見出し画像

セラピストへの復帰を考えた3つの理由。

マッサージすることに違和感を感じたり、パワハラにあって鬱っぽくなったり、マッサージ中にケガをしたり…、
いろんなことがあって、セラピストを辞めたのが去年の3月。

あれ以来、”生きてくための手段”としてマッサージをすることを考えたことはあるけど、『マッサージしたい』と心から思うことはなかった。

むしろ、”話すこと”や”表現すること”をししていきたいと思ってた。


だけど、このタイミングでまた、セラピストに戻ることを考え始めてる自分がいる。

だから今日は、セラピストに戻ろうか考えてる3つの理由を考えてみた。
今回は、そんな感じのnote。

マッサージするのが恐くて、やめた。

去年の2月、お客様にマッサージし終わると、足の親指が腫れていた。
内出血を繰り返し、激痛が走る指。
毎日、親指のあざの位置が変わる恐怖。

『…骨折、ではないよね?』
『これ、治るのかな?』
『誰に相談すればいいんだろう??』

ちょうど病院も休日。
どこに病院があるのかも知らない、石垣島。

…とにかく、不安でいっぱいだった。

『…帰ろう』

飛行機に乗って、東京の治療院に向かった。
なぜか”彼に”治してほしかった。

”彼に治してもらう”ということは、自分の中で”マッサージを辞める”という決意だった。


それ以降、生活のためにマッサージすることを考えたりもした。
だけど、なぜか条件にあう求人が見つからず…、”自分のやりたいこと”ではないことを求められた。

暮らしたい場所…石垣島を離れること。
”やりたいこと”とは別の形のマッサージ。
1年以上働くこと、バイクに乗ること、休日が少ないこと…。

話を聴けば聴くほど、
”やりたいこと”でお金を稼げるまでの”つなぎ”にしたいだけなんだと実感した。
マッサージの技術を磨くことではなく、すでにできるマッサージを使ってお金を稼ぎたいだけになってる自分を感じて、お客様にもお店にも失礼だと思った。

…そして、もう1度マッサージすることに恐怖を感じてる自分がいるのも感じた。
マッサージをしてる時に感じた違和感と、マッサージを終わった瞬間の立つこともできない痛み。親指の腫れ。何が起こったかもわからない恐怖。

マッサージを辞めるには十分すぎるほどの恐怖だった。

セラピストに戻ることを考えた、3つの理由

そんなことがあったのに、私は今、まだ『マッサージしようかな?』なんて思って求人を探してる。

石垣島に帰るか、沖縄本島に行くか…。
それとも、このまま東京にいるか、次の引っ越し先についていくか…。
住む場所が決まってたら、すぐにセラピストに戻ってたと思う。

もしかしたらベッドを使って施術するのは、まだ恐いかもしれない。
だけど、タイ古式マッサージならできるかもしれない。そんな期待をしてる。


…『あんな恐怖心を感じたのに、どうしてまた、セラピストに戻ろうとしてるんだろう?』と考えた時、3つの理由が思いつく。

1つ目は、お金の心配。

このままでも生きていくことはできる。
だけど、貯金を切り崩してたら限界が来る。

これからまた、自分のペースで表現をして、お仕事につなげていく。

…お仕事として安定するまで、貯金は持つだろうか?
…収入源がない状況は、焦りと制限を生む。

不安の中で自分をコントロールし続けるのは大変だから、わずかでも収入源は作っておいた方がいい。

(効率よくお金を稼ぐ方法は、他にもたくさんある。だから、これは1番の理由じゃないと思う。)

2つ目は、暇すぎると何もしなくなってしまうから。

時間があって、焦りもなくて…。そんな状態の中にいると、『頑張らなきゃ』『早く形にしなきゃ』という意識は薄れていく。

もちろん、減っていく貯金に焦らされて、『頑張らなきゃ』と思うのが普通かもしれないけど、わたしはボケーっとしてそう。

何より、ある程度、活動しなきゃいけない状態があると、動くスイッチが入ってくれる。リズムを作りやすい。

だから、”自分のペースで、やりたいことだけをやる”よりも、自分の身体や心を目覚めさせる意味で、少し刺激が欲しい気がした。

(動くスイッチを入れるためなら、他にもたくさんのお仕事がある。だから1番の理由じゃないと思う)

