが好きなので、どんな配信だったか一言メモしたりしているのだけど、それも全然できてない。
ぶっちゃけ、できていてもできなくてもいいのだけれど、頭の片隅にずっとそれがあって、いまいちすっきりしない感じの日々。
日曜日になってようやく、一番新しい動画をぽちっと再生して家事していたら、聞こえてきたのが「全然追いついてないけど、ゆっくり復習していこう、みんな」というハッピーちゃんの声。
ウケた。
続く「気になるワードだけ、拾えればいいよ」との言葉に、ほっとした。
そうそう、私は、「必要な時に、必要なことを気付かせて下さい」と、お願いしている。
誰に?
うーんと、言葉にするなら、ソースと呼ばれるもう一人の自分に、だろうか。
天に、でもいいし、宇宙に、でもいい。
ある時ハッピーちゃんが、スケジュール管理するのが苦手と言っていて、的確な時に必要なことを思い出せるように(もう一人の自分へ)お願いしている、そう言葉を向こうへ投げていると言っていたのです。
だから、それを私も真似した。
仕事の時でも、プライベートでも、失敗した!と思った時、すごく心臓バクバクするんです、私。
やばいやばい、どうしよう・・・!!!って、内心とんでもなくパニックになる。
背中に汗はかくし、手は震える。
本気で、心臓が口から出てくるんじゃないかというくらい、自分が間違えた!と思った時の動揺が激しかったんですよ。
それも、最近はだいぶ少なくなってきていたけれど(おそらく、失敗しても私は大丈夫、の免疫ができつつある)、「必要な時に必要なことを」のメッセージを投げておくことで、
やっぱり大丈夫じゃん、に気付けることが増えたのです。
大丈夫、今必要だったからこれが起こった、と捉えられると、仕事のミスが発覚した時も冷静でいられて、どうすればいいかを淡々とこなし、次は気をつけようで終われる。
不思議と、誰かに責められることもない。たぶん、私が私を責めていないから、というのもある気がする。
だから今回も、やっぱり必要な時に必要な言葉がきたーーーーー!!と嬉しくなった。
せっかく、順調に復習を進めていたのに、途中で止まってしまったという心の重しが、取れた気がした。
この進み方で、順調だ。そう思えて気分が良くなった。
そして続けて、その前日の配信を聴いていたら、企業理念の話が出てきて。
ハッピーちゃんが昔働いてた会社で毎朝言っていた企業理念が、結局今自分がありたい存在の言葉だったというお話だったのだけど。(36:30~辺りから)
私が昔働いていた会社でも毎朝、釣りバカ日誌で言う「社訓」みたいなものを復唱していた、そういえば。
たしか、自分の体は自分で守りましょうね、というようなこと。
当時は意味も分からず言ってたけれど、今乾癬である私にとっては、沁みる言葉だ。
だって乾癬て分かった当初は、泣いたもん。根本的な治療法はない、一生このままなんだと想像して怖くなってさ。
だから必死で、良さそうなものを次々と試してみたんだけれど、その時は全く改善しなかったんだ。
だけど今は、薬を塗っていないのに、症状がとても軽い。
悪化する時もあるけど、どうしたらいいか?を心と体の面から自分で考えて実行している。(とってもゆるーくだけどね)
そう、自分の体を、自分で守っている。
改善しなかった時は辛かったけれど、それがあったことで、私は自分で選ぶという自分軸ができた。
人がいいと言っているものにすがるのではなくて、自分で選んで、試して、調整して、自分が心地いい形にしていくというスタンスを取るようになった。
ほんとうだ。私なりの形で、自分を守っている。
自分のカケラを見つける、とハッピーちゃんは言うけれど、自分に関連するものや必要なものたちには、人生の各所各所で出会っているのかも知れないね。
で、それに気づかせて下さい、とお願いしたら、ちゃんと気づけるようにできている。
私なんか、ずーーーーーっと気づかなかったけど、今更気づいた、なんて山ほどあるもんな。
気づいた時が、必要な時。
気づいた時が、ベストタイミング。
それに遅いも早いもなく、いいも悪いもない。
だから安心してまた、今日を過ごそう。