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足の怪我がくれたのは、マッサージとの決別。

『2月7日までは、石垣島でいろんなことの見直しをする期間かもしれない。それが終わったら、東京に戻ってブログを書こう。』
そう心に決めたのは、1月初めのことだったと思う。

石垣島は、楽しかった。
いろんな人に会って、いろんな偶然が重なって、いろんなことを感じて考えて…。
2か月という短い期間だったけど、楽しいことも悲しいことも…、いろんな勘定があふれていて、すごく楽しかった。

『もうセラピストはやめよう』と思っていたのがウソのように、『セラピストでいたい』と思ってる自分がいて…、『セラピストとして、私がやっていきたいことは何なのか?』を考えたりもした。

すごく短い期間だったけど、ものすごい勢いで、ものすごく深く…ボリュームのある2か月だった。

東京の家に戻っても、『10年ぶりに来た、おばあちゃんの家かな?』と思うくらい、自分の家が色あせて見えて…。今の自分の居場所ではないような気がした。
…それくらい、石垣島にいる間に、自分の中で何かが変わったんだろうなと思う。

3日がたって、やっと『ここが自分の家だった』という実感がわいてきた。
『あぁ、私はこんな感じで生活していたんだな…』って少しづつ思い出してる。

…話が脱線しちゃった(^^;

あのね、
『2月7日までは、石垣島でいろんなことの見直しをする期間かもしれない。それが終わったら、東京に戻ってブログを書こう。』って心に決めたのは、1月初め頃だった。

だけど、石垣島での生活が楽しくて…、『一緒に離島に行きたいな~』とか『この人ともっと一緒にいたいな~』『この人にもあってみたいな~』みたいな気持ちでいっぱいになって…、気づけば、東京に帰ることを忘れてた。

『東京に帰るのは、あと2日くらい遅くてもいいかな』『もう2日…』『もう5日…』って、どんどん東京に帰るのを先延ばしにしようとしてた。

まぁ、それだけ石垣島にいることとか、いろんな人たちと関われることが楽しかったってことではあるんだけど…。

私はきっと、人との時間を優先して、自分が向き合うべき問題から逃げてたんだろうな~って。


石垣島に来てからね、5~6年ぶりにマッサージをしたの。
『もう感覚なんて忘れてるんじゃないかな…』と思ってたのに、意外と体は覚えていて。
『あ、私まだ、マッサージできるんじゃないかな?』って思った。

いつの間にか「感覚的なマッサージ」と思ってたモノが「ヒーリング(エネルギーワーク)」だったことに気づいたりさ…。
本当は、「体を触ること」よりも「話すこと」をしたかったことを思い出したり…、いろいろあったなって思う。

『私の感覚は、表に出したら受け入れてもらえない』『人を怖がらせてしまうかもしれない』と思って、必死に隠して、自分の中で抑え込もうとしてた。
だけどそれを「好き」と言ってくれる人がいて、「受けてみたい」と言ってくれる人がいて、温かく見守ってくれる人がいて…。
自分の中で、『私の感覚を、もっと表現したい』という気持ちが強くなった。


だけどさ、
私はやっぱり、恐かった。
「マッサージ」という形を捨てて、「ヒーリング」と「話すこと」だけにするのが。
『本当にお客さんは来てくれるの?』『マッサージをしててもやっていける?』『マッサージを捨てた私は、このお店にいられるの?石垣島に住む場所がなくなってしまうのでは??』
いろんなことを考えて、他者の求める「マッサージする人」になろうとも思った。

だけど、マッサージをするたびに感じるのは、『マッサージじゃない』という気持ち。『これじゃない』って感覚。

マッサージを教えた時も、『どうして私がマッサージを教えるんだろう?』『私がマッサージを教える意味って何?』って何度も何度も考えてた。
『私よりもマッサージが得意な人はたくさんいる。私は別に、マッサージがめちゃくちゃ上手な人ってわけじゃないと思う。なのに…。』
『私は、マッサージの人っていうよりも、ヒーリングの人っぽいのに…』
自分の中でずっと、モヤモヤが止まらなかった。