3つ目は、マッサージ・体に触れることが好きだから。

心のこと、話すこと、スピリチュアル、ヒーリング…。
自分を見つける方法も、楽しいこともたくさんある。

だけど、自分が苦しい時・いっぱいいっぱいになった時、どうしても戻ってくるのが”体に触れること”だったりする。

結局、身体に触れること・マッサージは、わたしの人生と切り離すことができない、大事なものだなって思う。


身体の表面ばかり追いかけるマッサージじゃダメで。
だけど、エネルギーや精神的なものにばかり目を向けていても、変わらないこともある。

なにより、わたしはセラピストとして、人にマッサージしたり、マッサージされたりしながら、たくさんのことを教わってきたんだと思う。

身体や心から伝わってくるのもが、かけがえのない大切なモノだった。
わたしに、人との関わり方や生き方、人の在り方、物事の見方、幸せの形…、たくさんの物を教えてくれたのは、身体に触れること・マッサージだったんだと思う。

だから今、言葉や話すこと、エネルギーを通じて表現することができる可能性があっても…、どこかでまだマッサージにしがみつきたい私がいる。


…純粋に、身体に触れること・マッサージじいが好きだからなのか。
それとも、そこに執着のようなものがあるのかはわからない。

だけど、ここに1番の理由がある…気がしてる。

将来のビジョン・伝えたいことに、”身体”は関わってくる。

いろんなことがあって、マッサージを辞めた。
『人前で話すことしたい』と思って、いろんな人に会いに行って…、夢を叶えるのに、いくつもの手段があることを知った。
マッサージにこだわる必要がないことを知った。

だけど、結局は、1人1人と向き合いながら進んでいく。
それが、わたしだと思う。

もちろん、”話すこと”だけにしてもいい。
少しだけ”ヒーリング”をしてもいい。

だけど、どこかで必ず”身体”が関わってくる。

もちろん、身体や心の感覚も、自分の感情もわからない状態から始まった私には、ストーリーがある。
そのストーリーを通じて…、または、身体と心のつながりを伝えていくこともできる。その方法を教えることも考えていける。

その場合、直接、身体に触れる必要はない。
”書くこと”や”話すこと”でいいんだと思う。

だけど、『身体に触れて伝えるのが手っ取り早いな~』と思っしまう自分がいる。


それに、たいていの人は、その方法を知りたいわけじゃないでしょう?

自分の身体や心がどんなメッセージを発していて、それによって体がどうなっていて…。

自分の身体や心が頑張ってることに気づいてほしいんだと思う。
わたしは、ただそれを伝えるスピーカーのような人になれればいいなって思う。
だって、そこに『誰かに認めてほしい』があったとしても、最終的には『自分に気づいてほしい』なんだと思うから。

いっぱいいっぱいになって、心にも体にも余白がない時…、余白を作りたいんだと思う。
”余白を作る方法”を知ることで、自分で解決できる人もいる。
だけど、1人でどうしようもない時、誰かに余白を作るのを手伝ってほしいと思う。

理屈なんてどうでもよくて…、
ただ、誰かに触れてもらうことでほっとする瞬間がらう。
手を通じて伝わってくる温かさが、愛情が、エネルギーが…、なぜか体打だけでなく、心を溶かしたりもする。

ただ単純に、人に触れる感覚が大好きだなって思う。
話すことをしてても、ヒーリングしてても埋まらない何かが、手のぬくもりを通じて埋まっていくことがある。
言葉では伝わらないものが、手から伝わったりもする。


わたしはやっぱり、マッサージが好き。体にも触れたい。

もちろん、今までやってきた技術でもいいんだけど…、
ベッドも何もなくてもできるって、すごいと思うんだ。


旅をしながら、いろんな人の身体に触れることができるように…
どんな環境でも、人の身体や心の寄り添えるように…
セラピストさんたちにいろいろ教えることができるように…

もう1度、身体に触れる感覚を取り戻しておくのもいいなって。

まぁ、本当にセラピストに戻るのか、それともメッセージを伝えるだけでいいのかは、これからもう少し考えていくけど(^^;


将来のビジョンや、伝えていきたいことを考えた時、そこには必ず”身体”や”感覚”がある。

もちろん、そのすべてを自分でやる必要はないんだけど…、
いま、このタイミングでもう1度マッサージをすることで見えてくるものがあるような気がしてる。

だから、もう1度セラピストに戻るかを考えてるところ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?