足を怪我した時、マッサージをやめる時が来たんだと思った。

マッサージした後、足を怪我してることに気づいた。
もともと人の症状を体感してしまうことがあることもあってか…、「もらっちゃった?」と何度か聞かれたんだけど…。
私は『これは私自身の問題だな…』って思ってた。

この日はね、マッサージをするのが楽しかったの。

それは、普通のマッサージをしてる時にも、お客様の体が波うったり、光の走行ラインが見えたりして…、意図しなくても、自然にヒーリングが起こってることを体感できたからだと思う。
自分の手が発するエネルギー、自分の作る空気感…、そういう感覚が、すごく楽しかった。
ただのマッサージのはずなのに、ヒーリングをしてる。その感覚が、すごく楽しかった。

途中、何度も思った。
『マッサージをしたくない』
『この動きを止めて、ヒーリングしたい』
『もっと、深く触れたい』

施術が終わって、足を痛めてることに気づいた瞬間、『マッサージをやめなさい』って言われてる気がした。
マッサージをやめる時が来た。そう思った。
『あなた、もうマッサージしたくないでしょ?』『本当はもっと、やりたいことがあるんでしょう?』『そろそろ、お時間ですよ』って。

本当は、2~3週間前に練習をしたときから、わかってた。
その日も私は同じところを痛めていて…、練習の途中で「もうマッサージしたくないな」って。「これを教えたら、マッサージをやめようと思う」って言葉にしてた。

もっと言えば、このお店でマッサージをすることになった瞬間から、なんとなく感じてた。

…だけど、それを認めるのが嫌だった。
今までずっと頼ってきた「マッサージ」という形を、隠れ蓑にしてた「マッサージ」を手放すことが、恐かった。
「マッサージ」という形がなくなった私が受け入れてもらえるのか、「マッサージ」という形のなくなった私に存在価値があるのか…、そんなことが恐かったのかもしれない。
「自分がやりたいこと」だけになった時、それが本当に受け入れてもらえるのか…。不安があったのかもしれない。
…気持ちの乗らないマッサージをしてでも、石垣島にいたい理由があったからかもしれない。

…理由はわからない。
ただ私は、「マッサージを手放すときが来たのだ」と認めるのが嫌だった。
本当に捨ててしまうのが、恐かった。
どうしても、石垣島で生活するために、マッサージをしたかった。


足の怪我のおかげで、マッサージを捨てるための「手の治療」ができた。

足を怪我した時、『東京に戻りたい』と思った。
私がセラピストになった時、最初に出会ったオーナーの治療をどうしても受けたかった。
それは、私が今まで出会った治療家の中で、彼のことを1番尊敬してるからでもある。
…と同時に、セラピストになって2年目、親指を怪我した時に決めたから。『この仕事をやめる時、私の手を治してもらおう』と。

セラピストとして活動しながら、何度も手を治してもらうかは考えてた。
だけど、彼に会いに行かなかったのは、『彼に治してもらう時は、マッサージをやめる時だ』と思っていたから。
当時の私にはまだ、マッサージをやめる覚悟がなかったんだと思う。

マッサージをやめる。手放す。
このタイミングで、覚悟を決めて…、私はマッサージをちゃんとやめるために、彼に会いに行った。

足のけがは、きっかけの1つだったんだと思う。


両手を治してもらった。
…完治したか否かはたいした問題じゃない。
ただ、治療家として尊敬していた彼に手を治してもらうことで、「マッサージをやめる」覚悟ができたことが大事なんだと思う。

きっと私はまた、『やっぱり、マッサージもした方がいいのかな?』と思う瞬間があると思う。
実際に今、まだ活動が始めっていない不安もあって、『本当にマッサージをやらないの?』『もしも、「やってほしい」って人がいたら?私のマッサージを受けたい人がいたら?』『大切な友達にも…マッサージできないってこと?』と、マッサージをする理由を探そうとしてる自分がいる。

だけど、『彼に、手を治療してもらったから』と思うと、気持ちが落ち着いて、『やっぱりマッサージはやめよう』と思う。


…なんというか、『やっぱり体ってすごいな~』って思う。
私はやっぱり、体を治すためのマッサージとか、(自分を含めて)誰かの欲を満たすためのマッサージは好きじゃない。

ただ体に触れて、体や心を感じて、体や心の声を聴く。
そういう触れ方が好きだなって。


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